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ホリデイ現役添乗員日記

近畿日本ツーリスト ホリデイ現役添乗員が新鮮な情報をそのまま皆様にお伝えします

自慢の写真で綴る「フランスの美しい村」

2011-11-01 03:50:28 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。フランス南西部は、グルメと美観の宝庫です。引き続き、看板に偽りのない「フランスの美しい村」を、自慢の写真で見てみましょう。

      

フランス南西部のペリゴール地方というところは、フォワグラの産地で、かつ美食とグルメで有名な地域です。サルラのまちにも多くのグルメ専門店があります。

      

      

フォワグラ専門店には、ガチョウの置物が招き猫代わりにあります。13世紀から、商業の中心地で栄えたサルラの町は、中世期やルネサンス様式の建築の宝庫です。

      

      

      

      

作家でなおかつ文化相だったアンドレ・マルロー提唱の「歴史的町並み保存のための法律」適用第1号です。その後訪れたサン・シル・ラポピーも南西部の「美しい村」でも、フランス人に最も人気の高い町です。「知る人ぞ知る」ですね。

      

      

      

高い所から見下ろすとこの町の魅力は倍加します。

      

      

      

      

      

ここは、ミディ・ピレネー地方ですが、「フランスの美しい村」の資格要件を満たす証明の看板があります。

      

      

そして、この美しさです。

      

      

同じミディ・ピレネー地方では、昔から、巡礼の町としてはルルドがしられており、その影に隠れがちですが、景観の美しい巡礼の村としては、コンクも優るとも劣りません。

      

地元のロバに迎えられて、コンクの町にも入ってみましょう。

      

      

      

      

人も少ないし、地元のネコも愛されて、ストレスがないせいか、のんびりしています。

      

宿泊したホテルにいたガチョウとも、毎日顔を合わせると寄ってきて、すぐ仲良くなりました。

      

      

ミディ・ピレネー地方は、フランスでもスペインに近く、スペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラに続く巡礼路という位置づけです。そんな歴史的役割とは無関係に、何気ないたたずまいの中に、「ふだんの顔」の魅力を見せています。

      

      

      

フランスには、ユネスコの世界遺産も多いですが、「フランスの美しい村」も忘れてはいけない魅力的な観光資源でしょう。パリのような大都市や、もっとメジャーな観光地をご希望の場合は、迷わずホリデイツアーへどうぞ。

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「フランスの美しい村」はスケッチ天国

2011-10-23 07:22:28 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。「フランスの美しい村」の話題が最近良くとりあげられています。世界遺産とはまた違う、フランス国内の認定協会があるそうです。その目的は、質の良い遺産を多く持つフランスの田舎の小さな村の観光を促進することだそうです。さすがに、観光促進というだけあって、どんなに小さな田舎の村へ行っても、観光案内所(フランス語では、オフィス・ツーリスム)があって、英語はじめ、各国語で案内のできるスタッフが常駐しているのは驚きです。有料のものもあるけど、大抵の簡単な市街地図や、土地やお国自慢のブロシュアは、現地語のフランス語でもよければ、ほとんど無尽蔵にもらえます。英語版でも、それなりに充実した資料がもらえます。

      

      

      

今回、ホリちゃんが行ったのは、大西洋岸のボルドーから、100Km内陸に入ったサンテミリオンというブドウ畑とワイナリーで有名な街。「サンテミリオン」ブランドは、ワインのラベルでも良く知られているけど、今回は、観光地は一切行っていないし、有名なワイナリーやシャトーの訪問もしていない。絵の先生とともに、ひたすら「普通の街」の様子をスケッチしましょう!というツアーです。サンテミリオンの街は、けっこう大きいけど、街の中心の教会と広場を起点として、放射状に地図でみると、「歩きどころ」はせいぜい、20分もまわれば、要所に一通り行けてしまう、やはり、小さな街。

     

こんな、何の変哲もない、普通の街の様子がスケッチになり、絵になるのです。

      

もちろん、ワインの街ですから、ブドウ畑もよく目につきます。

      

      

商店街を歩くと、ワイン専門店もあります。面白いのは、日本語の「クロネコヤマト」宅配便で日本に送れますよ!という看板。きっと、日本人観光客の需要が多いとみえて、良く目につきます。

      

専門店や商店街から、脇道へ入ると、すぐ景観がピクチャレスクで絵になる。

      

      

中心の教会周辺の広場は、天気が良いと、カフェテラスやレストランで夜遅くまで賑わっています。まだ、夏時間が終わっていませんから。

      

      

地元のネコも日のあたるところを大切にしています。

      

      

      

例えば、こんな景観は如何でしょう? 一日立ち止まって動かない人すらいます。
光と光のもたらす変化をモチーフにして、時刻で変化する対象を連作にする、といった
印象派のモネのような過ごし方も大いに意義がありますね、こんな美しい村では!

      

      

      

サンテミリオンを出てからは、ドルドーニュ渓谷へと向かいました。そこで出会った珠玉のような「美しい村」との出会いは、また、別の機会にお届けしましょう。自慢の美しい写真とともにね。楽しみにしていて下さい。

「フランスの美しい村」も素晴らしいけど、その前に、メジャーな観光地にまだ行ってない方は、ぜひホリデイツアーに参加して下さい。フランスの主要な見どころを効率良く回れて、なおかつ、パリではフリータイムもある良いツアーがたくさんありますよ。

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「救われたい」切実感!~モン・サン・ミッシェル巡礼

2011-10-20 08:07:50 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。西洋史を見ていると、ローマ帝国のあと、中世ヨーロッパがやってきて、何の疑いもなく、ヨーロッパはキリスト教社会になって、民衆はキリスト教を信仰するようになっていった、という図式ができあがっているように見えます。しかし、事はそう単純ではありませんでした。

     

フランスの救世主、ジャンヌ・ダルクが魔女裁判にかけられ、旧市街広場で火刑に処せられたように、まず、カトリック教会のピラミッドの頂点に鎮座する法王様や大司教といったお偉方の意向は「神の声」そのものであり、異を唱えるものは、「魔女」と断定され、魔女扱いされた者は、「火あぶりの刑」と決まっていました。特に、カトリックの腐敗・堕落に立ちあがって、新教を唱えた宗教改革、プロテスタントの時代がやって来ると、世の中はデマや異説も飛び交って、庶民の拠り所や信仰の原点を揺るがすような、様々な教えを唱える者が跋扈するようになりました。千年王国的ユートピア説、終末論的絶望論、最後の審判による運命予定説、運命は巡礼によって変えられるとする祈りと巡礼の正当説、などなどで明日はわが身がどうなるかわからない中世時代の暴力的で野蛮な世の中にあって、「死んだら天国へ行けるのか?」は、庶民の偽らざる最大の関心事でした。戦争が目の前であって、自分がまきこまれても、ペストで自分が死んでも、「死んだら天国へ行ける」のであれば、何も怖くない!、ここは自分も、巡礼の旅に出て、祈り、大天使ミカエルから、天国へ行けるお墨付きをもらおうではないか!
このモチベーションがあればこそ、モン・サン・ミッシェルは古くから巡礼のメッカとして栄えたのです。

    

ジャンヌ・ダルクの魔女裁判の誤りを認めた現代人は、ジャンヌ・ダルク記念教会を建てましたが、現代になってからの話しです。ことほど左様に、カトリック教会が自らの過ちを認めることは「沽券に係わる」ため、長い時間が必要です。イタリアのガリレオ裁判しかりです。

     

今は賑わっているルーアンの繁華街に行くと、よくそのことを思い出します。しかし、
日本人は、あの富士山のシルエットのようなモン・サン・ミッシェルの外観が大好きです。

     

