マクロ経済そして自然環境

経済的諸問題及び自然環境問題に感想、意見を書く事です。基本はどうしたら住みやすくなるかです。皆さんのご意見歓迎です。

”マンデル=フレミング・モデル”への疑問

2010-10-31 13:44:11 | 経済
 現在、世情、一般的なマクロ経済学の教科書は、所謂”IS=LMモデルで説明を行うパターンが一般的である(このモデル枠組み自体にも批判がありますが)。ところで知られているように、このIS=LMモデルはケインズの一般理論を元に、ヒックスが開発した物であり当然、ヒックスは一般的にはケインズ後継と看做されている。

 ①しかしながら”マンデル=フレミング・モデルの開発者であるマンデルは1999年にノーベル経済学賞を受けている。ここにおいて、些か疑問を持たざるを得ないのは、英語版wikipediaでの解説によれば、http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Mundell
彼は政治の分野では”減税とサプライサイド経済学者として知られている”との事であり、しかし他方、”マンデル=フレミング・モデル”が、IS=LMモデルの開放体系とされていることである。
又上記英語版wikpedeiaでは彼がノーベル経済学賞を受ける時のスピーチで主としてサプライサイドの事を述べたとされる事である。(当然、サプライサイドと言えば”新古典派”の分類でありましょう)尚、日本語wikipeiaのマンデルの解説では70年代以降自分の学説を否定して”サプライサイド”の提唱者になったとの事である。
 これらwikpediaの記事が正確なら投稿者としては、一体彼の理論構造は一体、どうなっているのか疑問を持たざるを得ないと言う事でありますが、当の提案者が否定している学説を殆どの(日本の)マクロ経済学のテキストが殆ど無批判に乗せている事に関し投稿者は疑問を持たざるを得ないと言う事です。


②又、一般的マクロ経済学テキストによれば、”マンデル=フレミング・モデル”の解説として、変動為替相場制の資本移動完全自由の元での適応において、財政政策を行うと

 国内金利上昇→資本流入→為替レート上昇、交易条件悪化→輸出減少となり国内経済状況には効果が無いと言うような説明で現在のような変動相場制での財政政策に否定的な解説が殆どであるが、

 独立行政法人経済産業研究所の宇南山氏等の研究によれば、定額給付金、子供手当てのような政府支出の補助金について、定額給付金の実証研究ではその支出は消費性向は0.33であったとの事でこれは約1.49の乗数効果があったと見込まれます。これは変動相場制の下での効果を否定している事が実証的に否定されている物であり(氏は新古典派について述べていますが、アメリカでの最近の減税等の消費性向についても0.2~0.4程度であったとされます)一般的マクロ経済学の内容も型に嵌った物では現実的ではないと投稿者は考える物であります。
http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0280.htm 

 又上記マンデル=フレミング・モデルの仮定では、財政政策→国内金利上昇となっていますが、諸外国でも検討されているように富裕層の方々に”増税”させて頂ければ金利の上昇は起こらないと言う意味でもこの”モデル”は当てはまらないと思います。

 


 

 
 又、宇南山氏も述べているように”政治の場で経済学に基づく議論を歓迎したい”と言われていますが、それについては投稿者も賛成する所であります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

”規制緩和”は景気対策になりうるか?

2010-10-20 09:10:00 | 経済
 本投稿もあまり批判ばかり書きたくありませんが、”論争でいい意見が出るとも考えられますので” 論者の中には”規制緩和”も景気対策になるとの論もかいま見られますが、しかしこれには些か疑問が有ると言うべきでしょうか。私自身さる××年前、さる経済学を学んだと言う英国人と話す機会があり、”お国の不況対策は何か?”と聞いたところ、”規制緩和です”と聞いた事も有り、日本だけの問題ではないと考えていますが、

 これは要は

一般に規制緩和は緩和により”投資は増えるが、それに伴う需要を保障するものでは無い”と言う事です。

 例えば
①タクシー等の免許の緩和
これも一部で報道されていましたが、タクシーの台数はふえた訳ですが、それに伴っては乗客は増えず逆に減っている事が報道されています。
これは、バスの運送事業等でも同じで台数は増えて過当競争状態とも言われています。


