マクロ経済そして自然環境

経済的諸問題及び自然環境問題に感想、意見を書く事です。基本はどうしたら住みやすくなるかです。皆さんのご意見歓迎です。

夏目漱石の“博士“辞退に関する一考察。

2014-01-19 22:17:55 | Weblog

明治、大正期の小説が好きな方なら夏目漱石も恐らくは好んで読まれていると思われます。投稿者も中学の三年ころから高校の一年ころは夏目漱石や田山花袋、国木田独歩等々読みましたが漱石は特に好きで長編はおそらく全部読んだと思いますが、その中で漱石が実生活で博士号を辞退したということもどこかで読みました。これは調べると1911年の2月の事であったようです。当時は文部省から(今も?)授けられるということであったという事でそれに対し漱石は“ただの夏目なにがしでありたい“と言って譲らずついに辞退したということのようでありますが、これについて私も日本史についてそんなに詳しいわけではないのですが勉強用に大学受験用の日本史参考書を何冊かもっていますがその中の一冊に日露戦争前に“七博士意見書問題“ということが書かれており、私も知らなかったわけではありますが、当時の東京帝大教授等7人が当時の政府に対し対露政策が弱腰であり満州、朝鮮を何としても確保しその為に“強硬路線“をとるべきとしたものということであります。

ここで聊か面白いのは漱石はどこかで書いていたと思いますが(典拠を示せず残念ですが)“博士などというものは自分の専門は人よりいくらかよく知っているがその他の事はまるきりわからないということの証明のようなものである“と言っていたということであります。辞退が1911年の事であり、七博士事件が1903年の事であったことを考えるなら、又漱石自体博士制度に異論を持っていたようですがこれらの事件に連関があったのではないかというのが私の私見であります。

 

 漱石は何の小説か忘れましたが(これも典拠あいまいで申し訳ありませんが)三四郎か草枕かわすれましたがその中で主人公に日本の将来を語らせ悲観的見解を言わせていたと思います。そのことは長期的、中期的には太平洋戦争での悲惨な結末があるわけではありますがその辺は実証研究したら聊か興味深い結論があるのかもしれません。(現今のきな臭い動きからすれば“面白い“等言っている状況ではない事は疑いないとは思いますが)

 

 

 

 

 

 

 

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