それはそれでけっこうなことです。ユネスコの世界遺産になっている要因に、間違いなく、あのシルエットの美しさもあるでしょう。

     

宿泊や食事に使うホテル・レストランは、小さくても快適で使いやすいところが多いです。昔は大変だったはずですが。

     

     

     

ところで、大天使ミカエルって何でしょう? ヘブライ語ですが、新約聖書のフィナーレを飾る「ヨハネの黙示録」に出てくる大天使です。大天使には珍しく、鎧・兜を身にまとい、翼をはやし、一見軍人にも天使にも見えます。そう、地上の悪の象徴と戦う武器をもっています、なおかつ、人間の魂の正邪を判定する秤ももっています。フランス語ではサン・ミシェルとよばれ、地上で死んだ人を天国へ導く役割、天国と地上との橋渡しをする役割があります。だから、昔の人は、競って、聖ミカエル詣でに、巡礼の旅に出たのです。そして、聖ミカエルゆかりの地は、昔から「聖地」として、多くの巡礼者をよぶ力があったのです。

     

地元民のためのサン・ピエール教会にも、やはり、聖ミカエルの古い像があります。
また、カトリックの象徴、マリア様とイエスの像も必ずあります。

     

   

今、このモン・サン・ミッシェルを巡って、問題が起きています。政府が、昔の景観と、昔の潮の流れを取り戻すべく、堤防を兼ねた自動車専用道路を廃止してしまいそうな流れです。そうなると、バスや自動車では行けなくなり、船でないと行けないことから、日帰り観光できなくなるかもしれません。そのことを巡って、日系の旅行社や現地のランド・オペレーターたちも団結して交渉中ですが、未だ結論が出ていません。いずれにしても、行けるうちに、モン・サン・ミッシェルへは、早く行っておいた方が良いですよ! グラン・クリュの雑踏を歩きながら、最近よくそう考えます。ホリデイツアーは、モン・サン・ミッシェルを含んだ様々なヴァリエーションのツアーをもっていますから、思い立ったら吉日で一年通して、いつでも行けますよ。

     

     

     

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こんなことまでできる!「パリ5連泊」ツアー

2011-07-04 16:56:45 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。海外旅行につきもののスーツケースをともなった移動は、頭痛のタネであり、足かせであり、うっとうしいものですね。あのでっかいお荷物さえなければ、もっと、フットワークも軽くと考えたことはありませんか?それに、ホテルも1泊だけよりは、2連泊の方が、ずっとゆっくりできますよね ホリデイツアーにもあるんです。2連泊でなくて、パリの町に5連泊するツアーがあるんです。これがなかなか優れものなので、お勧めポイントを挙げてみましょう
「パリからめぐる華やかなフランス7日間」というタイトルで、パンフレットに載ってますよ 

まず、全体の日数が7日間で終わるから、8日間が主流のパッケージ旅行よりも休暇がとりやすいでしょう。また、ホテルは、Sグレードといって、パッケージ旅行で使うホテルの中では、グレードの高いホテルが選りすぐられています。ホリちゃんの泊まったホテルは、オスマン通りといって、オー・プランタン、ギャラリー・ラファイエットの2大デパートが並んだ通りでした。買物に便利なのは言うまでもなく、オペラ座やルーブル美術館、歩くつもりならばもっと遠くまで、例えば、シャンゼリゼ、凱旋門、ノートルダム寺院なども充分徒歩圏内に入ってしまいます。

このツアーでは、他のツアーでめったに行かない「シャンティー城」の見学が入っていることも、おすすめポイントですね

   

旧絵画(1850年以前)においては、ルーブルに次ぐといえあれる充実した絵画の作品点数と内部の美術館としての素晴らしいコレクションには目をみはります。

   

   

外観もヴェルサイユを思わせる幾何学的、左右対称性、勇壮にして華麗な雰囲気は一見の価値があります。

   

   

   

言われるまでは、誰もこの近くに競馬場があるとは気が付きません。競馬場は、ロンシャン競馬場もそうですが、ドレスアップして、カップルで楽しみに行くおしゃれな場所です。ベンツやロールスロイスが似合いそうです。外国へ行っても同じです。イギリスのエプソン競馬場なんかは、紳士・淑女の社交場です。どっかの国のように、風采の上がらないオッサンのたまり場なんかではありません。

   

シャンティー城の庭園を歩いて、場内の絵画・作品に触れれば、もうひとつ宮殿・中庭・美術館を追体験したような充足感を感じるでしょう。

   

   

もちろん、パリが初めての人たち用に簡単な市内観光やルーブル美術館、ヴェルサイユ宮殿といった定番のガイド付きツアーも付いています。それでいて、自由行動もたっぷり1日あって、市内観光では、行けない、若しくは、バスが止まれない制約のあるところも自由自在に歩けます。

  

  

ノートルダム寺院のバラ窓も歩いて行って好きな時みられます。

   

セーヌ川左岸のスポットは、この機会にゆっくり歩きましょう。ノートルダム寺院から橋を渡ったらサン・ミシェル大通りで、パリ大学の神学部・哲学部であるソルボンヌ、
学生街のカルチェ・ラタン、リュクサンブール公園なんか「パリの哲学者の道」そのものですが、観光客にも敷居が低く、いつでも気軽に行けます。

   

   

サンジェルマン・デプレ界隈は、繁華街ですが、有名なカフェでお茶を飲むのもお勧めです。このブログでも取り上げた「ドゥーマゴ」などです。

   

ダヴィンチコードのブームのときは大騒ぎでしたが、いまは静けさを取り戻している
サン・シュルピス教会も行きたいところです。また、食文化と「食べ物のお土産」を見て歩くのに、時間がないと行けない「ボン・マルシェ」にも言ってみましょう。
 
 

このツアーは食事も良く考えられていて、個人で上ることを考えたら大変なエッフェル塔にも上るし、何よりも、エッフェル塔のレストランで食事したという体験は貴重な想い出となるでしょう。

   

   

料理も、ヌーヴェル・キュイジーヌ風、言ってみれば、フランス風「懐石料理」で見た目に綺麗で華があります。もちろん、世界遺産修道院「モン・サン・ミッシェル」のような遠いところも、日帰り観光ですませますから、まるまる5日間、スーツケースの移動やホテルのテェックイン・テェックアウトのことに煩わされることなく時間を有効に使えるのは言うまでもありません。しかも、まだまだ、夜22:00近くまで日が高いから、フラッシュなしで写真はとれるし、明るくて歩きやすいし、へたな周遊ツアーに参加して、1泊の移動の連続であるよりはるかにお勧めです。自由行動日も、その気なら、「ロワールの古城巡り」のオプションもあるし、ハトバスツアーもあるし、自分の足で歩こうと思えば、ホリデイツアーの添乗員という強い味方がいます。きっと彼らはあなたの良きアドバイザーとなります。では、パリ5連泊ツアーをお楽しみ下さい

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セーヌ河左岸で頭を使い右岸でお金を使う

2011-04-19 04:30:44 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。パリの街の散策は、その都度発見があって楽しいものです。良く知っているものを実際に自分の目で見たときの「確認」の喜び、それから、知らないもの、予備知識がなかったものとの出会い、知っているものが、違った角度から視界に入ってきて再発見する喜び、こうしたことが、パリの散策では、日常的にかなり高い確率で起こるのです。ところで、フランスで昔から言われてきた言葉の中に、「人はセーヌ河左岸で頭を使い、右岸でお金を使う」というコメントがあります。フランス語原語では、
On pence et depenses という格言になっています。

   

パリの発祥の地、シテ島には、フランス人すなわち全カトリック教徒の心のふるさとであるノートルダム寺院が建っています。ここは、ゼロマイル地点でもあり、パリから他都市への距離を算出する起点として、日本橋の役割を果たしています。ここから、セーヌ河左岸に渡ると、本当に知的で「頭を使う」雰囲気があります。

