
このモン・サン・ミッシェルと関連して、北のノルマンディー地方やブルターニュ地方がセットでツアーに組み込まれるケースが多いです。ですが、そうした地域が、本当に
人気スポットかというと、そうでもありません。ルーアンなんかにいたっては、ツアーに入っているから、とりあえず来てみたという人が多く、その程度の認知度かとがっかりすることもあります。昔、港湾都市でならし、著名な探検家を生んで、今の、カナダのセント・ローレンス川を遡り、ケベック・シティやモントリオールの町づくりとも関連があるサン・マロの町などは、「何、それ?」と無関心だったのを、行ってみてきれいだなと、納得してもらえるケースが多いですね。やはり、行く前からもよく知られ、ツアーが始まってからも、わくわく、楽しみにみんなが行く観光地としては、モン・サン・ミッシェルの一人勝ちですね。

勝るとも劣らない魅力ある地域としては、ロワールのお城めぐりなどは如何でしょう。まずは、上の写真をご覧下さい。最近行ったときは、ヨーロッパに寒波が来ていて、-2~3度のなかを歩いたので、初夏の緑映える頃とは回りの環境も違いますが、ロワール川のお城としては、最大規模を誇る「シャンボール城」です。最大規模で、外観の見栄えが最も優れているため、よくツアーでもとりあげられるのです。他にいくつものお城を建てていた国王フランソワ1世が建てた「狩りの館」です。それから、国賓をもてなす「迎賓館」としても位置づけられます。昔、「狩り」とか、「狩猟」とかいうと、王様や貴族の嗜みだったので、深い森に覆われた当時のロワール川流域は貴族や国王のお気に入りでした。

上の写真は、ホリデイツアーで行くと味わえる「ル・メディシス」というレストランの様子です。ちょっと、貴族的でしょう!それも、そのはず、「ル・メディシス」とは、イタリア語におきかえると「メディチ家」を指すのです。フィレンツェの貴族で、そこから、フランソワ1世の息子のアンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスは当時の話題の人です。それでなくとも、イタリアに強い憧れをもち、イタリアを傘下におさめたいと考えて、再三しかけた軍事遠征では失敗するものの、イタリアの造形芸術や絵画、建築などに魅了され、逆に文化的にはイタリアに征服されてしまった王様でした。しかし、フランソワ1世の話は、当時のフランスの事情そのものでした。ルネサンス時代を迎えたイタリアは当時の先進国で、後進国のフランスは、何でもイタリアを師として吸収したものでした。

レストラン「ル・メディシス」の近くにブロワ城があります。建築や建物として、専門的にみると「城郭建築の博物館」とも呼ばれ、最も優れています。しかし、ツアーでは車窓観光か、下車観光の扱いです。変わって、優先されるのは、話題性と外観の良さというところです。よく時間をかけて入場観光するのは、シュノンソー城やシャンボール城です。シュノンソー城は、独特の「宮廷内不倫物語」があるので、外観と相まって話題性十分です。

シュノンソー城の偉大な主人公の一人だった「ディアヌ・ド・ポワチエ」が、カトリーヌ・ド・メディシスの時代になってから、主人公の交代で追い出され、代わりに与えられて住んだショーモン・シュル・ロワール城というお城もなかなかきれいな外観をしています。

相対的に、ブルボン王朝が生まれ、パリやヴェルサイユに主要な王宮・宮殿ができる前の時代をロワールのお城は代表しています。もっと、昔のことですが、あのジャンヌ・ダルクがシャルル王太子と謁見した「シノン城」という中世的要塞そのものというお城もあります。前に「ダヴィンチ・コード」がブームになったときは、フランソワ1世が傾倒していたレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに呼び寄せ、ダヴィンチのために建ててあげた「クロ・リュセの館」とか、それと関連したアンボワーズ城などに良く行ったものでした。しかし、年度は変わっても、いつでも人気なのは、どうしても、外観の美しいお城ですね。シャンボール城の写真をとるために、お城の前に立ったならば、良い写真のとれるお城に人気が集まるのもよくわかると思います。

ぜひいちど、ホリデイツアーでフランスへ、そして、ロワールのお城巡りを楽しんでみて下さい。
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