マクロ経済そして自然環境

経済的諸問題及び自然環境問題に感想、意見を書く事です。基本はどうしたら住みやすくなるかです。皆さんのご意見歓迎です。

景気政策史-4  前提としての17~19世紀の景気変動史

2008-04-29 20:11:21 | 景気政策史

表題のテーマを今後論じるにあたって、経済変動史について詳らかでない人もいらっしゃると思いますので、その経済史的素描を概括的に述べておきたいと思います。some visiters の方は気づかれたかもしれませんが、前回まで投稿に当たっては字数制限をしていましたが、今後字数を若干増やしたいと思いますのでご容赦願います。経済変動-景気循環はいつ頃から始まったかについての、始原については、明確的にここで述べられませんが、この論題について参考になると思われる先人の論文等によって述べて行きたいと思います。参照:関口尚志「初期恐慌」マニフアクチュアー期の過剰生産をめぐって 土地制度史学21号、メンデリソン恐慌の理論と歴史 この中の関口氏は恐慌の歴史について、旧来の通説が、1初期の投機恐慌 2産業革命期の過渡的恐慌 3資本主義確立後の周期的恐慌に時期区分していたと述べ、特に旧来的通説が、投機恐慌(史上、南海バブル等が有名ですが)に於いては、信用、貨幣段階の恐慌に止まり、実物的生産段階には影響していなかったと述べている事を批判し、既に17世紀において、毛織物産業を中心に過剰生産恐慌があったと述べ、その間何回かの恐慌、不況が発生していたと述べ、信用の拡張等がそれに影響していたとしています。そしてそれが18世紀に至り、やはりその中で循環は発生していたが、不況→好況→盛況→恐慌と言う循環は明確では無かったとしています。そして18席の後半から所謂、過度的恐慌段階に入るとされます。その時期には、1788年、1793年、1797年と続き、1797年恐慌でイングランド銀行は兌換を中止します。その後も循環的な恐慌が発生しナポレオン戦後の不況に続きます。イギリスの資本主義は概ね、19世紀初頭に確立したとされ、通説上、1825年の恐慌が本来的循環による恐慌とされます。その後においては、概ね10年おきに恐慌が発生し、世情、多くの経済学者の論議となり始めます。そして、イギリス金融史上有名なピール銀行法が1844年に成立しますが、恐慌はその後も発生し、1847年、1857年、1866年、1873年と続き、その後、経済史の通説的には、1870年代から激発性の恐慌は発生しなくなり、その代わり慢性的不況状態が長く続くと言う事になります。以下再び政策史へ(19世紀以前の政策史は関口氏の論文に略詳しく載っています)

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景気政策史-3 18世紀末~19世紀初頭 リカード補説

2008-04-27 19:50:14 | 景気政策史

前回、18世紀末から19世紀初頭について述べましたが、このサイトのある程度継続的なsome visiters の方々が若干は居られる様ですが、自明の事かも知れませんが、やはり、簡単と言ってもリカードについて余り簡単に済ますことは無理がありますので、若干再説したいと思います。リカードはその主著経済学および課税の原理を1817年に出しますが、その恐慌、不況に関する考えはその中の1、19章「貿易系路上の突然の変化について」と2、第27章「通貨と銀行について」の中に特徴的に現れていると思います。1の中では、ナポレオン戦争後の不況に見られるように、不況状態を非経済的理由による経済不安定を説いています。又2の27章の中では、1797年の不況を評して“この種のパニックが1797年の恐慌の原因であった“とし、又“イングランド銀行の取り付けを引き起こしたものは社会の臆病な人々の根拠のない恐怖の伝染であった“として、通常的に自立的に市場から不況になるのではない、又それに対し“イングランド銀行が支払いを続けていればおさっまた“とし、要は自立的景気変動を否定し、専ら金融システム上の問題とし、特に発行準備の温存を考えていたように見受けられる-それは彼のイングランド銀行券を地金で払うと言う所に現れているように思えます。これは要は小額の兌換を避け金属準備の温存こそが発行を保障すると言う事だと言う事でしょうか。

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サプライサイド+マネタリズムの面影は何処に?

2008-04-26 21:31:44 | Weblog
米、大恐慌以来最悪の不況も=ノーベル賞経済学者(時事通信) - goo ニュースこに来てアメリカの経済状況の悪化が進みつつあります。本来的にレーガンから始まったサプライサイド+マネタリズムの路線から言えば、色々“市場化“を進め、又“規制緩和“路線も進めた中、不況など起こらないはずでは無かったのではないか?しかし結局の所採った政策は需要拡大路線であった-本来的ケインズ路線の一面的復帰ー元になったサブプライム問題から言えば、日本においても、“資産の流動化“法等により、不動産の投資対象化が進みつつある。常にアメリカの理論的後追いをやっているこの日本の経済の先行きも怪しい物である。今日の地球温暖化が進みつつある状況の中で不況克服の為に需要管理をするという路線だけでは全く不十分としか言いようが無い。需給管理すると言うのは、ものの前提ではあるが、今日的状況から言えばそれだけではすまず、やはり、全体としての経済システムの省資源化、困難では在るが、場合によっては縮小的完全雇用均衡を目指さなければならないのではないか
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景気政策史-2