   

サン・ミシェル大通りやサン・ジェルマン大通りが近く、カルティエ・ラタンという学生街にすぐ入るからです。パリ大学、そしてその中でも神学と哲学を中心に扱う人文学部はソルボンヌとよばれます。そうした学生が立ち寄るだろうと思われる古風な本屋さんが軒をならべ、このデジタルの時代にあっても、何の違和感もなく周りの景観に溶け込んでいます。

   

また、パンテオンやフランス人にとっての聖地であるサン・ジュヌビエーブの丘があります。

   

カルティエ・ラタンの近くには、学生の絶好の散策と憩いの場であるリュクサンブール公園があります。

   

サンジェルマン・デプレ教会の界隈に来てみると、ルイ・ヴィトンのブティクがあったりして、観光客がいっぱいいますが、かつて、サルトルやボーヴォワールなどの実存哲学者たちが通った有名なカフェがあって、基本的には「頭を使う」雰囲気です。

   

カフェ「ドゥーマゴ」やカフェ「フローリアン」は、そうした哲学者ゆかりの代表的なカフェです。ただ、サルトルなどは、エスプレッソかカフェ・クレーム(カフェオーレ)一杯で3~4時間も粘って、床には、煙草の灰をいっぱい落として帰るので、あまり評判は良くなかったようですが、ここで彼らが執筆したり議論したりしていたという事実から知名度が上がってお客さんが大勢来るようになったので、お店はもとを取れているはずですけどね。今でも、コーヒー一杯で2~3時間居ても、文句を言われない、というのが、パリのカフェの伝統であり良さですね。

   

セーヌ左岸の地元の人にとっては、静かに祈りまたミサに出席する神聖なる教会であるサン・シュルピス教会もあります。3年前くらいに、ダヴィンチ・コードがブームになったときは、映画や小説の舞台となって、祈りやミサとは無関係の観光客が大勢訪れて迷惑したことと思いますが、そのブームはすぐ終わってホッとしました。確かに、こうしてみると圧倒的に左岸では、頭を使う場所が優勢で知的な雰囲気がありますね。でも、そればかりではなく、エッフェル塔のような代表的観光地もあります。国鉄モン・パルナス駅界隈に行くとデパートやブティクが立ち並び、お金を使う場所には事欠きません。

  

一方、セーヌ河右岸は、商業施設が多く、買物したり、夜も歓楽街として有名な場所があります。モンマルトル界隈は、その一つで、丘のふもとには、フレンチ・カンカンの踊りをみせてくれる「ムーランルージュ」があり、ロートレックやユトリロの時代から「赤い風車」のシンボルとともに良くしられたナイトクラブでした。

   

シャンペンを飲みながら、大人のエンターテインメントとしてのショーを楽しんだり、
カップルでダンスを楽しんだりするところが、フランス語で言う「キャバレー」です。

    

同じようなナイトクラブがシャンゼリゼ大通りにもあります。「リド」と言います。ムーラン・ルージュと並んで、パリの2大ナイトクラブです。リドでは、ブルーベルガールズというスリムで長身の女性ばかり集めて、アメリカンスタイルのレビューショーを見せてくれます。

   

もともと高級ナイトクラブですから、入場もそんなに安くありませんし、好きなように飲んでいると、とんでもない金額になりがちです。昼間、買物でにぎわうところは実にたくさんあります。オスマン通りのデパート街、オペラ座界隈、サントノレ通り、マドレーヌ寺院周辺、等々まだまだあります。しかし、お金を使うところは右岸では優勢ですが、ルーブルやオランジュリーといった美術館をはじめ、カルチャーに触れるところもあるのは言うまでもありません。下の写真はオルセーで、左岸です。

   

セーヌ河の流れる進行方向に沿って、左側を左岸、右側を右岸と言いますが、雰囲気が違うことは良く分りますね。パリの街は懐が深く、何度行っても飽きることはありませんから、一度行った方も、それで満足していないで、ぜひリピートして下さい。皆さんとホリデイツアーでパリに行くのを楽しみにしています。フリータイムもしっかり取れるツアーが多いですよ。それに、添乗員がついていれば安心ですね。

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フランスの「自己中」に学ぼう

2011-04-10 18:41:31 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。大震災・大津波から、3週間以上たちました。依然として、被災者の皆様は不自由で、心細い生活を余儀なくされている方が多いはずです。心より、お見舞い申し上げます。以前のブログで、フランス人の親切にふれて、航空券の日付をスムースに変えて帰ることのできた方がいたという話を載せました。 その一方で、日本人に対しては、心から同情しているものの、自分自身が、今の日本の現状と向き合ったときに、フランス人として、リスクを負うべきでない、と考えている人が多いです。人がなんと言おうと、危機管理は、自分の裁量と責任で行われるべきだと、国家も国民も考えているのが、フランスなのです。 東日本大震災が起こってからは、しばらくパリにいましたが、メディアが報道する中で、日本人に対する称賛の意見や発言がたくさん出ていました。あの無秩序と混乱の中で、もし、これがフランスだったら、もっと、火事場泥棒的な犯罪が横行していただろう、そして、現状に我慢しないで、個人的要望をこれでもか!とばかりに、ぶちまけるだろう、それを、日本人は、「仕方がない」の一語で片づけて、まるで、統制された軍隊の様に、他人を思いやりながら、一糸乱れず、文句を言わず、整然と行動しているではないか!という報道が目立ちました。                 

それから何日かたって、事故や被害の分析に焦点が移ったとき、偉大なる「個人主義」大国フランスらしい視点や行動が目立ってきました。

  

あのジャンヌ・ダルクですら、魔女裁判と火刑が終わって何百年もたってからですからね、フランスが裁判の誤りを認めたのは。今では、「英雄」で、「救世主」で、「聖人」ですが、それを公式に認めるまでは、フランス人らしく頑固でした。ドラクロワの「自由の女神」はフランスの三色旗を描いていて、「自由」「平等」「友愛」を表しています。
  

理念は美しいですが、その後のフランスの歴史をみると、「自由」「平等」「友愛」を守ることとは、激しい反権力闘争、革命そのものでした。まさに、「自由」とは、勝ち取るものであって、「権利を得る」ということは、レジスタンスそのものでした。もし、原発事故の後の放射線の問題で、フランス政府や原子力関係機関が、「直ちに、人体に影響が及ぶ数値ではない」などと発言したら、国民は大騒ぎし、デモ行進や抗議集会で街は麻痺してしまうでしょう。責任追及の論点は明確です。より詳細な現状分析と今後の処方箋、将来の保障などを詳細に要求し、納得いかなければ、政府転覆まで行きかねません。たとえば、タクシーの運転手には、「乗車拒否権」が認められていて、そんな、我々日本人からみれば、ろくでもない権利獲得のために、毎年、ストライキも辞さないのが、フランス人なのです。日本人が「仕方がない」と言って、誰も恨まず、憎まず、時の政府に対する抗議や怒りの声をもっとあげないのがもどかしいようです。

そんなフランス人も、外交や外国相手の視点で自国をみたときは、「ナショナリズム」でまとまります。サッカーの試合はその最たるものでしょう。フランス学士院は、「美しいフランス語」を維持し、外来語や外国語なまりの「不純な」フランス語を排除しようとする国家機構です。

   

個人主義が徹底している様でいて、公共のために大切とされるものは、それを守り抜くために、命がけにもなります。

   

エッフェル塔も出来る前は、市民の大反対にあったのは有名な話です。市民にとっては誇るべき「街の景観」を壊すからという理由でした。

   

