マクロ経済そして自然環境

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景気政策史―60 19世紀イギリス対外商業政策と不況 その16 “大不況”と商工業不況調査委員会報告

2013-10-05 16:15:48 | 景気政策史

 

 

ここで19世紀後半の世界を覆った“大不況“のなか当時のそれに対する世論がどうであったかを一応述べるのが有効と思われるので当時の政府文献ではその典型と見られる商工業不況調査委員会の内容について述べる。

1850年代から1870年代初め頃までのイギリスは世界の工場、世界の運輸業者であり、世界の銀行であり、世界の手形交換所であると言われた(大野真弓:イギリス史(新版)山川出版1987年p234)しかし、1873年恐慌が勃発し、その後イギリスでは好況の内的条件が未成熟だった為に好況の一時中断から慢性的不況状態となり79年に再び恐慌に襲われ、その後1882年恐慌から86年まで再び慢性的不況に襲われ87年からは一時的好況となったが1890年ベアリング恐慌となり再度慢性的不況状態になった。その後1896年にロシアの鉄道建設、日本の日清[戦後経営]と生産財輸入、アメリカ、ドイツの重化学工業投資、消費需要増大等により長期による慢性的不況から脱却した。(これを一般に“大不況”(Great Depression)と呼ばれている。(前掲 吉岡:近代イギリス経済史p143)

当時の慢性的不況を前にそれまでの自由貿易に対し、ドイツではビスマルクにより当時の英国産品の安売り、(英国に対する諸国の安売りについて下記R.S.Hohhman:p40)低価格の外国農産物に対処する為、更には財政的理由により自由貿易から転換し1879年保護主義に基づく関税表を制定、その後81年、85年、87年の改正で保護貿易の度合いを強めた。又米国では1861年のモリル関税法以降1890年のマッキンレー関税法、デイングレー法により保護貿易の方向が強化された。(前掲 朝倉弘教 世界関税史: p329~)

そのような中、1881年に互恵主義、保護貿易を掲げ“国民公正貿易連盟”が発足したがそれらの世論的背景を元に関税改革に理解があるとされた保守党ソールズベリー第一次内閣の元で大蔵大臣ヒックス・ビーチの提言により不況の範囲、性質、原因、救済策を調査する為に“商工業不況調査委員会”が1885年8月に下院に設置され1886年12月にその最終報告書が提出された。委員会報告は当時の不況に対する社会認識がどのようなものであったかを見るには格好の資料である(吉岡)ためその最終報告中、多数意見、少数意見をここで見る事にする。(以下主として下記吉岡論文参照、尚Page311~参照)

報告は、第一次、二次、三次、及び最終報告の構成となっており租の最終報告が多数意見、少数意見、オコンナー報告(単独署名)となっており多数派は自由貿易主義、(但し18名中、11名が保留意見を述べ、又2名は自由貿易の修正を意見としている)少数派(4名)は保護貿易の立場にあるとされる。(荒井政治 近代イギリス社会経済史未来社1968年p248)

多数、少数の中で状況改善の為の共通して検討すべき項目として13項目が挙げられており、それは

1、資本と労働の間の変化

2、労働時間の変化

3、製造者、販売者、消費者の関係の変化

4、価格の下落かそれとも価値基準の騰貴か

5、通貨と銀行業の法の状態

6、信用の制限か拡大か

7、過剰生産

8、外国との競争

9、外国の関税と補助金

10、国、地方の税の負担

11、他の諸市場との連絡

12、貿易に関する立法

13、土地に関する立法

でこれらを巡って論議がされた。

多数意見:基本論点として(Ⅰ節 27  以下番号は原文の段落番号)現在商工業は不況状態に陥っており、不況とは利潤の低下乃至は欠如と雇用の減退を意味するが貿易量と投下資本量の減少は看取されない。又不況の開始点は1875年であり、その後1880-1883年に於ける若干の部門での短期的繁栄を除いては商工業全体について継続しており特に農業部門で深刻である。

不況の原因について(Ⅱ節)は証人の間では意見の一致をみていないが、過剰生産(over-production)、金の騰貴による物価下落、外国の保護関税・奨励金・制限的通商政策、国内市場及び第三国市場に於ける外国の競争、地方税負担の増大、外国競争者との運賃格差、雇用規制立法、外国の技術教育の優位等が考えられるとしながらも労働問題については労働者の地位の向上、労働時間の短縮、労働組合の存在は不況の原因ではないとし、

