前回投稿で今後の話の前提となる19世紀後半の若干の経済史的事実に付いて述べましたが流石にそれを一回の投稿で述べるのは難しく従いましてその補説を国際金融的側面について限って述べたいと思います。(植民地政策、対外商業政策と不況の関係については後で纏めて述べたいと思います)
前回投稿でS.B.ソウルの“国際資金決済“について述べましたが、ソウルはその“世界貿易の構造とイギリス経済“堀、西村訳(原題:Studies in British Overseas Trade,1870-1914)の中で
①1880年の国際資金循環、-貿易収支及び地金収支となっている でイギリスを中心にした国際貿易等の決済の循環 又
②1910年のやはりイギリスを中心にした国際資金循環について述べています。
これについては、“資本収支“については1910年当時のデータを下に推測したデータを下に算出したとしています。その②では借方がアメリカを筆頭に合計14500万ポンド 貸方がインドを筆頭に11800万ポンドと計上され 2700万ポンドの赤字になっておりこれについては“多くの諸国の受け取り等“であると述べています。
ここで問題とされるべきは国際間の収支はどこかで決済されなければ国際間の貿易は成り立たないと言う事です。これに付き前掲吉岡 近代イギリス経済史 は対アメリカ ヨーロッパからの決済をインドの黒字 アジア等からの黒字で補完し、そういった中、資本輸出、短資貸付が行われ、そこに欧州中央銀行が組み込まれていたとしています。これは今日のドル循環問題のさきがけとも言うべき観点と思われます。
大事な所ですので若干、図で示したいと思います。
A →→→ B
↑ ↓
↑ ↓
↑ ↓
D ←←← C
上記で→が貨幣の流れを表すとすれば、仮にAがイギリスであるとすれば、B国へ入超、Dは逆にAへ入超、で結果的にイギリスAは出入のバランスが取れることになります。何らかの理由でDから流入が無くなれば、Aは貨幣の枯渇になります。その為にはA-B-C-D-Aの循環が保たれる事が必要に為ると言う事です。
19世紀世界経済の循環、又イングランド銀行を中心に金融政策が行われたわけですが、その前提にはこの様な資金循環があったと言う事が念頭に置かれねば成らないということです。
又そこに於いて19世紀後半には銀問題が大きな問題となり、(銀本位、金銀複本位国にとっては“銀価格“の低落は重要な問題ならざるを得ないからです)そこに仏、米等金本位で無かった国を中心に国際会議がもたれる様に成ったと言う事ですが、それにイギリスでの当時の一般的不況と物価の低落が連関付けられ、又当時のインドが銀本位制であった事も絡み、問題となっていったのでした。2008.11.3訂正
参照: 銀 本位通貨史における役割 高垣寅次朗他
現代アメリカ国際収支の研究 松村文武