ルーブル宮殿の中庭にピラミッド型の建物を建てるのも、当初は景観の問題で、大反対にあいました。結局は国の意向で決まってしまうことでも、決定のプロセスでは、多くの反対運動やデモを生み出しています。

   

現在の整然とした街づくりは、建築基準法や、建物の高さ規制、色規制、ファサード規制などで厳しく景観が守られています。また、デファンスなどの高層ビルが林立する副都心地区は、環状線の内側の中心部には許されないとか、公共の決まりごとを自分たちの享受すべき「権利」として認めているから、お上から授かった法律とはちょっと違った視点で、自分たちが守り抜くべきものと考えています。

   

フランス語には、「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。1国の指導者やエリートも含まれますが、高貴な生れの者、すなわち貴族は、それにふさわしいリーダーシップと教養を兼ね備え、一般庶民を勇気をもって、導いていかなければならないという思想です。ところが、フランス人が日本の史上まれにみる災害に際してみたものは、ノブレス・オブリージュを全く発揮しない政府と、同時に、国の指導者よりもずっと高貴な日本人の「モラル」でした。

フランスはこれまで、ドイツと並んだ原発推進国でした。だから、人ごとではないと思い、サルコジ大統領や原子力発電会社のCEOが技術援助に来たりしています。一方、
ナショナルフラッグキャリアである、エールフランスは、成田を避けて、給油や乗務員交代を韓国でやったりしています。とちらも、単なるエゴイズムではすまされないでしょう。日本という国の危機管理のあり方に疑問符を投げかけ、技術提携や援助を申し出ると同時に、自国民のフランス人や企業に対しては、日本退避勧告をはじめとして、可能な限り、放射線のリスクを回避させる、合理的「身勝手」、「自己中心主義」が光ります。日本人としての「高貴さ」を失わないようにしながらも、ときの権力者にもっと、正論としての抗議の声をあげるフランス流「自己中」をもっと見習ったら面白いと思います。その合理主義の流れは20世紀の哲学者に受け継がれ、もし、サルトルやボーヴォワールが健在だったら、カフェ「ドゥ-マゴ」で、談論風発しながら、今の問題を議論していたかも知れません。 

話は違いますが、イースターのシーズンとともに、ヨーロッパが急に暖かく春めいてきました。ぜひ、ホリデイツアーでフランスへお出かけ下さい。

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エッフェル塔にのぼってみよう

2011-03-04 14:49:52 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。エフェル塔は、外から見て、ランドマークとして、パリの象徴として目立つだけでなく、外観も美しく、かねがねのぼってみたいと思っている人は多いでしょう。実際に展望台からの眺めだけでなく、色々な角度からエッフェル塔をみてみましょう。

       

入口は4つの塔の下にあって、晴れた日はかなり並びます。退屈だから、下からもフォーカスして写真をとってみました。

       

超高級レストラン「ジュール・ヴェルヌ」だけは、予約客が並ばなくても良いように専用入口があります。

       

実際エレベーターでのぼってみた展望台の様子も下から見えます。

       

展望台からは、東西南北 360度の角度から、パリの市街地や観光地が展望できます。まずは、セーヌ川にかかる橋と左岸・右岸の様子がわかります。

       

エッフェル塔全景写真のスポットでもあるシャン・ド・マルス(陸軍士官学校と広場)は、さすがに近くてくっきりみえます。

       

ナポレオンが埋葬されているアンヴァリッドも目立っています。

       

西側の副都心として有名なデファンス地区の高層ビル街も遠望できます。

       

       

北に目を転じると、モンマルトルの丘にそびえるサクレクール寺院がめだちます。

       

それ以外でも、パリらしい市街地の広がりが色々な角度からわかります。自分でのぼってみても、お気に入りのシャッターチャンスが目の前に広がることでしょう。

       

それから、ホリデイツアーで来られるコースの中には、「パリからめぐる華麗なるフランス7日間」というコースがあります。このコースはパリの一流ホテルに5連泊するのでおすすめです。あの、モンサンミッシェルも、日帰りです。競馬場で有名なシャンティーのお城やヴェルサイユ宮殿などの、華麗なるお城や宮殿、ルーブル美術館のガイドツアーなんかも入っていて中味も濃い上に、肝心なパリでの自由時間がたっぷりあって
買物も自分のペースでできます。それから、このコースでは、通常、並ばなくてはいけないエッフェル塔に、待たずにのぼれます。展望台を楽しんだ後は、1階のレストランでランチもついています。エフェル塔のレストランで食べるなんて素敵な企画でしょう。

       

       

フォワグラの前菜が出ていますが、ヌーベル・クイズイーヌ風で盛り付けがおしゃれです。

       

       

メインもデザートも見た目がとても綺麗ですね。

メインコースと一緒に写っているワインもついていますよ。
ぜひいちど、ホリデイツアーのこのコースでいらっしゃって下さい。前に、パリに来たけど、時間不足で満ち足りてない方には特にお勧めします。

       

帰りも、塔の下で集合して専用バスで移動ですから、何の心配もありません。

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モンマルトルで癒される

2011-01-28 13:23:39 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。モンマルトルの丘は、パリの街でも多様な顔をもっています。多様な顔ではあっても、「下町的」、「ボヘミアン的」という表情を特定することはできます。

        

そう、19世紀的な昔の雰囲気に浸り、ノスタルジアというものを楽しむことができるのです。だから、精神的に癒されるのです。パリの街でいちばん高い山であるモンマルトルは、昔から聖地扱いされ、巡礼の人がたくさん訪れた場所でした。それに、外国人や移民、出稼ぎ労働者らが入ってきやすい雰囲気が何故かあったようで、ボヘミアン的で下町的な雰囲気ができていったのですね。

        

丘の下に来るとサクレクール寺院がそびえ立って見えます。感動ものですが、歩くのがしんどい方は、フニクレールという乗りものに乗って上がってもいいですね。

        

サクレクール寺院は、普仏戦争やパリ・コンミューンの混乱で疲弊した市民の憩いと亡くなった兵士の慰霊の目的でできた、ビザンチン様式の教会です。カトリック王国のフランスでは珍しい寺院です。

        

この寺院まで上がって下を見下ろすと、視界の良い日には、セーヌ川の反対側のエッフェル塔やモンパルナスタワー、アンヴァリッドの黄金のドームまで見えます。また、この寺院の裏手に回ると、ぐっと下町的雰囲気になり、雑貨中心のお店や庶民的なカフェがあります。

        

ボヘミアン的な雰囲気に誘われて、画家のタマゴや芸術家たちもたくさん集まってきました。ユトリロ、ロートレック、ルノアールの時代から、それは続いているのです。もちろん、芸術家くずれもたくさんいますが、その玉石混淆ぶりもモンマルトルの魅力なのですね。

       

治安が悪いとか、ボられるといった悪いイメージもあるんですが、雰囲気を見ていてこの画家には描いてもらっても良いと感じて、波長が合えば、その場で似顔絵を描いてもらえば良いのではないですか?20ユーロとか、50ユーロとか、相場はあってないような感じですが、自分でこれ以上なら出費しないという上限を決めていけば良いのでは?

