ホリデイ現役添乗員日記

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スキャンダラスだったエッフェル塔物語

2012-09-10 00:09:48 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです

       

今でこそパリの象徴となって、街に不可欠な存在となったエッフェル塔ですが、完成前に大反対にあい、できた当初も評判はあまり芳しくないものでした1889年のパリ万博のためにできましたが、昔から、古い伝統的なものを守る保守的な一面と、これまでに前例のない、革新的なものを創造するのが好きな一面があるのですね、フランス人には

       

できる前のエッフェル塔論争も、そうしたフランス人の二面性を表す論争でした。「無用にして奇怪」と批判する知識人も多かったのです。でも、大衆に大受けしたことがエッフェル塔のその後の延命と存続につながっていったのです万博の1週目に、エレベーターなんか、まだ動いていなかった頃、2万8922人が1665段もの階段を歩いて上ったのです!こうした大衆の「武勇伝」やエピソードの積み重ねにより、エッフェル塔の取り壊し計画は見送られ、延命できました今のところ、7年に一度、塗りなおされて色が変わります。照明のおかげですね。2000年には金色になりました。2004年の旧正月を祝う際は、赤色になりました。2006年5月9日のヨーロッパの日には青色になりました。2007年のワールドカップのときは、緑、白、金になりました。時代の節目節目で世界的なシンボルになって、話題を提供しています

      

万博の後も、ノルウェー人が、2階からパラシュートで飛び降りて死んだとか、自転車乗りがエッフェル塔の駆けあがりに挑戦し、2階まで13分58秒で上がったとか、エピソードには事欠かずでした。

       

       

しかし、最大のスキャンダルは、エッフェル塔を売りに出す計画でしたヴィクトール・ルースティックというテェコ生れのフランス人詐欺師の画策で、偽の書類をでっちあげ、1925年に、エッフェル塔をある実業家に一時、売却することに成功したのです後から、「エッフェル塔を売った男」というタイトルで映画にもなりましたし、「フランス詐欺物語」という出版物にもなりました。もちろん、売却計画は、見破られて頓挫したから、今のエッフェル塔があるわけですが、ここまでくるには、これほどのスキャンダルを持ち、話題をさらった観光地は他にありませんね

      

9月に入ってからのフランスは、何か急速に秋が深まったかのような朝晩の寒さですが、日も短くなってきました。暗くなると提示に点滅がみられるイルミネーションもエッフェル塔の象徴ですね。秋から冬にかけては、夜が長く、イルミネーションの楽しみも増えますね。

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