【ハーイ、リッキー】
Rickey HENDERSON
盗塁の最多年間記録130を達成したリッキーは
「キャッチャーのまぐれ送球や審判の誤審がなければ150は出来たね」と豪語、
自信過剰な嫌な発言である。
ルー・ブロックが持つ通算938盗塁の記録を破った時は
「ブロックは偉大な選手だが、リッキーはそれを超えた!!」と宣った、
先人の偉大な業績をコケにする嫌な発言である。
79年にアスレチックスでメジャーデビュー、
89試合で33盗塁を決め、その脚力を猛アピール。
80年には打率.303を打ち、100盗塁、
82年に、130盗塁をマークし、年間最多盗塁の記録を達成する。
85年にヤンキースへ移籍し、80盗塁を決めるが
打撃面でもパンチ力を見せ始め、24本塁打を放つ。
以降も、ズバ抜けた選球眼を活かした出塁率と
その足で活躍を続け、80年代は、
盗塁王の座をほぼ独占する。
89年シーズン途中でアスレチックスに復帰。
ポストシーズンで大活躍を見せワールドシリーズ制覇に貢献すると、
90年には打率.325、28本塁打、61打点、65盗塁で
チームのリーグ優勝に大きく貢献、シーズンMVPに選ばれる。
91年、58盗塁で11度目の盗塁王を獲得すると
この年通算939盗塁に達し、ルー・ブロックの通算盗塁記録を破った。
93年、トロントに移籍し、ここでもワールドシリーズ制覇の一端を担い、
94年からのアスレチックス以降、チームを転々とし、
自身の盗塁記録を更新し続けた。
ダントツトップの通算1406盗塁や
リードオフマンの誇り、通算1位の2295得点
さらに膨大な盗塁数を支えた高い出塁率の源、通算2位の2190四球など
メジャーリーグの歴史にその名を残すプライド高き名リードオフマンである。
.............が、
前述のような社会性に欠けた発言をしたり、
アスレチックス時代の同僚カンセコの遅刻グセに何故か対抗意識を燃やし
キャンプになかなか合流しなかったり、
ワールド・シリーズの試合中にチームメイトとポーカーを楽しんだり
珍言や奇行には事欠かない『迷選手』でもある。
しかし、そんなリッキーにも感動のエピソードがある。
アメリカ人少女エリン・ステーツちゃんとの心暖まる交流である、
89年、5歳のエリンちゃんは両親と出かけたアスレチックスの試合で
「ハーイ、リッキー」と書かれたバナーを持って観戦した。
エリンちゃんはリッキーの大ファンだったのだ。
バナーに気付いたリッキーはエリンちゃんに向かって手を振ったばかりか
試合後、ボールまで進呈し、
ここからエリンちゃんとリッキーの、
言ってみれば『子供同士』の交流が始まるのだ。
が93年リッキーがブルージェズに移籍すると
エリンちゃんは寝込んでしまう程のショックを受け、
さらに『リッキーにさようならを言うチャンスさえなかった』という
発言が地元紙に掲載され、全米の話題となった。
これを知ったリッキーはもちろん号泣!
試合でオークランドに訪れた際には感動の再会を果たし
涙に濡れる2人がしっかりと抱き合う写真が、
「ウソだと言ってリッキー」なるお得意の見出しと共に新聞の紙面を飾った。
翌年ひょっこりとアスレチックスに復帰したリッキー、
エリンちゃんが狂喜した事はいうまでも無かった。
2人の交流はその後も続いているようである。
Rickey HENDERSON
盗塁の最多年間記録130を達成したリッキーは
「キャッチャーのまぐれ送球や審判の誤審がなければ150は出来たね」と豪語、
自信過剰な嫌な発言である。
ルー・ブロックが持つ通算938盗塁の記録を破った時は
「ブロックは偉大な選手だが、リッキーはそれを超えた!!」と宣った、
先人の偉大な業績をコケにする嫌な発言である。
79年にアスレチックスでメジャーデビュー、
89試合で33盗塁を決め、その脚力を猛アピール。
80年には打率.303を打ち、100盗塁、
82年に、130盗塁をマークし、年間最多盗塁の記録を達成する。
85年にヤンキースへ移籍し、80盗塁を決めるが
打撃面でもパンチ力を見せ始め、24本塁打を放つ。
以降も、ズバ抜けた選球眼を活かした出塁率と
その足で活躍を続け、80年代は、
盗塁王の座をほぼ独占する。
89年シーズン途中でアスレチックスに復帰。
ポストシーズンで大活躍を見せワールドシリーズ制覇に貢献すると、
90年には打率.325、28本塁打、61打点、65盗塁で
チームのリーグ優勝に大きく貢献、シーズンMVPに選ばれる。
91年、58盗塁で11度目の盗塁王を獲得すると
この年通算939盗塁に達し、ルー・ブロックの通算盗塁記録を破った。
93年、トロントに移籍し、ここでもワールドシリーズ制覇の一端を担い、
94年からのアスレチックス以降、チームを転々とし、
自身の盗塁記録を更新し続けた。
ダントツトップの通算1406盗塁や
リードオフマンの誇り、通算1位の2295得点
さらに膨大な盗塁数を支えた高い出塁率の源、通算2位の2190四球など
メジャーリーグの歴史にその名を残すプライド高き名リードオフマンである。
.............が、
前述のような社会性に欠けた発言をしたり、
アスレチックス時代の同僚カンセコの遅刻グセに何故か対抗意識を燃やし
キャンプになかなか合流しなかったり、
ワールド・シリーズの試合中にチームメイトとポーカーを楽しんだり
珍言や奇行には事欠かない『迷選手』でもある。
しかし、そんなリッキーにも感動のエピソードがある。
アメリカ人少女エリン・ステーツちゃんとの心暖まる交流である、
89年、5歳のエリンちゃんは両親と出かけたアスレチックスの試合で
「ハーイ、リッキー」と書かれたバナーを持って観戦した。
エリンちゃんはリッキーの大ファンだったのだ。
バナーに気付いたリッキーはエリンちゃんに向かって手を振ったばかりか
試合後、ボールまで進呈し、
ここからエリンちゃんとリッキーの、
言ってみれば『子供同士』の交流が始まるのだ。
が93年リッキーがブルージェズに移籍すると
エリンちゃんは寝込んでしまう程のショックを受け、
さらに『リッキーにさようならを言うチャンスさえなかった』という
発言が地元紙に掲載され、全米の話題となった。
これを知ったリッキーはもちろん号泣!
試合でオークランドに訪れた際には感動の再会を果たし
涙に濡れる2人がしっかりと抱き合う写真が、
「ウソだと言ってリッキー」なるお得意の見出しと共に新聞の紙面を飾った。
翌年ひょっこりとアスレチックスに復帰したリッキー、
エリンちゃんが狂喜した事はいうまでも無かった。
2人の交流はその後も続いているようである。
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