       

疲れたら、画家の広場にカフェがたくさんあるので、お茶を飲んで、足を休ませながら広場の雰囲気をみていれば、面白いです。

        

さらに先へ進むとブドウ畑もあり、ラパン・アジルというシャンソニエもあります。

        

ここまで来ると、庶民的とか下町とかいうよりも、「鄙びた」という感じがぴったりです。エミール・ゾラやドガのお墓があるモンマルトル墓地が有名ですが、ユトリロの墓は、サンヴァンサン墓地にあります。

        

丘を下りていくとクリシーという大通りがあって、パリの街有数の夜の繁華街です。ボッタくり専門の店もあって、男性陣は鼻の下をのばして歩くと要注意ですぞ!!でも、フレンチ・カンカンの発祥のキャバレーであるムーランルージュは、まともですから、気が向いたらドレスアップして行ってみましょう。

        

もちろん、老若男女みんなが楽しめる大人のエンターテインメントとショーです。

        

パリの特にセーヌ側の右岸の中心地は、人でごったがえしていて、大都市としての利便性はあるものの、日本の大都市の悪いところをそのまま持ってきたような「せわしない」雰囲気があって、疲れるのです。その点、モンマルトルは、今のパリが失ってしまったのんびりくつろげる安心感があって癒されます。ぜひ、ホリデイツアーでパリにお出かけになり、モンマルトルへも行って、癒されることをお勧めします。

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好きなときに、シャンゼリゼをぶらぶら

2011-01-26 21:01:31 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。幅71mのシャンゼリゼは、誰が考えてもパリのメイン中のメイン ストリートです。プラタナスとマロニエが見事で、こういう街路樹をもったメインストリートは「アヴェニュー」とよばれ、シャンゼリゼも「アヴェニュー・ド・シャンゼリゼ」が正式な名前です。凱旋門から、コンコルド広場まで1.8Kmで、なだらかな下り坂になっているので、この散策がポピュラーですが、逆に、コンコルド広場から凱旋門へ向かって歩く散策も、凱旋門が次第に視界に入ってくる感動があります。

        

コンコルド広場には、中央にオベリスクが立っています。「コンコルド」は飛行機のネーミングにも使われましたが、「調和」という平和的な意味です。でも、昔は「革命広場」と呼ばれ、ヨーロッパ史上前代未聞とされた国王と王妃の処刑が行われました。

        

オランジュリー美術館が背後に見える位置にギロチン台が置かれ、マリー・アントワネットとルイ16世が処刑されたのです。

       

歩きだしてしばらくすると、右手、奥まったところに、エリゼ宮があります。昔、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人や、ナポレオンの皇妃ジョゼフィーヌが住んだ宮殿、今は大統領官邸です。このあたりは、高級ショッピング街であるフォーブール・サントノレ通りとほぼ並行しているので、日本人はそちらをよく歩いています。

        

左には、グラン・パレという国際会議場・展示会場がプチ・パレと並行して見えてきます。その先に円形の広場があります。車のロータリーになっているところで、ロンポワン・ド・シャンゼリゼといって、脇に伸びたモンテーニュ通りは、これまた、有名な高級ショッピング通りです。名前だけ哲学者のようですが、みんなここでは頭を使うのではなくおかねを使うようです。コンコルドから凱旋門まで、メトロも4駅分あってけっこう歩きごたえがあります。疲れたら足を休めるオシャレなカフェにはこと欠きません。

        

凱旋門まで1駅手前まで来ると、有名なカフェがあります。「フーケ」という昔から有名なカフェ・レストランです。レ・マルクの「凱旋門」という小説に出てくるので、大正や昭和世代の日本人は知っている人も多いです。その向かい側は、ルイ・ヴィトンの巨大なビルが建ってしまって、景観調和的に見ると残念です。

        

通りをはさんだ向かい側には、パリの2大ナイトクラブである「リド」があって、毎日大人向けのエンターテインメント&ショーをやっています。

        

ナイトクラブとしては、モンマルトルにある「ムーラン・ルージュ」が発祥の地です。あちらは、フレンチ・カンカンと呼ばれる、踊り子さんのショーが目玉で、画家のユトリロやロートレックの時代からある歴史の長いものです。リドは、ブルーベル ガールズという外国人の長身女性を集めて、アメリカンスタイルのミュージカルなショーをやっています。

        

男女ペアで入ってデートできるところ、ステージではダンスタイムまであり、シャンペンを飲みながらショーを楽しむところを、フランス語で「キャバレー」というのですが、日本語に訳されると、「男性天国」的に意味がゆがんでしまうのは、どういうわけでしょうか?

        

いよいよ、凱旋門です。周囲は、円形の広場になっていて、放射状に道路が12本延びる景観を★に例えて、エトワール広場と言います。それに、かつての対独レジスタンスの英雄であり、また偉い政治家であったド・ゴール大統領の名前をダブルでつけて、シャルル・ド・ゴール・エトワール広場といっています。

       

昔の日本人は、東京の銀座を散歩することを「銀ブラ」と言っていました。今では、バブルがとうに終わって、銀座が必ずしもオシャレとは言えない側面も出て来たので、あまり「銀ブラ」などという人はいません。でも、シャンゼリゼはいぜんとしてオシャレです。ホリデイツアーでパリに来て、「シャンブラ」をぜひ楽しんで下さいね。        

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オペラ座界隈(パリの自由行動編②)

2011-01-23 13:39:56 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです今回も、パリの自由行動がテーマです。自由行動する際とても大切なことは、パリの街は、地図さえ持ち歩けば、自分の現在位置が必ずわかるということですパリの通りの角や要所には、通りの名前と番地が必ず付いています。

       

街の美観を保つために、中心部は6階建てで統一されています。高さ規制やファサードと呼ばれる「前面」規制、色規制などがあって、統一による景観美を創っています。大通りは、ブールバールとか、グラン・ブールバールと言います。その中でも、シャンゼリゼのように、道の両サイドに街路樹が植えられている大通りは、アヴェニューと言います。そして、比較的狭い道はリュ(Rue)と言います。

        

自由行動と切っても切れないエリアがオペラ座(オペラ・ガルニエ)を中心とするオペラ界隈やオペラ通りです。何故なら、日本食レストランやラーメン屋さん、デパートや買物エリアが近くにあって、日本人が昔から大勢歩いているからです

        

1874年に完成し、話題を集めて来たオペラ・ガルニエですが、実際の公演を見るのは、とても難しいことです。オペラやバレーの知名度の高いプログラムになると、中々現地に着いてからチケットを入手するのは至難の業です。

        

しかし、入場料を払って内部を見ることは、公演中とリハーサルの時間をのぞけば割と楽にできますよ正面中央の扉から入って、受付に行きます。ガルニエ設計の中央階段やグラン・フォワイエ(大ロビー)、シャガールの天井画がある客席、豪華なインテリアなど見ごたえ十分ですオペラ座の正面から、パレ・ロワイヤル方向にまっすぐ伸びているのが、オペラ通りです。

        

このあたりまで来ると、ルーブル美術館も、歩けばすぐです。

        

やはり、パリの街中では、一等地になりますので、高級ホテルもたくさんあります。オペラ座の横にル・グランホテルがあり、1階にあるカフェ・ド・ラペはレストラン兼カフェで、通りを眺めながらお茶をする優雅な雰囲気は、パリでのオシャレな過ごし方として、昔からガイドブックや絵葉書でよくとりあげられてきました。

        

少し歩くと、ヴァンドーム広場という高級宝石店や高級ブティクばかりあるセレブな広場がありますが、あのリッツホテルもあります。

        
        

それでなくても高級なのに、サントノレ通りというショッピング・ストリートもオペラ通りとほぼ平行して通っています。そんなに高級ブティクばかり行く予定はない、もっと手頃なお土産が見たいという場合には、オペラ座の後ろにオスマン通りがあって、そこに、ギャラリー・ラファイエットやオ・プランタンという2大デパートもあります。さらに、デパートより庶民的な雰囲気で、安く買物したい、スーパー・マーケットや食料品も見たいという場合は、「モノ・プリ(Mono Prix)」というお店もあります。

        

