マクロ経済そして自然環境

経済的諸問題及び自然環境問題に感想、意見を書く事です。基本はどうしたら住みやすくなるかです。皆さんのご意見歓迎です。

景気政策史―59 19世紀イギリス対外商業政策と不況 その15 “自由貿易”と砲艦外交

2013-08-18 15:14:46 | 景気政策史

 

上記で述べたように欧州諸国では英仏を中心として“自由貿易体制”が確立したが目を若干他地域に向けるならかなり様相が異なる物が展開されていた事が分かる。まずナポレオン戦後19世紀半ば過ぎまでの主なイギリスの関連した主な戦争を見てみるなら

ビンダーリ戦争(1817-1818)

マラータ戦争(第三次)(1817-1818)

ギリシア独立戦争(1821-1829)

ビルマ戦争(第一次)(1824-1826)、(第二次)(1852)

エジプト・トルコ戦争(第一次)(1832-33)、(第二次)、(1839-1840)

アフガン戦争(第一次)(1838-42)

アヘン戦争(1840-42)

シーク戦争(第一次)(1845-46)、(第二次)(1848-49)

太平天国の乱(1851-64)

クリミヤ戦争(1854-56)

アロー号事件(1856-60)

セポイの反乱(1857-59)

メキシコ遠征(1861-62)

ブータン戦争(1865)

であり欧州以外の地では(ギリシャ独立戦争、クリミア戦争以外)戦争が半ば常態化していたのが良くわかると思われる。又そのような中でビンダーリ、マラータ、シーク等一連のインドでの戦争、土侯国アウドの併合(1856年)によりインドのイギリス征服が成立(イギリス史:大野真弓編p518)、又、ビルマ戦争ではビルマに(第一次)アッサム地方の英領化を承認させ、又ブータン戦争でブータンの南部を手に入れた。(戦争・事変 全戦争・クーデター事変総覧:溝川徳二編 教育社1991年)

中南米ではナポレオン戦争中にスペインとポルトガルの植民地からの独立を求める諸国に独立を助けた代償として1810年にブラジルに関税引下げを主体とする不平等な通商条約を呑ませ

同様な不平等条約を1825年アルゼンチンと1834年にペルーと結び1850年代までにラテンアメリカは“自由貿易”とイギリスの利益の為に開放された。(秋田茂編:パクス・ブリタニカとイギリス帝国 ミネルヴア書房2004年p40)~

更に中国について見るならアヘン戦争で南京条約(1841年)、虎門寨追加条約により不平等条約体制の基本的条項が作られ、香港を割譲、広東等5港を開港等を行い、領事裁判権、軍艦停泊権が締結され、最恵国条款(片務的・無条件的・概括的)を結び義和団事件までに18カ国が条約を結んだが殆どの条約がこの最恵国条款を挿入した(姫田光義他著 中国近現代史上巻 東京大学出版 1982年: p32、116) 

イギリスは日本と片務的最恵国条款、領事裁判権を認める日英修好通商条約(1858年8月)を結ぶにあたり、日本との交渉を任されたエルギン伯はアメリカのハリスから提示された日米通商条約を土台としながら、調印されたものと粗同様の案を示し、“もし日本の委員が条約の実施を延引するなら自分は立ち去りやがて50隻の艦船を先頭に戻ってくるであろう”と威嚇した。(石井孝 日本開国史 吉川弘文館1972年: p378,380)

(因みに日本の特殊な所としては、1854年の日米和親条約、1858年の日米修好通商条約で片務的最恵国条款(日本開国史p350参照)、領事裁判権を認め、関税自主権の否定等の不平等条約を結ばされ、1858年イギリスとも上記日英修好通商条約を結び(日本開国史:石井孝p380)英米を中心とする欧米とは不平等な条約を呑まされたが、逆に1895年の下関条約で清に上記不平等条約を押し付け、又朝鮮とはやはり武力の威嚇の元、1876年に開港、領事裁判権、開港場に於ける日本貨幣の使用等々の不平等を内容とする“日朝修好条規”を押し付けた)(糟屋憲一 朝鮮の近代 山川出版社 1996年: p29)

これらに関し、19世紀前半から中盤にかけて英国外相、首相を歴任しその間イギリス外交政策に大きな影響力を持ったとされるパーマストンは1841年1月には“敵対する欧州の製造業が我々の生産物をヨーロッパ市場から急速に追い出しつつある。我々は世界の他の場所に自分たちの工業生産物の新たなはけ口を絶えず捜し求めなければならない。世界は広く、そこには我々の製造する全ての物を需要するだけの人々の欲求がある。そして市場を開き市場への道を確保するのは政府の仕事である。エチオピア、アラビア、インド亜大陸の諸国、ならびに中国での新市場は遠くない将来に我々の外国商業圏にとって最も重要な拡張になるであろう”(前掲 秋田茂:パクス・ブリタニカとイギリス帝国p36)とし、更に“貿易は砲弾によって強制すべきものではないが、しかし他方で貿易は安全なくしては繁栄できない。力の誇示無くしては獲得できない事がしばしばあるのだ”としてアロー号事件での武力行使等を正当化した。(所謂“砲艦外交)但しこれらに関しコブデン等は”穀物法廃止の為に戦った人々のうち自由貿易原理の真の意味を理解している者のなんと少数のことか“としてそれら中国やインドでの武力行使に反対した。(前掲 秋田茂編:パクス・ブリタニカとイギリス帝国p35)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以下次回

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 何度言ってもマクロ的効果を... | トップ | 東京電力株価500円の不可思議。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

景気政策史」カテゴリの最新記事