マクロ経済そして自然環境

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景気政策史―55 19世紀イギリス対外商業政策と不況 その12 関税改革及び穀物法廃止、航海条例の廃止

2013-01-26 13:12:12 | 景気政策史

ハスキソンによって1820年代に一定の改革が行われたが(前述)その後1833年に商務院総裁のトンプソンにより狭い範囲の関税改革がおこなわれたが“自由貿易”に関しさしたる前進はなかった。これは1834年のドイツ関税同盟の発足やフランスの高率関税維持の影響によるものとされる。(吉岡昭彦 近代イギリス経済史 岩波書店 1981年)

そういった中1840年にJ.ヒュームにより、“連合王国への輸入品に課せられる関税に関する委員会(一部省略:原文はもっと長文である)”がもたれ、これは当時の業界が厳しい持続的な窮境(distress)に有った中でのものでありその後の関税改革の重要報告とされた。(ツーク:物価史第5巻)

1841年にR.ピールの内閣が発足し、上記委員会の報告も受け1842年に第1回の関税改革が行われ、原料、半製品、完成品の関税最高限をそれぞれ5%、12%、20%にまで引下げ更に関税減の補修としての所得税の3年臨時として導入した(これはその後恒久的なものとなる)。更に43年には穀物を除く食糧輸入関税の引下げ、機械輸出の完全自由化、44年には羊毛の輸入関税の廃止、45年には綿花、鉄、鉄鉱石等々の基本原料輸入関税撤廃を行った。また46年には残存していた木材等の原料輸入関税を撤廃した。

その間、前述したように反穀物法同盟の運動の広がりの中でピールは徐々に自由貿易、穀物法の撤廃への考えに傾いて行った。そういった中1845年にアイルランドで飢饉が発生し、ピールはそれを機に1846年1月に穀物法廃止案を議会に提出5月26日に可決された。アイルランドではジャガイモが主要食物であった。国内及び世界の多くの国々から食料の援助が届き、50万人が公共事業で仕事を得た(之には多くが非生産的である、道路は求められていないとして批判を受けた。(前掲:Page p170)多くの人々が飢えに苦しみ流行病で亡くなり、その間の穀物価格の値上がりで国家として既に穀物法の維持が不可能である事を認識した。(前掲:LLevi)

他方この法案可決に際し地主階級のスタンレー他89名から12か条の反対意見書が出され、

ア) 小作農に対して重圧を与え、農業労働者に破壊的重圧を与える。

イ) 同様に製造業者にも損失を与える。更に工業労働者にも主として穀物生産者並びに其の依存者の製造品に対する購買力の減退によって齎される、国内市場の喪失から起きる。

等々を述べた。(前掲:北野)

 ピールの辞職を受けたホイッグ党のラッセル内閣には航海法の問題が残された。1845年当時はそれらの法は確固として何年も存続するように見えたがその間の自由貿易への前進がそれら法律の調査を求める委員会の設置が1847年に持たれたがそこでは報告は出なかったが全体の印象としては法の廃棄は有益であり行動への必要性が緊急であると認識した。更に1848年、1849年となり撤廃の法が提案され、廃棄賛成派としては“造船・海運業の独占打破による海上運送費の低減化、外国貿易の拡張、植民地の繁栄と母国の繁栄を主張したのに対し法維持派は”海軍力の基礎たる商船隊の保持、植民地の母国への緊縛“を主張したが1849年に廃棄が決定した。(前掲:吉岡、L.Levi)これらの法律の廃棄、又1853、1860年のグラッドストンの関税、財政改革の実施、1860年の英仏通商条約の成立をもって”自由貿易体制“の成立と言う事になる。

 

 

 

 以下次回


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