暗くなっても、眠ることを知らないパリの街です。オペラ周辺にフランス料理の店はそれこそ、★の数ほどありますが、この界隈は和食も多いのです。あと、変わり種としては、昔の植民地のヴェトナム料理店もあります。フランス料理の一環として、よく食べるムール貝料理は実はベルギー料理です。オペラ界隈にも、シャンゼリゼにも、あちこち看板を見る「シェ・レオン」というお店はブラッセルに本店があるベルギー料理店です。バケツいっぱい、ムール貝の白ワイン蒸しを食べて、フレンチ・フライを食べるレストランです。ついでに言うと、あの食べ方は、ベルギーが発祥の地ですから、ベルギー人は、フレンチ・フライと言われると心外なはずです

        

ベルギー料理店ですから、本場の豊富なビールも選び放題、美味しいワッフルもデザートで選べます。もうひとつ紹介する場所があります。オペラ通りから、横にそれて、セーヌ川沿いの近くまで行くと、パリ市内のハトバスツアーの集合場所があります。他にも何社かありますが、シティ・ラマ社の黄色いバスと集合場所となるチケット・オフィスが写真に写っています。

        

パリからの日帰り観光や比較的遠出をする場合、こうしたハトバスツアーに申し込むのも、便利です。ジャンヌ・ダルクの騎馬像が目印になるでしょう。ぜひ、ホリデイツアーでパリへお出かけになり、自由行動の時間も満喫しましょう

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エッフェル塔(パリの自由行動編①)

2011-01-21 21:21:31 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです寒さと晴天がワンセットで、乾燥しているので、お肌に優しくない今日この頃ですね今年、ヨーロッパも寒波があって厳寒でしたが、まだ寒さは続いているようです。寒い中で、日本からの観光客はがんばっていますよ。どこへ行っても日本人をよく見ますから特にパリはね。そこでしばらくは、パリでの自由行動の過ごし方を、ホリちゃんがご案内していきましょう。

        

どこからでも目立つエッフェル塔です。パリの街自体が、東西12Km、南北9Kmと小さいために、あれだけの高さがあると、けっこう広い範囲から見えてしまうんですね個人旅行の人もいらっしゃるでしょうけれど、旅行会社のツアーで来た人は、半日市内観光で大抵案内されるのが、エッフェル塔の全景が撮れる写真スポットです。シャイヨー宮のあるトロカデロ広場が多いですね。

        

ただし、バスはわずかな時間しか停車できないため、10分くらいの全景写真の時間しかないわけです。次の写真はトロカデロ広場と向かい合っているシャン・ド・マルス(陸軍士官学校)という広場です。光線の関係で、こちらが写真スポットに選ばれる場合もあります。

        

そこで、全景写真だけのストップでは飽き足らない人たちは、当然エッフェル塔に登ることはできないか?と考えるわけです。しかし、上るとなると、2~3時間、場合によっては、数時間かかってしまう長丁場です。自由行動の時間でなければできない相談ですだって、入場料のチケット売り場にまず並んで、それから、限られた人数しか乗れないエレベーターでまた並んで待って、ようやく展望台へ上ったときには、並び始めてから2~3時間たっているのもめずらしくありません。では前もってチケットを買っておけば並ばなくても良いのではないか?と考える人も多いです。当然ですよね。誰でも長時間並んで待つのは嫌ですから。

      

でも、エッフェル塔ができたのが、1889年と昔であるために、エレベーターも建物も最新式に作り直すことができないため、1度に運べる人数に限りがあるのです。「自分はもうチケットを前もって買ってあるんだから、並ばず優先的に乗せろ!」という人が大挙して押し寄せてもエッフェル塔側では対応できないわけです。日本では公共の場所では、人を待たせないように工夫されていますが、もともと、欧米では、人を待たせるのが前提でできあがっているシステムが多いのです。昔の建物や設備を残すことにも価値をみいだしていて、そのためには、並んで待つことくらいは当たり前と思って文句を言わない人が多いのです。そこが、日本と違うところです。100年以上前からあった通信用のアンテナ塔です。できた年は、フランス革命100周年記念日であり、なおかつパリ万博の年ですそれだけの時間がかかりますから、自由行動の時間が半日くらいしか無くて、他にも行きたい場所がある場合、優先順位を決めてもらって、その結果あきらめる人もいます。しかし、エッフェル塔の楽しみ方は、入場料を払って展望台に上ることだけではありません。

          

エッフェル塔に上ってしまっては、エッフェル塔は見えないわけですから、夜のイルミネーションを見たいなどという場合は、外から見るに限ります。例えば、ホリデイツアーでは、よくある設定ですが、エッフェル塔が近くで見られるレストランで夕食をとりついでに夜景やイルミネーションも楽しんでしまおうという企画です。

        

上の写真は多少ピンボケで申し訳ないのですが、実際のレストランからの眺めはずっと素晴らしいです。ホリちゃんの写真がちょっと失敗しただけです。エッフェル塔は、3層構造になっていて、1階、2階、3階、とあってどの階の展望台まで行くかで入場料が違います。2・3階へ行くにはエレベーターの乗り換えも必要になります。あと、当然のことですが、晴れて視界の良さそうな日には長蛇の列になり、混雑します。冬は寒くて並ぶのが辛いので、そんなに極端に長い列はできませんが、夏の日が長い頃は、暖かくて並んでも平気なため、最長記録で、入場券売り場にたどり着くまで、ホリちゃんも150~200m並び、2時間待ったこともあります。もちろん、エッフェル塔の中にレストランがあって、展望台レストランで食事することもできます。 パリでは、メトロ(地下鉄)に乗り慣れるととても便利です。宿泊しているホテルから、あるいは、解散した市内の場所からどうやってエッフェル塔まで行くかは、路線図をみれば解ります 一番近いのは6号線Bir-Hakeim(ビルーハケム)という駅です。あと、
Champ de Mars Tour Eiffel(シャン・ド・マルス トゥール・エッフェル)という駅もありますが、RERというメトロとは違った電車になります。

        

上の写真はアンヴァリッドと呼ばれる軍事博物館ですが、こうした1~2駅離れた場所からもエッフェル塔めざして歩けます。乗り換えが難しいまたは面倒な場合、例えば、シャンゼリゼから歩くことだってできます。パリ中、健脚で歩き通す人すらいます。しかし、雨の日、雪の日はもちろん、タクシーがつかまらないときは、いくらでもあります。そんなとき、メトロの乗り方を知っていると知らないとでは、全然安心感が違います。メトロのチケットは、1枚づつ買うと、1.7ユーロですが、カルネといって、10枚まとめて買うと、17ユーロではなく、12ユーロとお得です。地下鉄の中や、駅の構内は盗難が多いので、スリに合わないよう、パスポートホルダーにパスポートを入れて衣服の下に着込むといった、細心の注意が必要です。エッフェル塔の列やエレベーターの中でも、混んでいると、どさくさにまぎれて、スリが暗躍します。ぜひ、気をつけてパリの自由行動を楽しんで下さい。ホリデイツアーでいらっしゃれば、経験豊富な添乗員が自由行動の相談にのったり、盗難防止対策のアドバイスもばっちりですよ

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イタリア・ルネサンスが育てた優雅なフランス

2011-01-19 23:55:09 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。今のEUを見ていると感じることですが、昔のローマ帝国を名乗れるようなグローバルな、聖俗双方でヨーロッパのリーダーを自負できるような、そんな現代版ローマ帝国への憧憬をずっと引きずっているのが、今のヨーロッパ諸国連合ではないか、と思うのです。中世時代にできた「神聖ローマ帝国」も、中味はモザイク国家で、小国分立だったくせに、外枠だけの意味しかもたなかった「神聖ローマ帝国」というインターナショナルな国家の皇帝として、認められたがった人物がどれだけいたかを歴史を振り返れば、明らかです。 今回も話題はフランスになるのですが、今のEUを引っ張っていく先進国のフランスではなくて、観光で良く行くロワール川沿いにお城が次々建てられた時代、フランスは後進国でした。イタリアが先進国で、王宮を兼ねたお城や貴族の館は、イタリアのルネサンス様式を取り入れて、次々建てられたのでした。

