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ホリデイ現役添乗員日記

近畿日本ツーリスト ホリデイ現役添乗員が新鮮な情報をそのまま皆様にお伝えします

古き良きロワールの時代

2010-12-16 17:59:03 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。フランスの話題です。セーヌ川とパリは知っているけれども、あと、フランスではどこがお勧めですか?ときかれることがあります。今、一世を風靡しているのは、この前お話しした世界遺産修道院、モン・サン・ミッシェルです。

       

このモン・サン・ミッシェルと関連して、北のノルマンディー地方やブルターニュ地方がセットでツアーに組み込まれるケースが多いです。ですが、そうした地域が、本当に
人気スポットかというと、そうでもありません。ルーアンなんかにいたっては、ツアーに入っているから、とりあえず来てみたという人が多く、その程度の認知度かとがっかりすることもあります。昔、港湾都市でならし、著名な探検家を生んで、今の、カナダのセント・ローレンス川を遡り、ケベック・シティやモントリオールの町づくりとも関連があるサン・マロの町などは、「何、それ?」と無関心だったのを、行ってみてきれいだなと、納得してもらえるケースが多いですね。やはり、行く前からもよく知られ、ツアーが始まってからも、わくわく、楽しみにみんなが行く観光地としては、モン・サン・ミッシェルの一人勝ちですね。

       

勝るとも劣らない魅力ある地域としては、ロワールのお城めぐりなどは如何でしょう。まずは、上の写真をご覧下さい。最近行ったときは、ヨーロッパに寒波が来ていて、-2~3度のなかを歩いたので、初夏の緑映える頃とは回りの環境も違いますが、ロワール川のお城としては、最大規模を誇る「シャンボール城」です。最大規模で、外観の見栄えが最も優れているため、よくツアーでもとりあげられるのです。他にいくつものお城を建てていた国王フランソワ1世が建てた「狩りの館」です。それから、国賓をもてなす「迎賓館」としても位置づけられます。昔、「狩り」とか、「狩猟」とかいうと、王様や貴族の嗜みだったので、深い森に覆われた当時のロワール川流域は貴族や国王のお気に入りでした。

       

上の写真は、ホリデイツアーで行くと味わえる「ル・メディシス」というレストランの様子です。ちょっと、貴族的でしょう!それも、そのはず、「ル・メディシス」とは、イタリア語におきかえると「メディチ家」を指すのです。フィレンツェの貴族で、そこから、フランソワ1世の息子のアンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスは当時の話題の人です。それでなくとも、イタリアに強い憧れをもち、イタリアを傘下におさめたいと考えて、再三しかけた軍事遠征では失敗するものの、イタリアの造形芸術や絵画、建築などに魅了され、逆に文化的にはイタリアに征服されてしまった王様でした。しかし、フランソワ1世の話は、当時のフランスの事情そのものでした。ルネサンス時代を迎えたイタリアは当時の先進国で、後進国のフランスは、何でもイタリアを師として吸収したものでした。

       

レストラン「ル・メディシス」の近くにブロワ城があります。建築や建物として、専門的にみると「城郭建築の博物館」とも呼ばれ、最も優れています。しかし、ツアーでは車窓観光か、下車観光の扱いです。変わって、優先されるのは、話題性と外観の良さというところです。よく時間をかけて入場観光するのは、シュノンソー城やシャンボール城です。シュノンソー城は、独特の「宮廷内不倫物語」があるので、外観と相まって話題性十分です。

       

シュノンソー城の偉大な主人公の一人だった「ディアヌ・ド・ポワチエ」が、カトリーヌ・ド・メディシスの時代になってから、主人公の交代で追い出され、代わりに与えられて住んだショーモン・シュル・ロワール城というお城もなかなかきれいな外観をしています。

       

相対的に、ブルボン王朝が生まれ、パリやヴェルサイユに主要な王宮・宮殿ができる前の時代をロワールのお城は代表しています。もっと、昔のことですが、あのジャンヌ・ダルクがシャルル王太子と謁見した「シノン城」という中世的要塞そのものというお城もあります。前に「ダヴィンチ・コード」がブームになったときは、フランソワ1世が傾倒していたレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに呼び寄せ、ダヴィンチのために建ててあげた「クロ・リュセの館」とか、それと関連したアンボワーズ城などに良く行ったものでした。しかし、年度は変わっても、いつでも人気なのは、どうしても、外観の美しいお城ですね。シャンボール城の写真をとるために、お城の前に立ったならば、良い写真のとれるお城に人気が集まるのもよくわかると思います。

       

ぜひいちど、ホリデイツアーでフランスへ、そして、ロワールのお城巡りを楽しんでみて下さい。

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今も昔も超人気!のモン・サン・ミッシェル

2010-12-12 17:45:52 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。今日は、フランスの世界遺産修道院、モン・サン・ミッシェルの超人気の秘密をいっしょに見ていきましょう。

     

まず、このような、富士山に良く似たきれいな三角形のシルエットが日本人の美意識をくすぐります。それでいて外観の美しさは世界中の人を納得させられる普遍的な美しさをもっているといえるでしょう。

       

バスの車窓からも、近くに見えてきたらわくわくするため、大体このあたりで、みんなの要望に応えるために、バスを止めて、写真をとってもらいます。ご当地フランスでは、「建築物・史跡」としての価値も評価されていて、1979年には、ユネスコの世界文化遺産に指定されています。

        

「モン・サン・ミッシェル」という地名は、3つのパートにわかれています。まず、「モン」は「山」です。英語のマウンテンという言葉のフランス語です。参考までに、「モン・ブラン」とは、「白山」のフランス語ヴァージョンです。次に、「サン」は「聖なる」若しくは「神聖な」という日本語が該当します。最後に、「ミッシェル」とは何か?これは、ヘブライ語で「大天使ミカエル」を表すわけです。つまり、「モン・サン・ミッシェル」の意味は「聖なる大天使ミカエルを祀る山」ということになります。では、日本人にあまりなじんでいるとは言えない「大天使ミカエル」とは何でしょうか?

        

この修道院の尖塔の上のも、実は重さ400Kgのミカエル像が、突き出るように乗っています。この大天使ミカエルが登場するのは、新約聖書のフィナーレを飾る「ヨハネの黙示録」です。偉大な芸術家たちが描いた「最後の審判」や「天国と地獄」の概念が迫真的リアリティーをもって描かれるところです。ミカエルは、悪魔の象徴であるドラゴン(竜)と闘い打ち倒すため、騎士のかっこうをして剣をもっています。また、魂の正邪の判定を行うために秤をもっています。

        

ヨーロッパにキリスト教というものが定着していくとともに、”天国に導かれたい”と強く念じる庶民の間に、ミカエル信仰も定着していったのですね。ところで、修道院ができる前は、どうなっていたのでしょう?大昔から、修道院があったわけではありませんからね。あの外観の美しい修道院が建つ前は、トンブ山(フランス語で「墓の山」)とよばれ、山の上には何もなかったのです。ここから、20Km離れたアブランシュの教会
の司教をつとめていたオベールの夢枕に大天使ミカエルが現れ、「自分の御体を祀る聖堂を建てよ」とお告げしてから、この地の長い歴史が始まりました。オベールは単に、
夢物語として聞き流していたところ、3度目に現れたとき、ミカエルが怒りをあらわにして、オベールの額に穴をあけ、鮮血が流れたという伝説の壁画があります。

        

さすがにオベールもアクションを起こして、最初にモン・トンブの山の上にミカエルを祀る小さな聖堂を建てました。8世紀初めのことです。その後、ミカエル崇拝と密接なつながりをもつイタリアのベネディクト派の修道士会の布教活動があって、モン・トンブの小さな聖堂から、知名度の高い修道院として発展していったのです。修道院の内部見学では、個性的な場所が見られます。