②港湾運送事業への新規参入
港湾運送事業はその仕事の特殊性、危険性から規制がされており、又中小も多いとされていますが緩和したとしても取り扱い荷物がふえるわけではなく、やはり過当競争になる恐れが強いと言えるでしょう。
 


③労働者派遣事業
これもここで説明するまでも無く、この実施により数百万の派遣労働者が生まれましたが、やはりその多くは無権利状態におかれ”日雇い派遣などと言う言葉もありますが)、日本の社会状況の不安定の一つの大きな原因になっています。
失業率も昭和の後半から現在4%~5%へじりじり上がり続けています。
(”新自由主義”の経済理論である新古典派では労賃が”伸縮的”であれば(賃下げ、賃上げ)完全雇用が達成されるとする)






 上記、一部のみ記載しましたが、他にも多くの同様な状態があると思いますが、これは”理論的”には新古典派そのものであり、その問題性を露呈していると言うべきでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

低所得者?!!

2010-10-13 18:55:53 | Weblog
 一昨日、町を歩いていたら、脇を配達用風のオートバイに乗った若者が通り過ぎ、下りて別の若者と歩き始めた。その若者がテイーシャツを着ていたのだが、背中に大きく何か書いてあった。それが実に白地で”低所得者”と書いてあったのである。

これには流石に私もびっくりした。幾らなんでも自分の背中にその様な事を書いている若者の”大胆さ”又有る意味、社会批評と取らざるを得ないその”度胸”と言うよりやはり、いまさらでも無いが、世の中は完全に変わったと思わざるを得ない。



 最近、熊谷次郎氏の”イギリス綿業自由貿易史”を読んだが、その中で目に付いたのは、経営者が、何らか政策を主張する時に、それにより、”労働者の生活が・・”と言うように、産業企業の発展のほかに労働者の生活面の意見を多く述べていることが多いと思われる事である(これがある種の”帝国主義政策”の主張の一環かは即時に判断出来ませんがせんが-19世紀末少なくない諸国で一般勤労者が対外膨張路線に巻き込まれた事は世界史の教えるところです)それにしても最近の我が国の経営者団体は”成長戦略”の”要望”をする事は多いが、”それによって勤労者はどうなるのか? つまりそれによってどの様な経路で勤労者の生活改善に繋がるのかが全く明らかにされない、あるいは述べない と思われると言う事です。結果論的に非正規労働者が増えるだけであるなら、これをよく考えると、果たして”産業企業”の存在の”目的”とは一体なんであるのか??考えるのは私だけでありましょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

景気政策史 43  コラム (資料整理の為暫時連載を休載致します)

2010-10-09 18:14:19 | 景気政策史
 2008年から始めかなり掲載が出来ませんでしたが、投稿者も糊口しなければならない(ならなかった)と言う事でご勘弁を頂きたく思います。 

 9月から再掲しましたが、ここまでで主としてイギリスの金融的側面からの景気政策を歴史的に概観致しました。投稿者も全て分かってから投稿している訳ではなく、その都度、確認しながらと言うのが実態でありますが(只、当然、全体(現代までと言う事で)への見通しはそれなりに持ってはいますが、とりあえず出来る所までと言う事で。

 
 そこでここから又イギリスを中心にしながら金融的側面以外の分に付きまして投稿したいと思っていますが、若干、資料収集と構想を考えねばなりませんので、若干の読者の方には申し訳ありませんが、暫時(そう長くは無いと思いますが)政策史は休載させて頂きます。整い次第、順次掲載します。

振り返ってみますと、やはり抜けてしまった部分や未消化な部分もやはり有りますので今後、追記する等により補いたいと思います。(自分でも”途方も無い事”を考えているとも思いますが)



只、その間も雑感、意見等は投稿させて頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。又コメント等、全くありませんので、投稿された分は粗全部掲載致しますので、是非積極的にご意見をお願い致します。


”経済政策”とは何か?