       

シャンボール城もそうですし、シュノンソー城も然りですね。

       

まだまだ、他のお城も数え上げればきりがありません
当時のイタリアは、ルネサンスの時代で、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの天才を輩出した時代でした。フランス史も、ブルボン王朝になると、ルイ14世やマリー・アントワネットが出てきて、なじみがあるのですが、その前のロワールにお城ができた時代は、ヴァロワ王朝と言って、あまり日本人に親近感がありません。シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世と聞いても、プロフィールが鮮やかに頭に浮かぶ日本人は少ないと思います。 しかし、その3代の王様たちは、皆、一種の「イタリア・コンプレックス」から、何度もイタリアに戦争をしかけた王様たちです。軍事的には、失敗に終わったイタリア戦争も、イタリアのルネサンス文化がフランスを啓蒙する接点になったのです。「軍事的征服に失敗し、文化的にイタリアに征服された」というフランスへの評価がぴたりとあたるのです。建築や絵画、彫刻のような造形芸術だけでなく、目に見えない思想や哲学・文学も、フランスに影響を与えましたし、料理や食生活の分野でもイタリアの影響を受けました そのきっかけとなった人物がカトリーヌ・ド・メディシスでした。

        

フィレンツェのメディチ家からフランス王室に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスはコック長や料理人を多数引き連れて来たために、イタリアの宮廷料理の伝統や手法がフランスに伝わり、フランス料理のルーツになったのです。当地のイタリアでは、「メディチ」という名がフランス語では「メディシス」と発音されます。ルネサンスとは、「文芸復興」と訳され、キリスト教と神学の側面からだけものを見る中世時代の束縛から解放されて、古代ギリシャ・ローマの時代と精神に立ち返ろうという「人間中心主義」です。それが建築の手法にも名前が使われて、「ルネサンス式」となるのです。「ロマネスク」という言葉には、「古代ローマ風の」とか「ローマ人の好みに合った」という意味がありますが、19世紀のドイツ、バイエルン王国のルートヴィッヒ2世が建てたノイシュヴァンシュタイン城は「後期ロマネスク式」でできています。

        

イタリア・ルネサンスの文化は、アルプス以北のドイツや中欧、北欧へも影響を与えたのです。ローマ人が好んだという「ロマネスク式」の建築はアーチ型の多用を特徴としています。アーチ型の延長線上に「凱旋門」が来るのですが、パリの凱旋門は19世紀の作品です。凱旋門のオリジナルは、ローマのコロッセオ(円形闘技場)の脇にあるコンスタンティヌスの凱旋門ですね。

        

現代のパリに、ルーブル美術館があります。旧ルーブル宮殿です。その中庭にカルーゼルの凱旋門があります。

      

カルーゼルの凱旋門から、シャンゼリゼ通りを経て、本来の凱旋門へつながり、さらにデ・ファンス地区の新凱旋門へと、等間隔で連なるような都市計画や、シャンゼリゼ通りのプラタナス、マロニエの街路樹をはじめ、両脇の建物の均衡、途中のコンコルド広場に面した建物の均衡や左右対称を重視した建物の配置は、ルネサンス式の特徴を受け継いでいることになるでしょう。

        

今のパリを、そして今のフランスの街や建物を限りなく優雅に美しくしてくれている原点は、イタリア・ルネサンス、そして、そのルーツはローマ帝国にあるのでしょう。ぜひ、ホリデイツアーでフランスへお出かけになり、イヤホーンガイドで説明を聞きながら、美しい写真をいっぱい撮って楽しんで下さい。

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6人の貴婦人たちの城、シュノンソー城

2011-01-12 21:37:36 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。こんにちは。ロワールのお城の中でも、ツアーでよく入場観光するお城の代表格がシュノンソー城です。

        

このお城は、歴代の城主として歴史に名を残した主人公たちが、みんな女性であったという点に特徴があります。今回はその6人の女主人公について書きます。

        

まず最初にこのお城は、フランス王国財務長官トマ・ボイエのものになりましたが、多忙なボイエに変わって、妻のカトリーヌ・ブリソネが仕切っていました。実質、女主人公の1人目ですね。ボイエが亡くなったとき借財返済の必要に迫られて、国王フランソワ1世に譲渡されました。正式に王室の持つお城となったわけですね。

        

フランソワ1世は、子息のアンリ2世にこの城を譲ることから、宮廷内の不可解な三角関係、不倫物語も係わってきて城をめぐる女たちの闘いの様相を呈してきます。アンリ2世には、母と子ほども歳の離れた年上の愛人ディアヌ・ド・ポアティエがいて、その愛人に入れ込んでお城をなんとも気前よく彼女に与えてしまうのです。

        

どうして、どうして!王様の心を捉えるに充分な美貌の持ち主です。このディアヌが当然第2の女主人公です。アンリ2世と並んでレセプションや公式セレモニーに列席すると、まるで年齢差のないお似合いのカップルに見えたそうです。これでおさまらなかったのは、はるばるフィレンツェのメディチ家からアンリ2世に嫁いできた正妻、カトリーヌ・ド・メディシスです。

       

カトリーヌにとって、ディアヌは、宮廷での作法や立ち居振る舞いを教えてくれる欠かせない恩人であり、なおかつその恩人が自分の夫の愛人であるという事実に、心を引き裂かれるような辛い自己矛盾にさいなまれます。カトリーヌというと、権謀術数の代名詞のようで、あまり評判がよくありませんが、十代の少女で何も分らぬまま嫁に出されて、内心ディアヌにぶち切れながらも、表に出さず、じっと自分の時代が来るのを待った、境遇が性格を冷徹にしてしまった可哀想な女性なのです。

        

何しろ、ライバルの女の容姿がこの通りですから。憎しみも100倍となったはずで、アンリ2世が亡くなると、愛妾ディアヌをシュノンソー城から追い出してしまいます。そのディアヌに与えられたお城がショーモン・シュル・ロワール城です。

        

もちろん、ディアヌがいなくなった後の第3の女主人公はカトリーヌ・ド・メディシスです。故国イタリアでは、メディチと呼ばれますが、フランスではメディシスという名になります。その後、アンリ3世がフランス国王となりますが、すぐ亡くなってしまいます。その王妃、ルイーズ・ド・ロレーヌが第4の女主人公となりました。この王妃は生涯喪に服して再婚もせず、喪服であった白い服を身につけてひきこもったため、ルイーズの間は異様な暗さです。

       

自分の涙をモチーフとして天井をレイアウトしたり、室内には、茨の冠をかぶったイエス・キリストの像を置きました。

        

ルイーズの肖像はほとんど残っていませんがこれくらいです。

        

ホリちゃんもこれだけ死を惜しまれる夫になれたら男冥利に尽きるけど、ちょっと、無理っぽいかもね その後、18世紀のフランス革命前夜の時代、第5の女主人公としてシュノンソー城を仕切ったのが、デュパン夫人です。この女性は、ヴォルテールやルソーといった啓蒙思想家と親交を深め、芸術家や哲学者をお城に招いて談論風発し、宮廷にサロンというものを導入した知的レベルの高い人でした。

        

20世紀に入って、食品メーカームニエ家という民間企業の経営するお城となり、シモーヌ・ムニエが第6の女主人公となりました。内部はとても見ごたえがあって、イタリア・ルネサンスの影響を受けてフランスのルネサンス様式に洗練・発展していく過渡期の中世的でもあり、近代的でもあるお城です。

         