        

修道院建築の粋の部分はフランス語でメルヴェイユ(驚異)とよばれます。ピラミッド型の山のてっぺんに修道院が建っているわけですから、プラットホームの役割の礼拝堂や通路、柱で支えています。花崗岩の堅い岩盤が建材です。

        

        

でも、中を見学して気づくのは、がらんどうで、煌びやかな装飾はもはやないことです。フランス革命の時代、革命政府が修道院活動を停止させて、監獄に転用したからですね。財宝的価値のあるものは全て持ちだされ、代わりに監獄時代の囚人労働の道具が残っていたりして、殺風景です。

       

       

写真のような大車輪に囚人たちがローテーションを組んで入り込み、滑車や巻き上げ機と連動させた大車輪を足で絶えず踏んで、重いものを下から引っ張り上げる肉体労働をさせられたのですね。

中が殺風景なのが若干残念ではありますが、建築物、史跡としての価値はすばらしく、外観も美しい修道院です。モン・サン・ミッシェルの位置は、ノルマンディー地方とブルタ-ニュ地方の境目にあって、珍しいお土産もメインストリートのお土産屋さんで買うことができます。

       

周りは遠浅の海になっていて、潮の干満の差を目でみられるのも魅力ですね。

       

お土産は、酪農王国ノルマンディーらしく、チーズ、特にカマンベールの発祥の地で有名です。また、地元の名士、プーラールおばさんの絵柄のバターをたっぷり使ったバタークッキー、地酒では、シードル(りんご酒)、カルバドス(シードルの蒸留酒)などがあります。また、ホリデイツアーでいらっしゃると、プーラールおばさんが創業してから地元の名物料理となったオムレツ料理もまちがいなく賞味できます。ごいっしょにモン・サン・ミッシェルの旅へ行けますよう、お待ちしています。ちなみに、モン・サン・ミッシェルは、季節に関係なく1年中楽しめます。モン・サン・ミッシェルのホテルに宿泊できるツアーもありますから、パンフレットを見て、お近くの販売店に相談して下さいね。
 
        

最後になりますが、ミカエル信仰の広まりとともに、昔から聖なる巡礼の地として栄え、今では世界遺産ブームもあって、フランス観光のメッカとして、世界中から多くの観光客が訪れています。ホリデイツアーは、お気軽にいつでも申し込めます。
   
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ジャンヌ・ダルクが昇天した町、ルーアン

2010-12-10 23:15:40 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。今日は、フランスの北、ノルマンディー地方の主要都市、ルーアンをいっしょに見ていきましょう。パリを出発し、パリでいちどお別れしたセーヌ川は、再び、ゆったりした流れとなってルーアンで姿を現わします。700Km以上あるフランスでも3番目に長い川ですね。ところで、この町の古い家並みを見た時、ドイツのロマンチック街道諸都市と似た雰囲気を感じるんですね。

   

こうした木骨組の家々は、ノルマンディーの特徴ですが、ロマンチック街道や、ドイツの影響を受けた独仏国境の町、例えば、シュトラスブールなどでもみられる景観です。

   

旧市街広場も、このように整然とした中世的雰囲気をもっています。旧市街広場とルーアンの大聖堂は歩行者天国のメインストリート1本で結ばれています。その中間に「黄金の大時計」があることから、「大時計通り」とも呼ばれています。

   

   

ルーアンの大聖堂は、ノートルダム教会とも呼ばれ、パリのノートルダム寺院はじめ、フランス主要都市の大聖堂と同レベルです。カトリック教国、フランスの国民にとって聖母マリア崇拝はとても大切です。聖母マリアに捧げる、その町NO・1の大聖堂は大司教直轄の一番由緒ある教会で、カテドラル(=大聖堂=ノートルダム寺院)と云います。ルーアンの大聖堂は、「睡蓮」の連作で有名な印象派の画家、クロード・モネが、刻々と変化するファサードの光と色調の推移を時系列の連作で描いてから、特に訪れる人が増える名所となりました。

