藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

家賃帳

2019-10-29 04:53:25 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の夕食前、駐車場の家賃帳を配布してきた。 四軒で七台の車が駐車している。 私のお小遣い稼ぎだ。 と言っても、孫様のこまごまとしたことに消えていく。 荒らしておくよりは、自己管理で安くお貸ししている。 街中では考えられないくらいの値段だ。 行く道の途中に、昭和30年まで存在していた小学校の跡地が有ったが、造成がなされて廃品回収の集積場になっていた。 その土地は公の土地では無く、個人の土地が提供されていたそうで、一度廃校になったが、周辺に住宅が増えたので、再び学校を立てるかどうか調査したところ個人所有だったことは判ったいわくつきの土地だった。 その土地の使用料も、支払われておらず、税金まで徴収していた曰く付きの土地だ。 それは明治時代にさかのぼっての事の始まりで、誰も知らないままだったそうだ。 そんな街の変わり様を見ながら行き来したが、三桁国道の中で日本一交通量の多いい、119国道は大渋滞であった。 バイパスを作るべしと声を上げたことが有ったが、そのバイパス工事も、途中までで頓挫している。 トンネル工事が費用が掛かり過ぎるからだ。 かと言って、広島駅裏のトンネル工事は、数倍の費用が掛かるが強行中だ。 同じ長さでも、土砂の運搬路によって経費が変わるのだ。 掘り出した土砂を捨てる場所が確保できないと工事が出来ないのだ。 その結果、周辺の道路事情は整備が遅れるのだ。 その結果が、大渋滞となる。 困るのは我々で、お役所ではない。 解決されるのは何時の日やら…‥‥。


八十一歳に成られたそうだ

2019-10-28 16:04:42 | 日記・エッセイ・コラム

 私が何時もお尋ねする「Natu」様が八十一歳に成られたそうだ。 おめでたい限りである。 果たして私は後七年頑張れるであろうかと、思い始めた。 手足の痺れと傷み、薬の副作用ではなかろうかと思える物忘れ。 マダニ一匹の所為での、急な体調不良が三年以上続いているこの現状は、解決に向かっているとは思えないのだ。 相談する医療機関の無い状態だ。 只々、対処療法が存在しているだけである。 とまあ、そんな後ろ向きに考え始めているが、これも人生に定められた艱難辛苦なのだろうかと思いながら、西遊記を読み進めている。 観音菩薩が、西方の如来のもとに仏典を求めてくる僧を探す旅は、沙悟浄、八戒、孫悟空、竜王に出会いそれぞれを出家させて、西方に向かう僧を待つようにと‥‥。 長安の街に入った。 物語は単純そうに思えるが、それぞれの原罪を調べると、世の人間が侵すべく罪を網羅している様だ。 この物語が、中国の市民を教育するために書かれたのだと感じてくる。 中国の民の気の長い事、この上なし。 まだまだ九巻もの物語が何を語って来るのやら‥…。 ところで、新しい中華スープを開発した。 市販のラーメンのスープの素の中に、豚トロ、ニンジン大根の薄切り、キャベツのの角切りを入れて炊くこと五分。 此れがバカ旨かった。 奥様がお替りしたのは久しぶりだった。 夜はと考えて、ハマチの刺身にこのスープをと奥様に提案したら快諾していただいた。 これから昼寝と決め込むことにいたします。



今朝の寒さは

2019-10-28 08:45:23 | 日記・エッセイ・コラム

三時、目覚めると冷え込んだ部屋の布団の中から出られない。 只々固まっていた。 オイルヒーターを先程押し入れから取り出したが、置き場所が無い。 この冬は、植木鉢が優先の生活なので、その分余計なものが置けない。 それに差し込みが全てパソコンさ三台と、電話に取られている。 これは困った?。 考え込んだが、無い物無いのだ。 ホームセンターが開くのは、九時。 駐車場の家賃帳を作りに出かけるのも九時。 まあそれまでは我慢我慢。 我が家で一番の金喰い虫のオイルヒーターだが、安全には変えられぬと、一昨年以来使用している。 いたって便利である。 洗濯ものにはいちばん優しい優れモノだ。 「うー‥‥」それにしても冷え込んだものだ。 もうすぐ十一月だ、当たり前の事かと思い直しながら、近頃世間とつながらない自分がそこに存在していることが不思議で、‥‥‥。 今朝はまだ顔を洗っていない。 ここは元気を出して‥‥‥。


遅々として進まず

2019-10-27 14:48:21 | 日記・エッセイ・コラム

 本日は昼飯もそこそこに、西遊記を左手に、右手にキーボード。 先ずは曼荼羅をプリントアウト。 登場人物と、いわく付きの道具などをワードに打ち込んでいる。 そこに出来るだけ説明文章を付けているが、この文章が不思議と、我が広島の別院で監修されたものが、飲み込める気がしている。 これもまた、如来様のご計画なのだろうかなどと、思いながら読んでいる。 その所為で、読むことは捗らない。 三蔵法師が西方に旅する起因が、菩薩にあったとは・・・。 全てこの社会が菩薩を中心にその御心で回っている・・・・。 悟りを開くにはまだ早すぎだが、そんなこんなでなかなか前へ進まない。 時間は十分以上あるから、焦ることは無かろうとは思うが、我寿命は残り少ない‥…。   こりゃー駄目だ。悟りが開けてはいない様だ。

           

 


お頭(かしら)がストライキ

2019-10-27 08:10:39 | 日記・エッセイ・コラム

 早朝三時から未だにお頭(かしら)がストライキ。 朝食のコーヒー位では、動き始めない本日頭だ。 オマケに今日は、氏神様のお祭りだが、昨夜は風向きの加減か、笛や太鼓の音が聞こえて来なかった。 秋祭りと言っても、実感が湧かない。 頭を垂れる稲穂の姿が、ほとんど見かけられ無くなったからだろうか。 私が子供も頃は、学校も、余頃の日は、半ドン、当日は休みだった。 広島では、十月の九の付く日が、秋祭りで、九日が「先のくんち」十九日が「中のくんち」二十九日を「後のくんち」と、呼び習わしていて、各町で祭りがかち合わない様にされていた。 嘗ての広島は、漁師町と百姓町が一つ置きに存在する感じで、同じ日に祭りが行われると、気性の激しい漁師町の若者が暴れたので、時の奉行様が割り当てたという説が有ったが、その説の真贋は定かではない。 ここ可部の街も、厳島神社と、明神社が交互に存在している。 嘗ては、太田川の川漁師と、農業者が字単位で存在していた。 今午前八時、一斉に打ち上げ花火が鳴り始め、町内の子供神輿も笛と太鼓を鳴らし始めた。と言っても、子供の数は最盛期の六分の一、十人に満たない数だ。なんだか日本の将来を予言しているような風景である。