ぜひ1度、ホリデイツアーで、ロワールのお城巡りを体験して下さい。そして、ロワールの支流のシェール川に臨む美しいシュノンソー城の見学を楽しんで下さい。見学するときは、ホリちゃんのはなしを思い出してね。

        


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羽田発着フランス7日間ツアー日記

2011-01-10 14:34:36 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。この前の続きです。昔、北廻り(アンカレジ経由)のヨーロッパのツアーが普通でした。何故なら、ずいぶん昔の大統領ですが、1990年代のロシアにゴルバチョフ大統領という人が現れるまでは、シベリア上空を飛行できなかったからです。そして、しばらくは、成田空港から、午前ないしお昼頃出発し、その日の夕方、ヨーロッパに着いて、そのままホテルに入るパターンにすっかり慣らされてきました。でも、その日すぐホテルで眠れるので体力的に楽でした。羽田発着コースは昔の北廻りと同じパターン。深夜日本出発で、ヨーロッパ到着は翌朝、早朝から夕方ホテルに入るまで1日拘束される体力勝負!しかし、今回の参加者は皆元気。早朝、パリ、シャルル・ド・ゴール空港で入国しすぐに出発して、350Km先のモン・サン・ミッシェルに着きました。着いたのは、お昼頃、うっすらもやがかかっていて、かえって神秘的でした。

        

しかし、午後3時半に出発する頃は、このように晴れていました。お天気は変わりやすいのです。

        

翌日、1月3日は、午前中、これまた長い移動でバスで4時間かけてロワール川のお城巡りへ。ブロワ城の周りをぐるっと回って、レストランで昼食をとり、ロワール1の規模を誇るシャンボール城の写真をとりに行きます。

        

そして、本日のハイライトであるシュノンソー城は、唯一民間経営のお城であるため、サービスも良くパンフレットもカラーで立派です。他のお城は国営なのです。

        

シュノンソー城は、入場料を払ってじっくり1時間くらい、城の中を見学します。ここを出てトゥールのホテルに着いたときには、真っ暗で18:00をすぎていました。翌日の1月4日には、午前中2時間30分かけて、シャルトルへ行きます。ロワールからシャルトルへ向かう途中、フランスNO.1の穀倉地帯、ボース平野を通過します。

        

地平線の彼方まで続く大麦、小麦等の畑の景観は果てしなく圧巻です。食料自給率100%を超している農業大国フランスの面目躍如です。そのボース平野が尽きる頃、2本の有名な尖塔とともに、シャルトルの大聖堂、シャルトルの町が見えてきます。

        

尖塔のうち、1本は火災で消失し、1本は生き残って、ロマネスクとゴシックの左右非対称の尖塔となったのでした。中のステンドグラス、バラ窓の見学もばっちりです。

        

マリア様のヴェールも以前の位置にちゃんとあった。良かった

       

シャルトルを見学した後、お昼を食べて、午後はパリへ移動です。パリまで1時間半。パリ市内に入る手前からセーヌ川が見えてきて、ミラボー橋、自由の女神を車窓から見るため、セーヌ川に沿ってバスで走ります。途中、エッフェル塔の全景写真をとるために、シャイヨー宮殿のあるトロカデロ広場でバスをとめます。

        

わずか10分しか駐車できないため、写真をとったらすぐ出発ですが、みんなお目当ての写真が撮れたと見えて大喜びです。他の所も凱旋門、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場などは、バスの駐停車の制限があるため、車窓から通り過ぎます。どうしても、歩きたいポイントは、自由時間に各自行ってもらいます。

        


オペラ座近くのヴァンドーム広場を通ったときは、リッツホテルが見えて、故ダイアナ王妃の想い出にみんな感慨ひとしおでした。それから、市内レストランで夕食をとってホテルに入ります。やっとパリに来て、2連泊でホッとします。翌日1月5日は、いよいよツアーの中味としては、最終日です。朝から、ヴェルサイユ宮殿見学です。

        

中を見学すると、当時高価で権力の象徴でもあった「鏡の間」がやはり見事!

        

パリ市内へ戻ってきて、オペラ座界隈で解散し、ホリちゃんは、希望者を連れてルーブル美術館へ出かけます。参加者みんなに日本語の案内図を渡して、入場券を買うチケットオフィスの窓口まで案内して、あとは各自見学です。

        

        

もちろん、ルーブル以外に行きたいところがある人や買い物優先にしたい人は、とっくに解散しています。地下鉄やタクシーの乗り方、免税手続の仕方も案内してあるからとりあえず自由行動に不自由は感じないはずです。翌日1月6日は、午前11:00出発のJALに乗り、機中泊、翌1月7日の午前7時には羽田空港に着いています。

       

体力的には大変だけど、帰国してそのまま、何事もなかったかのように会社へ出勤していったサラリーマンがいたのには、びっくりしました。考えてみればそれも可能なんですね。7日間で、モン・サン・ミッシェルやロワール、シャルトルといった地方の見どころを回れて、パリでは、ヴェルサイユやルーブルも行けて、自由時間もあるし、買い物もできる、優れものだと思います、このツアーは。休暇がとりにくいサラリーマンも参加しやすく、新しい旅行需要を羽田発着は取り込んで伸びていくような気がします。このブログを見ているビジネスマンの方、新婚の方、ぜひふるってホリデイツアーに参加して下さい。また、ホリデイの販売店の方々、羽田発着フランス7日間のツアーは、値段の割に中味が濃いです。自信をもっておすすめして下さい。


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「羽田発着フランス7日間」は、意外に使える!

2011-01-09 16:25:35 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。2011年最初の顔見せですが、どうぞ、今年もよろしくお願いします  新年になって、羽田空港発の国際線を飛びました
行ってみて、改めて羽田空港発着というメリットを強く感じ、これからの時代にマッチするのではないか?と思いました

          

受付に来る時から、参加者の気持ちはすでにパリへ飛んでいます。深夜11:30集合という時間は、賛否両論あるかもしれません。でも、ツアーには、それで納得した人しか来ていない。定時退社とか、19:00で終わりとか、仕事の予定が読めれば、こんなに便利な集合時間はない!仕事を休まなくても出発できる

さらに、成田と違って都心だからアクセスも良いし、交通機関も遅くまで動いてる
フライトの出発まで、食べるところも、ものを買うところも開いてる。免税店もやっているから、お土産も買えるよもし、エコノミーより上のクラスなら、航空会社のラウンジやシャワールームも使える、といううれしさ

          

機内サービスは、今回JALでしたが2回。離陸してすぐ、蒸しパンのおやつと飲物で、あとは「おやすみなさい」と、消灯 それから数時間熟睡
その間の夢は、パリをかけめぐる? モンマルトル、サクレクール寺院? あるいは、モン・サン・ミッシェル?

          

眠ること数時間、気が付いたら機内が明るくなっていて、おしぼりのサービスに引き続いて、機内食が出てきた。あと3時間でパリ到着です。和食は鶏ゴハン、洋食はサンドイッチとポタージュスープ夜中1:30に飛び立ったJALは、現地時間の早朝6時すぎに、パリ、シャルル・ドゴール空港到着。みんなの意見をきいてみると、意外にさばさばした表情で、よく眠れたとのこと。前日までの仕事疲れもあるのかな?

          

パリに到着してすぐ、モン・サン・ミッシェルめざして走るのです。走行距離350Km4時間かかります。旅の演出家、添乗員は、解説・ガイドの大切な仕事がありますが、参加者の皆さんは、疲れていたら気軽に居眠りしていけば良いのです。実際、バスの移動の間も全く苦にならなかったという人がほとんどでした。

さて、到着した後はどうなったか? また、次回をお楽しみに

ホリデイツアー
の羽田発着の旅行商品ラインアップはこれから、充実しますよ!


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