   

ルーアンの町の起源は、中世時代にさかのぼります。北欧から温暖な気候と豊かな食料を求めて、毎年ヴァイキング船の船団を組んで略奪行為にやって来るノルマン人(北方のゲルマン民族)に手を焼いたフランス国王が、フランス国内に一定の領土を与えるのを条件に、略奪行為をやめさせるという妥協政策の結果、生まれたのがノルマンディー公国です。その後、ノルマンディー地方の主要都市として発展し、セーヌ川の水運は、経済や物流の大動脈でした。カルチャー度の高い町でもあり、古典劇の権威、イギリスでいえばシェークスピアに匹敵するコルネイユ、フランス文学史上、不朽の名作「ボヴァりー夫人」を書いた作家のフロベールを生んだ町であることは忘れられません。しかし、フランスの救世主、祖国フランスを救った国民的英雄であり、火刑台に散った「悲劇の乙女」ジャンヌ・ダルクとこの町との因縁めいた、悲しい結びつきは知らずにはすまされないものでしょう。

   

ジャンヌ・ダルクはもともと、ノルマンディーとは何の関係もない、ロワールのお城とも何の関係もない、ドン・レミ村の出身です。ドイツ寄りのロレーヌ地方とシャンペンの原産地シャンパーニュ地方の境目です。そこで、ジャンヌは、糸を紡いだり、農作業を手伝ったりして暮らす平凡な娘でした。

     

それが、何故か13歳のときに、「フランスを救え!」という神の声をきき、16歳でそれまで想像すらしなかった、武器をとる「戦闘」を経験し、英仏100年戦争で降伏寸前に出てきて、イギリスからフランスを救い、シャルル王太子のために、「献身的」を通り越した自己犠牲をはらい、国王の地位につけるため、戴冠式まで出席した伝説の人でもあり、実在の人物です。今、フランスの主要都市の目抜き通りには、ジャンヌ・ダルクの騎馬像があるところがたくさんあります。世界遺産修道院の町、モン・サン・ミッシェルのメインストリートにも、町民の教会の入口にジャンヌの像が見られます。

     

結果として、国王に裏切られ、ルーアンの町で捕えられ、陰謀にはめられて、裁判の結果「魔女」であると断定され、当時、「魔女」であると断定されたものが例外なく火あぶりの刑に処せられたように、ジャンヌもルーアンの旧市街広場で火刑に処せられたのです。
     

旧市街広場は市の立ったマルシェであり、商人たちの活気ある取り引きの場であり、一般市民にとっても、社交場であり、それなりに重みのある生活空間だったはずです。しかし、その広場にそびえ立つ十字架は「処刑現場」の象徴なのです。。もっとも、ジャンヌの死後、復権裁判が行われ有罪判決は無効とされ、ヴァチカンも聖者に認定し、聖人に列せられたジャンヌは、この地で殉教し、昇天し、イエスと同じように「救世主」として国民的英雄となったのです。

     

20世紀になってから、フランス国民は、聖者に列せられ、国民的英雄となったジャンヌのために記念教会を建てたのです。イエスの贖罪のように、「処刑の象徴」である十字架と、「復権の象徴」である記念教会が同じ旧市街広場で鼻を突き合わせているのも、ジャンヌ・ダルクが生涯を閉じ、昇天した町、ルーアンの象徴なのでしょう。

      

ぜひ1度、ホリデイツアーでフランスのバスツアーへお出かけになり、ルーアンの町で、「悲劇のヒロイン」でもあり、「国民的英雄」と評価されているジャンヌの息吹に触れてみませんか?