2008-04-21 21:25:26 | 景気政策史

前回投稿で表題が三文週刊誌染みていましたので変更しようとしましたが旨く行きませんでしだ。要は小泉構造改革路線的経済安定化策が事実上機能しないと言う事を述べる訳ですが、この様な大きな表題の事は、相応しい書き手が居るとは思うのですが、投稿者の観察した範囲ではその様な論者は残念ながら見当たりません。投稿者が外郭だけでも論じようと言うのが本稿の趣旨ですが、どれだけ解りやすく論ずる事が出来るか解りませんが取り合えず論を進める事とします。18世紀のヨーロッパはナポレオン戦争を区切りとして19世紀になります。当時の先進はやはりイギリスで有り、戦時中の貨幣不喚化によりインフレに悩まされましたが、1815年に戦後を迎えます。そして所謂戦後不況と言う事になり、その当時経済学者として出たのが、イギリスのリカードでした。リカードは一般的にはスミスの後継とされ、やはり労働価値説とその資本主義の展開で経済は回転してゆく事を基本に述べました。リカードは資本主義が長期の蓄積の中でどうなるかと言うような事も考察しましたが、基本的には経済自体の均衡的発展を考えていたようです(経済学、課税の原理 1817年)。そこに於いて他方に居たのがマルサスです。マルサスはご承知のように“人口論“で人口の増大は食料の増大より早いと述べましたが、他方その経済学的著作としては,1820年に経済学原理を出します。

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19世紀~経済理論史と”構造改革”景気政策史ー1A History of Economic Policy for Depression . -1 

2008-04-20 22:05:36 | 景気政策史

小泉、小池、前原氏らが会合=定期化検討―政界再編へ布石?(時事通信) - goo ニュース小泉氏の再登板等という事が問題になっているようですが、ここで彼の理論に触れて置く事は有益であると思われますのでそれについて若干述べておきたいと思います。ただ経済学、経済史に明るい人ばかりではないと思いますので経済史的背景、又理論面の若干の説明から始めたいと思います。一度では若干無理が有りますので、何回かに分けて述べたいと思います。まず、資本主義は一般に18世紀後半から始まり、イギリスでは19世紀初頭に産業革命が一応終了したといわれています。そういう中、イギリスでは18世紀後半、アダムスミスが登場します。アダムスミスは分業と労移動価値説で、経済は発展してゆく、そして“見えざる手“ということを述べ、要は市場は自由にしておけば発展してゆくと述べました。当時は未だ資本主義の勃興期であり、未だ経済的循環というような現象は充分には明確化していませんでした。以下次回マクロ経済そして自然環境

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高校授業料滞納論-2

2008-04-17 12:59:04 | Weblog
先般来、高校の授業料の滞納が大きな問題になっています。投稿者もニュース上の書き込み等読みましたが、7割以上ぐらいが親の認識不足を説くものいでした。そしてその大きな特徴は、論者がその場面にのみ区切って論じていることだと思います。それは確かにそのシーンのみに区切って論ずれば有る意味そういう結論が出るのはもっともと成ると思います。しかし、この論立てには些か不十分性があると思うことです。世の中には確かに色々な人間がいる訳ですが、例えばsuiside等においても社会心理学的には、その時の社会経済情勢と強い相関が認められると言う事です。これは個々の事例は説明できないが全体とすれば明確に相関関係が有ると言うことです。その観点から考えると、データ的に、2003年から2005年で全国の公立高校の滞納率は上昇しており、理由の第1は、親の倒産、リストラ、第2が元々それだけしか収入が無い、第3が親の離婚です。そしてその影響はという事に対し、第1は、修学旅行に行かない、第2が、中途退学、第3が部活の不参加と言う事です。つまり、修学旅行にも行かず、部活も参加しないと言う高校生活を数千人の高校生が送っていると言う事です。有る事象を考える場合多角的に、検討しない場合、見当違いの結論を付けてしまう事が有りうるという事でしょうか。
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いずれにしてもマクロ経済的見通しをつけなければ打開できない。

2008-04-16 20:16:53 | Weblog
先日来、高校の授業料納付問題が大きく取り上げられています。その詳細な意見は近日中、又述べたいと思っていますが、一つのポイントは、表題にも在る様に全体的見通しを付けないと的確な判断は難しいと言う事です。単純的には日本経済のおおよその方向性をキチンと認識する事だと思いますが、又今現在の更なる困難性は特に地球環境問題で、夕方のニュースにも有りましたが、既に中国がアメリカのCO2発生量を超えたとも言われるような事態で、それは欧州での削減をチャラにすると述べられていましたが、それがニュースの全然トップにもならないと言う事です。つまり非常に切迫した事態であるにも拘らず、それを多くの人が認識していない、又それを解決する為のマクロ経済的見通しをどう持つかということが愁眉の問題であるにも拘らず、多くの学者研究者がそのテーマで真剣に取り組むような事態になっていないと言う事です。そのような中、一石を投じる為に力不足とは言えこのサイトを立ち上げているわけで、とりあえず前にも述べましたが、これを読んだ方は委細さかなりとも、前進的方向性を持っているわけですので、とりあえず周りの人に一人でも良いですから話してもらう、そしてやはりエコノミスト諸氏の奮起を促したいと思います。あまり当てになる“エコノミスト“は残念ながら多くはないとも思わざるを得ない現況ではあるとも思いますが、いないわけではないとも思います。
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授業料不払いの高校生が入学式に出られなかった事について。