“過剰生産”について“全般的過剰と言うのは有り得ないが”とし“需要が生産者に対して引き合う価格を維持し彼の資本に対する適正な利潤を提供するほど十分に活発で無い時期に於ける商品生産もしくは生産能力の存在“を意味するとし、その中で機械生産による生産の増加に触れている(64 )これは少数意見も述べている(73)

それらを総括して原因は、“生産能力の過剰は一部分は国内において不断に蓄積されつつある膨大な資本の競争に基づくものであり、一部分は1870-71年の事件(普仏戦争)が生産を刺激し、商品需要によって保証された以上に長期にわたって持続したためてあり、一部分は社会の少なくとも一つの重要な階級の購買力減退によるものである。”とし、これら諸要因はイギリスの力により規制不可能なものと可能なものがあるとし、前者には農業不況、貿易増加を伴わない資本蓄積に伴う利潤率の低下、外国の保護貿易、後者には商品の品質低下、他国の市場進出を許す企業心の欠如、商業関係立法の欠陥がある。とした。

そこから勧告(政策提言)は国際競争に勝利する為の生産費の低減化、企業心や知識等を以って他国の攻撃を許さない警戒心の強化、新市場の開拓、技術・商業教育の改善、外交官の情報活動の強化、国内産業統計の整備、鉄道料金の公示、不正商標規制法(当時、ドイツ等の不正表示が横行していた Page p312)の制定等が示された。

少数意見は、まず論点として、農業雇用人口の絶対的減少、繊維工業雇用人口の相対的減少、雇用の部分性(操短)と不安定による労働者の賃金収入の減少、賃金率不変の条件のもとでの生産の減少による生産費(固定資本償却費)の高騰と国際競争力の低下が指摘され、

“過剰生産”について“我々はそれを商品生産(もしくは生産能力の存在)の消費能力に対する過剰ではなく引き合う価格での輸出需要及び国内市場において商品の購入に振り向けられる所得もしくは収入の総量に対する過剰、換言すれば人口の利益ある(profitable)な雇用に対する過剰であると理解する。”としつつ、

不況の原因として、国内・国際市場に於ける有効需要の不足に由来すると言う観点からそれを惹起した具体的条件が多数意見と同様な順序で分析されているが決定的相違としては、凶作と外国の競争による農業不況・農業階級の購買力の減退を不況の恒久的要因として一層重視しており、外国の保護制度をもって“組織的な過剰生産”、恒久的不況の“主要な要因”と看做している事が決定的相違点として挙げられている。

そこから勧告は多数意見と前半は基本的に同じであるも、目に付く所ではコストの安価を主張しつつも、“労働に関し健康に有害な事や不快な事を無くし”として労働階級の保護を主張している(多数意見勧告ではこれは触れていない)、その他顕著に相違する部分として教育の改善とくに国際競争に対応するための初等教育の充実による児童の資性の陶冶を勧告し又“有限責任法”の改正に関して公称資本の三分の二が応募され適正な比率が払い込まれるまで営業開始を許可すべきでない事、株式会社の負債能力のより厳格な規制、収支報告書の登記局への提出、清算事務の大法官府から破産法廷への移管等を勧告し、力点として国内市場に於ける外国商品の競争排除の為製造品に従価10-15%の輸入関税を賦課すること、植民地食料に対する特恵関税設定の勧告、食料関税によって少なくとも耕地の急速な減少と雇用の後退は阻止され、工業部門の活況が国内産食料品に対する需要を喚起する事により自由貿易より有利に作用する事等が述べられた。

 

 

参照:[商工業不況調査委員会報告書]分析 吉岡昭彦、 国民経済の諸類型 川島武宜、松田智雄編 所収、 

イギリスの[大不況](1873~96年)に対する諸資本家の対外対策構想ー[商工業不況調査委員会報告](1886年)を中心に(経営と経済)51(4) 藤田暁男

Final Report of the Royal Commission appointed to inquire into the Depression of Trade and Industry 1886

 1880年代のイギリスと欧州諸国とアメリカの市場競争についてR.S.Hohhman::Great Britain and the German Rivalry 1875-1914 p28~

 

 

 

 

 

以下次回

 


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