       
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ゴッホの街、オーヴェル・シュル・オワーズ

2010-12-08 21:32:07 | ホリちゃんフランス
ホリちゃんです。フランスへ久しぶりに行きました。ちょうど、ヨーロッパに寒波が来ていて、日中でも、マイナス2~3度の中を、時折、雪に見舞われながら歩くコンディションのあまり良くないツアーとなりました。
 

オルセ美術館に上の絵があります。ゴッホの「オーヴェルの教会」という作品です。この作品に描かれたオーヴェル・シュル・オワーズの街にやってきて、ホリちゃんは、あらためて、ゴッホという芸術家の日本人に対する根強い人気を再認識させられたのでした。実際の教会も作品そのままのイメージでした。

   

  

ツアーは2日目。時差で眠りが浅く、しかもマイナス3℃という厳寒の中で、フランスのバスツアーで最初に訪れる町が、ゴッホの家があるというだけで他に何の変哲もない町、しかも、最初の予定が「お墓参り」とあっては、参加者のヴォルテージも下がる一方だろうと思って、早くこの町を出たいと一方的に思っていました。

 

周りは、ゴッホの作品に描かれるような荒涼たる麦畑の雪景色でした。

   

   

ところが、この荒涼たる景観も、晩年のゴッホの作品のイメージとオーバーラップするからこそ、感動をよぶのです。ゴッホの作品も仕事へのモチベーションも一番充実していたのは、太陽陽光を求めて、南仏のアルルにやって来たときでした。有名な「向日葵」も、色彩豊かな「種蒔く人」も「夜のカフェテラス」も、みんなよく知っている作品はアルル時代の作品です。しかし、ゴーギャンとの共同生活が決裂し、「耳削ぎ事件」を起して、仕事上の孤独感と、躁鬱病が悪い方向へ進んでしまったのもアルル時代です。サンレミ・ドゥ・プロヴァンスの精神病院でも病癒えなかったゴッホが最後にやって来たのが、オーヴェル・シュル・オワーズでした。粉雪が舞って、一面の雪景色を見ていたホリちゃんは、突然、ゴッホが、初めて南仏、アルルへやってきたその日が数十年ぶりの大雪だったことを思い出しました。波乱万丈なこの画家の生涯を象徴するかのようでした。

    

ゴッホのお墓は、街の小高い丘の上にあり、共同墓地にあります。生涯、精神面でも、財政面でも兄をバックアップし続けた弟のテオといっしょに葬られています。ゴッホが
オランダのプロテスタントの牧師の息子であることは、知らない人もいます。主な活躍の舞台がフランスだったから、フランス人と思っている人も多いようです。生きているときは、貧乏画家そのものでしたが、兄の偉大さをよくわかっていた弟のテオの遺言でお墓は並びあっていっしょに眠っています。

   

このお墓参りを含めて、参加者がこの町での滞在を予想外に喜んでくれたのがとてもうれしかったです。何しろ、ちょっとした散策ルート、地元の人にとっては、特別珍しくもない散歩道も、みなゴッホが作品のテーマにとりあげた風景として、そこにあり、我々に芳香を放っているのです。例えば、この小村の村役場は、こんなに素敵です。

   

何気ない散策ルートも、我々のように異文化を背景にもつ国から来ると、とても魅力的です。

   

   

もう一人、フランス絵画史上に残る画家「ドーヴィニー」もオーヴェルの出身ですが、残念ながらこちらはあまり注目されていないようです。しかし、この町の観光案内所はドーヴィニー博物館を兼ねています。

   

そして、最後に「ラヴー亭」とよばれるゴッホの家を紹介します。ゴッホは、精神病の名医ガッシュ博士がいるパリに近いということで、友人のアドバイスでこのまちにやってきます。そして、ここの屋根裏部屋に間借りして住んだのです。当時のまま、1階はカフェ、上階はゴッホ記念館の扱いです。ゴッホは、1890年、37歳の短い生涯を終えますが、ここに住んでから2カ月の間、集中的に2カ月で70点の作品を完成させたのです。毎朝、画材道具一式持って出かけ、カンバスに向かって絵を描き続け、ある日突然、ピストル自殺を遂げて帰らぬ人となるまでの、悲しくも胸を打つ生涯を作品のイメージとオーバーラップさせて、皆楽しんだようです。どうぞ、ホリデイツアーでフランスへお出かけになり、今回の参加者が口々に「来て良かった」と喜んだのと同じ感動を共有してみませんか?