これは実は簡単そうで、そうでは有りません、例えば、不況時、多くの特に19世紀等では、賃下げあるいは解雇等があります。(メンデリソンは旧ソ連の経済学者でありますのでそういった部分は結構書き込みも有ります 只、通史で恐慌史をこれだけ書いている人はいないと思いますが)その場合、経営者等によって解雇が組織的に行われた場合等はこれは、果して”政策”と言えるのかは些か疑問ではありますが”組織的に行われ賃下げ=消費低下”のような場合はある意味”賃下げ政策”とも呼べるとも思いますが、投稿者の考えでは、”一定の組織力ある”団体”が系統的に、経済的行為を行う場合”が政策と呼べるのかと思います。(これについてはかなり以前より”論争”が有るように見受けられます)


地球(自然)環境問題への取組みの強化を

 最近、雨が降った場合でも土砂降りの時が多いように感ぜられます。このまま温暖化が進んだ場合、”経済的に換算して”現在対策をとれば世界GDPの1%ですむが、放置した場合、5-10%の経費が掛かるとしています。経済的側面もそうですが、最近ではすずめの数が減少しているとか又気象上の色々な変化が感じ取れるまでになっています。政府や政党が第一義的に取り組むべきと思われます。
又、個人でも出来る事は直ちに行うべきでしょう。私の場合で言うと、最近車を必要が有って買いましたが、”軽自動車”で、不要な場合はなるべく乗りません。
又、コーヒー店で使い捨て容器を使っている店には行くことを止めました。その他使わない場合、電気はすぐ切るとかしています。


後ここを遣わして頂いて提案したいのは、
①夜間遅くのネオンの自粛
②一定以上売り上げの無い自動販売機への規制(全部併せると香川県全部と同じと言われています)
③やや困難かもしれませんが、一般店舗の深夜営業の規制
④バス等公共交通機関の奨励(高速への一般補助は環境に逆効果という研究結果も出ています)

これら、”出来ない”ではある意味済まないかも知れません。
政府、経営者団体等では”国際競争力”を言いますが、それはある意味止むを得ないでしょうが、その場合、諸外国と交渉し強調しながら実施すべきと思います。








2010.10.12追記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

”ハイパーインフレ”の”思い出”

2010-10-07 19:22:50 | Weblog
 日銀が国債等のほか”Jリート”まで買い支えると言う昨日の報道を読んで驚いた方も多いと思いますが、本来的に銀行券発行主体である中央銀行がそのように次々と”特例”として買い込むことに対し極めて危険性を感じるのは私だけではないでしょう。
”Jリート”等と言えばやはり”投資”対象であり、国債等とは根本的に性質が違うと言うべきでしょう。

ここで私は自分が学生であった70年代の事を思い出します。現在40才未満の方は記憶が無いと思いますが、中東戦争から始まった石油危機等により、スーパーでのトイレットペーパー買占め そしてあっという間にインフレが始まりました。73年の後半から物価は年率で30%以上の上昇となったのでした。

 ここで今、詳述出来ませんが当時の日本は71年のニクソンショックを受け、為替変動性になった時に日銀が大量のドル買支えを行い過剰流動性が大量に市場に有ったときでした。それがどの様に関与したかどうかは現在述べる事は出来ませんが。(私見に於いては何らか関与したと思わざるを得ませんが。)




 其のとき私は神田の書店に××閣の発行している専門書を買いに行ったのですが、そして棚に3冊あったのですが、ところが3冊のそれぞれの値段が皆、違うのでした。全くそれには驚きましたが、(当然、一番安いのを購入しましたが)要はインフレになれば個人の小金等は吹き飛んでしまうと言う事です。

又、このJリート(資産としての不動産を流動化させる、あるいは新規の不動産投資を行なわせる)は”自立”と言う言葉の好きな大臣たちによって作られたわけであまりに硬い”セーフネット”と言うべきでしょうか??


本来的に景気政策は、経済の全体のシステムを循環的に回すのが目標であり誰がどのように負担し又均衡軌道に乗せるのかよく考えるべきと思いますが。
又、其の日の夕刊の報道には、皮肉かどうか知りませんが”登録型(常用では無い)派遣社員が206万人いるとの事でした。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

景気政策史 42  1907年恐慌-3  FRS(FRB)の成立

2010-10-02 10:19:19 | 景気政策史

 前回まで1907年恐慌の一般的展開の概略及び日本でのその金融的対応を述べさせて頂きましたが、今回はアメリカでの対応及び、この恐慌を切欠として制度変化(FRS、FRBの成立)が起きましたが、その点を含めて述べさせて頂きたいと思います。

