前回投稿で12月13日にバンクレートを4%から5%に上げた所まで書きましたが、これがどういう意味を持つかは必ずしも明確には言い切れませんが、恐慌時にレートを変更したと言うのはこれが始めてであり、これに付き、フイーヴイアー:ポンドスターリングも、前掲クラパムも、何ら細かく述べていませんが、前後関係から推測すれば、危機時に優良手形以外の物に負担をさせる為か、自行の採算を考えた為ではないかとも思えます。(ホートレー:金利政策の100年 でも何らか金融市場の操作を意図したものとは見えないと言っています)その金利引き上げと同時に取られたのが
2番目として、各種政府証券その他に対する殆ど無限定的な貸付であった。その中には、政府に促された国庫証券50万ポンドの買い付けも含まれる。その結果として流通残高は1800万ポンドから2500万ポンドに増えた。
3番目として金準備の増加策で、ロスチャイルド等を利用し金を買い付けたとされます。
4番目として同様な目的の為にフランス銀行の“援助“が有りました。当時のヨーロッパでは恐らくイギリスに次ぐ金属準備の貯留地はフランス銀行であったと思われますが40万ポンドの援助があったとされます。(トウーク 物価史によれば当時のフランス銀行の金属準備は約4百万ポンド程度で金利は4-5%であったとされます)他方でフランス政府からイギリスは兌換を中止すべきであると言われたと言う噂も立ったとされますが両バンクの直接取引では無かったがフランス銀行はその意図を承知していたとされます。参考までに述べると電信が英欧間で使用されるようになったのは1840年代です。
5番目として周知の話ですがイングランド銀行内で使用されていなかった小額銀行券を発見してそれを交付したとされます。
それらの行動を通じて信用の不安が治まっていったとされます。これらを纏めて前掲Fetterは、
①小額銀行券の発布、
②全体としての信頼の回復と言う総括を与えています。
参照:イングランド銀行金融政策の形成 金井雄一 19世紀イギリス金融政策について書かれた邦語文献としては纏まった物である。
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