2008-04-14 20:10:30 | Weblog
今日のニュースで千葉県の高校生が入学金を払わなかった(払えなかった)事で入学式に出られなかったと言うのが有りました。ニュースのコメントも色々有りましたが、多くは払わなかった親の責任だと言うものでした。しかし、私見に於いてはこういう問題は大局を見ないとその本質を見失いがちになると思います。片方の生徒は9万円の内、2万円だけを何とか持って来たとの事でした。それらから察するにやはり親には余裕が無かったのだと思われます。昨今においては、論者-竹中氏はその最たるものだと思いますが-口を開けば“市場化“と言いますが、最近に於いても不良債権処理問題等で“公的資金“をたっぷり貰い、その後“私企業“ですと言い、下手をすれば政治資金まで出そうと言うような事が平然とまかり通っています。しかし、ここで細目は省略しますが19世紀初頭の資本主義成立以来、市場がそれ自身のみで機能してきた等と言うのは、政策史を知らない経済素人の言う事であり(細目は、近代イギリス経済史-吉岡昭彦、又ケンブリッジ経済学研究-中矢俊博等参照)殆ど錯覚でしか無いのです。例えば労働市場について考えるなら自由化は最終的には何を齎すか考えてみるべきでしょう。なんの為に最低賃金制が決められたのか、昨今の派遣労働者の大幅規制緩和は、本来的に低コストを求める財界の方針に沿った物です。それらの寄って立ってきた経過を知らずに物事は判断できないのです。
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ラッフアー曲線  累進税の歴史の概略

2008-04-13 17:37:28 | Weblog
下記記事をご覧になってそうは言っても最高税率が高いのではとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、前にも述べたように、最高税率といってもその所得×税率では有りません。超過累進と言う事で、例えば、200万までは10%、300万までは20%と言うふうに税率が増えるわけで、70年代に調査した東京都の算出例でも、数千万の所得でも実効税率は30数%程度ですし、先日、銀座の飲食店経営者の脱税が記事になっていましたが、その例でも数億円の脱税に対し、税額は約10%程度でした。
(現在の最高税率は40%)、


 又累進制自体、投稿者の知るところでは、19世紀の始めにプロシャで階級税に取り入れられたのが始まりだと思いますが、その後多くの社会主義政党、無産政党で取り入れられ、既に19世紀の後半にはドイツ等でも累進の要求が一般的になり、日本でも戦前の無産政党が略全部、累進の政策を掲げており、既に日本でも戦前の最高税率で74%(昭和19年)、戦後23、24年には85%になっていました。(所得税百年史 大蔵省主税局)


 これは当時の社会運動等により当時の社会政策的経費、軍事費等を賄う為に採られたある意味必然的経過と言えるでしょう。それを現段階で税率を急に下げると主張してもそれは一般的財政赤字を増やすか、大衆増税の道しか残されないのも又必然と言えるでしょう。






訂正2010年11月7日
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サプライサイド+マネタリズム+ラッフアー曲線  その1

2008-04-13 17:05:58 | Weblog
これまで、何回かに及び、竹中氏言う所の“構造改革“論について述べてきました。世情、改革等と言う言葉を使うと非常に紛らわしいのですが、しかし、この欄をお読みの読者の皆さん同様、それを経済理論的本質に分解するなら忽ちその馬脚を現すことになります。それが表題に掲げた3つですが、サプライサイドとマネタリズムについては、当欄お読みの方は略お分かりの事と思いますが、ラッフアー曲線については、ご存知の方はご存知の事と思いますが、まず、ラッフアー曲線について若干述べますと、これは彼のレーガン大統領が、アメリカでこの新自由主義路線を始めた時の、税理論として採られたものですが、それは紙の上に一本の曲線を描き、要は、累進が進むと勤労者が働く意欲を失い、悪影響が出ると言ったもので、-これ自体、70年代まで諸国での所得税最高税率が70%程度以上あったがそれにより、働く人が減った等という例証は当然無く、何ら実証的に意味を持たない“理論“ですが-それにより、所得税税率の最高を下げた物ですが、又反面、ブキャナンのような財政赤字批判にどう対応しているのか、その理論的整合性は全く疑わしいとしか言いようが有りませんが、結論的には税率切り下げを始めたわけですが、それは他の先進諸国の法人税最高税率切り下げと相俟ってその後の財政赤字拡大の有力な要因になったものです。その様な現代の経済史的過去をこそまず総括すべきでしょう。
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