1907年春にアメリカで証券市場の暴落が起きたわけですが、夏ごろには鉄鋼生産等にも影響が出始めユーエス・スチールでは需要が25%下落した。10月に入りアメリカ、欧州では恐慌状態になりアメリカでも取付等が起きたが、英銀行では公定歩合を4.5→5.5→6→そして11月7日には、7%にまで上げた。これにより独、仏から金が英国に流入した。

 アメリカではイギリスから前述したように手形の割引制限を受け、今までの恐慌時と同様(1884、1890、1893の恐慌は”手形交換所の貸付証書”の発行で激化を阻止してきた、但しメンデリソンによれば1893年恐慌では手形交換所の証書は発行されたが恐慌は極度の、未曾有の厖大な失業と物価低落、消費の不断の収縮とし”19世紀の歴史でもっとも深刻な恐慌であった”とし”証書”の発行の効果は限られていた事を示していますが)に各地で”手形交換所の貸付証書”を発行し、それにより緩和を図った。
また、政府の国庫資金を一時預金の形式で銀行に融通した(メンデリソン)


アメリカに於けるこれらの状態は翌年になり、豊作による国際収支の改善により徐々に収拾した(ドルの歴史 A.ヌスバウム)





★★★FRS(FRB)の成立

 これらからも分かるように当時はアメリカに”中央銀行”と呼ばれるものは無く、国全体の政策的方向性を取るのが困難であった。
この1907年恐慌を契機に金融制度の改革の機運が高まったのはある意味当然であった。

ここで若干、概括的にアメリカの金融制度の歴史を述べその改善方向が出された経過を述べるのは無駄ではないと思われますので(この分野の方からすればある意味常識とも思われますが)若干述べさせて頂きたいと思います。




アメリカでは”国”というより”州”の意識が強いとされ、一番先に”州法銀行”が作られ発券も行なった。しかし”国としての銀行”を求める勢力もありその間、合衆国銀行設立の試みも二度行なわれたが、両方とも短期間で廃止された(1791年、1816年)
その間やはり州法銀行が主体であったが銀行券もバラバラであり、其の統一制も求められた。

 
 1863年に国の法律によると言う意味で”国法銀行”が各地に作られ国法銀行が統一様式で発券した為、銀行券は統一の方向に向かい1878年には、州法銀行券は廃止された。

尚、”本位”と言う事では1792年の貨幣法でそれ以来金銀複本位制であったがこれは1900年の金本位法で金本位になる。


しかしここで問題になった大きな一つの事は、国法銀行の発券が”担保国債”を基準にしていると言う事で、”発券が非弾力的であったと言う事”です。

(国法銀行券が恐慌時に通貨需要を満たす事が出来ない為に1873、1893、1907年に現金支払い停止が起こり、通貨に対する高いプレミアムが生じたとされます。これ等を称してベックハートは、”非弾力的銀行券発行とバジョット原理(最終の貸し手)の欠如の欠陥としています。p30)
つまり、銀行券の発行の為には国債の”購入”が必要であり、逆に発券の減少の為には担保国債の売却が必要であったと言うことです。(発券限度額が財務省への預託国債に制限される制度になっていた)


 それらからそれら中央銀行の存在しない状態は各方面より指摘されそれに対し1908年”全国通貨委員会”が設立されそこから当時の問題点として

①多数の銀行が全国に散在する脆弱性
②銀行券供給の非弾力性
③小切手の使用が普及しているにも拘わらず各地の習慣等が異なる事等
④連邦財政制度の不完全性 国庫金は”独立国庫”と呼ばれる国庫で保管され国法銀行に預託されていた。

 
 等の指摘を受け、制度改革は愁眉の問題であったので下院銀行通貨委員会から、グラス法案が出され1913年12月に”連邦準備法”が成立し、そこよりFRS:連邦準備制度(FRB:連邦準備制度理事会)が成立といたり国法銀行は発券を止め現在も州法銀行とともに活動している。





参照  アメリカの金融制度 高木仁
      ドルの歴史的研究  片山貞雄

          米国連邦準備制度 ベンジャミン.H.ベックハート        2011.5.2追記

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする