気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

古き時代の映画を観て・・・

2015-01-12 09:43:49 | エッセイ
 平成8年(1997年)の秋の訪れが始まった頃、古き時代の映画「二十四の瞳」を観た。
その折に記述した日記が残っていた。
読み直し、その頃に立ち戻ってみたいと思った。
     
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 痴呆が進んだ母を介護し、いつもの通り車で目黒の白金から高速に乗り、ひとり住まいのつくばの仮寓に戻った。 今朝は遅く起きたせいか母は穏やかで時折りヒステリックになるものの優しく接すると柔和な笑みをしていた。
 終戦後、北京からの引き揚げの苦労で病弱な兄を亡くした事が母の悔やみである。
私は良く、その兄の代わりをさせられた。
 戦後の混乱の時に祖父の納骨に盛岡の先祖の墓所に夜汽車で行った。 余談だが、納骨なのに本に飢えていて車内のぼんやりとした薄明りの下で借り集めた本を一睡もせずに読み更けてしまった。

 墓は武士の墓らしく素朴なものだ。 帰る途中、仙台にある母方の墓所に寄った。
素封家の墓に相応しく数段上がらねばならぬほど大きく立派な墓に子供心ながら驚いた。

 会社に勤めて数年後、奈良、神戸、京都と母と二人旅をした。
また、軽井沢に父と母との三人で旅行をしたこともあった。 父も亡くなり母の体力からして最後の墓参りになるのではと昭和の終り頃、盛岡、仙台、白河と旅にでた。

 齢50を迎える頃になると、血がそうさせるのか、盛岡や仙台には単身赴任しても良いとすら感じる。
不思議なものだ。盛岡には故兄が眠り、仙台には戦後数か月住み学校にも通った地でもあるからかも知れない。

 しかし、単身赴任先は幸か不幸か、綺麗な美しい街 つくばになっていた。

 お米が生憎なく近くのセブンイレブンで夕飯の物を買い求め、更にささやかな色添えにドイツワインも買い求め食膳を賑わした。 
 米国に住む娘から土産に貰った18.6度のカリフォルニアのナパワインを探したが輸入されていない。
食事を終え、いつもの通りソファーに身を沈めTVのスウイッチを押した。
 有線放送で映画「二十四の瞳」が始まっているのを知りチャンネルを変えた。
昭和29年制作とある。

(2回に分けて続く)




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