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何度行っても飽きないパリ

2010-11-14 16:01:32 | ホリちゃんフランス

ホリちゃんです。半年ぶりにパリへ行きました。 世の中には、ホリデイツアーのような楽しい「観光」ツアーとは別に、企業がお得意様を招待する招待旅行とか、インセンティヴ(報償ツアー)というタイプがあります。こうした仕事も、旅行業のプロである私たちはやらなければなりません。そこでは、自分が案内するわけではないヴェルサイユやモンサンミシェルなどのオプショナルツアーの送り出し業務と、お客さんの質疑応答に応えるツアーデスクでの仕事に終始します。たまに、出かけることはあっても、国際見本市会場だったり、企業訪問だったりで、仕事がらみばかり! お客さんも自分ではなくて、会社のお金で旅行に参加しています。 お客さんの泊まるホテルは、ヴァンドーム広場もオペラ・ガルニエも近いウェスチンという外観も内装も立派なホテルです。 

      

ホリちゃんは「必殺仕事人」で有名ですが、いかんせん「黒子」です。自分が仕切ってリーダーシップはとれないのです。そこで、会社は、「黒子」にふさわしい安宿が集中するサンラザール駅界隈の三つ星ホテルにホリちゃんを押しこみました。ホリちゃん、ホテルには大いに不満ですが、サンラザール駅周辺のバイタリティーと雑踏と哀愁漂う、あの100年前から、何も変わっていない雰囲気が大好きです。

   

見ていると本当に退屈しません。オペラ・ガルニエの横の「カフェ・ドゥ・ラ・ペ」のような、超有名なカフェや、シャンゼリゼの小洒落たカフェでお茶しながら、通行人を眺めるのも、もちろんおすすめで素晴らしい体験ですが、サンラザール周辺のような「庶民派」カフェで「庶民感情」や庶民の動きを学んでみるのも、面白く飽きない体験なのです。      

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何回かパリへ行ったあなたへ、!  パリの町は懐が深い。何回行っても飽きません。その人なりに、趣向や経験値に対応した新しい発見が必ずあります。パリで大切なのは、フリータイム! ホリデイツアーでパリへ行って下さい。自由行動のアドバイスもバッチリですよ!   


フランスのおすすめ

2010-04-29 17:34:15 | ホリちゃんフランス
こんにちは、ホリちゃんです。大型連休がいよいよ始まりました。ホリちゃんがよく行く
フランスにも大勢のツーリストが来ています。 詩人のボードレールが、「さようなら、
あまりに短い夏のきらめきよ!」と作品で謡ったとおり、フランスの地方都市は、短くも
美しい初夏のまばゆい光に満ちています。 ガーデニングに関心のある方は、ジヴェルニーに行ってみて下さい。印象派の画家、モネの家の庭園は、これから、花盛りの季節です・
睡蓮を浮かべた池も作品そのものの臨場感をもって、鑑賞できます。
また、巡礼の町、シャルトルはステンドグラスで有名なノートルダム大聖堂があります。
ホリちゃんが今月行ったとき、「聖母マリア様のヴェール」をじかに見ることができました。巡礼者をたくさん集めるパワーがこういった聖遺物にはありますね!!ちなみに
ノートルダム大聖堂は、パリにだけあるのではありません。聖母マリア崇拝のカトリック
教徒の国、フランスには、その町を象徴する最高の格式をもったノートルダム大聖堂が、
主な地方都市に必ずあるのです。