藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

ベランダに・・・・

2019-09-28 04:36:39 | 日記・エッセイ・コラム

ヨガ用マットを買ってきた。 私の為に買ったのではありません。 ベランダにしいて、その上に蘭の鉢を並べました。    

       

 後は、透明なプラスチックのBOXを上から被せれば、簡易温室の出来上がり。昨日の内に冬越し準備完了です。 経費600円。

真冬は

     

こんな感じ。



 


年寄りは気が早い

2019-09-27 10:53:20 | 日記・エッセイ・コラム

 冬支度を始めた。 早くから掛らないと、年寄は何をしても時間がかかる。 それだけに気が付くことはみなしたくなるのだ。 この夏手に入れた鉢物の中で、部屋越ししなくてはならない物を、部屋に取り入れる準備を始めた。 たかだか、十鉢程なので急ぐことは無いのだが。棚を作り直したり、水受け皿を準備したり・・・・、色々仕事が有るのだ。 その中で一番の鉢は、パイナップルである。 この鉢だけは、外で冬越し出来ない。 その上、いやに大きく育ってきた。 当たり前のことだが、来年は実がなる年数に近づいたので、この先いかなる鉢に植え替えをしなくてはならないか、思案している。

     

  そのほかの鉢は、南国産の植物だが、寒さにも強いので心配していない。 本日の予定は、パイナップルの植え替えだが、先ずは大きな鉢を手に入れてくることだが・・・。 そのほかの蘭はベランダで冬越し。 昨年までは庭に放置していたので、日当たりの良いベランダは一等地である。 おまけに、プラスティックのカバー付き。 少し過保護になるかもね。

    

     


高い枕が欲しいー

2019-09-27 03:28:19 | 日記・エッセイ・コラム

 切実な願いが一つある。 高ーい枕が欲しい。 理由は簡単、右半身の痛みが左半身に比べて軽い。 となると、右を下にして寝たいのだが、完全に右向きで眠れる枕が探しても無い。 作ればいいが誰も作ってはくれない。 今は、枕を二段重ねにして寝ているが、寝返り、・・・上を向いた時それが崩れる。 すると、元の形に戻れないので、目が覚める。 その結果、目覚めたのが今。 午前三時だ。 年寄りは早起きだそうだが、私の場合は「早起き」なのではなくて、物理的理由で早起きなのだ。 さてさて今日の一日が始まるが、朝飯の準備には早すぎるし、第一この時間から台所でごそごそすると、奥様が眠れない。 すぐお隣の部屋でお休みなのだ。 その部屋はTVが有り、パソコンが一台常に私の整備の下、出番を待っている。 そうなると私が居る事の出来るのは、二階という事になる。 二階は非常に不便だが、私の為にはそれはそれは役立っている。 階段の上がり降りが「リハビリ」となっているからだ。 いかなる用事も一階に行かなくてはならない生活は、私の高齢化を何とか支えてくれている。 第一に上下の生活空間が、夫婦喧嘩をしなくてよい関係を作ってくれている。 お互い用事があるとき以外、口を利くことは無い。 それでも食事の時間は奥様の独壇場である。 今読んでいる本の内容を細かく報告してくれる。 私が気付かなかった事が多いく語られる。 読書力がここ数年で飛躍的に伸びてきた。 今になって、大学を短大で終わらせてことを悔やんでおいでである。 当時私が、もう二年勉強したらと進めたが、頑として聞かなかったのだが・・・・。 後悔先に立たずである。 奥様三十二歳の時だった。


ゴミの山は宝の山

2019-09-26 16:01:10 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和の時代が懐かしい。 特に40年から50年にかけては、私の中では特別な時代だった。 広島市が主催していた「青年学級」での多くの出会いが、真の学びについて考えさせられたからだ。 17歳から三年間の闘病生活で、広大医学部の図書館の本の中で、高校生が読めそうな本は全て読んだ記憶が有る。 というのも、医学部には同門の先輩が沢山いて、どの診療科にも必ず数人いた。 その先輩が、自由に図書館の出入りを出来るようにしてくれていた。 図書館の管理者も同門で、色々アドバイスをしてくれた。 そんな下地が有ったので、「青年学級」で、講師として招請された先生方は、広島大学の教授が中心であったので、その中でも、日本を代表する哲学者「門哲」こと角 秀一教授、 フランス文学の松浦 寛教授は、その講義内容が面白く私が一番好んだ講師だった。 そのお二人とは、妙に気が合って、個人的お付き合いが、・・・と言っても、勝手に大学の研究室に押しかけていた。 一時期は、本気で大学に進学すべく勉強を始めることも考えたが、仕事の建築が面白くなりはじめ、当時は雨が降ると工事が出来なかったので、雨が降れば広大キャンパスを、うろうろしていた。 つまりお二人の研究室に押しかけていた。 角先生の講義は、200人ほどが入る講堂で行われていて、出入り自由。 松浦先生は、20人ほどの部屋が中心で抗議されていたが、大学院生の講義は、2~3にでされていたので、自分の研究室が中心だった。 そこに押しかけた私がいたのだ。 ただし、お土産をもって。 ブラジルという喫茶店で引いてもらったコーヒー豆を持って行って、それを皆さんと飲みながら講義を聞いていた。 フランス語なんてチンプンカンプンな私だったが、同年代の若者と、先生のやり取りが面白く、楽しく過ごしたことは確かだ。 確か41年に、ボーボワールが広島に来た年は、先生と彼女についての議論は時間を過ぎても続いていた。 確か優生保護法の事だったとおもいだしている。 広大の門の周りには全学連の看板が張り巡らされていたように思うのだが、その事は記憶はあいまいだ。 いづれにしても、その先生の部屋の外廊下には、大量の本が積み重なっており、その大半が、生徒の忘れ物や、フランス語を諦めた連中の捨てた物で、ゴミだったのだ。 その中から、フランス語の辞書と、フランスで出版された本だけを探し出して、頂いて来た。 頂いただけで、読めたのではない、何時か時間が取れるようになった時に、めっくて見ようと思ったのだ。 今でも「物をひらう癖」はある。 そもそも、パソコンを使い始めたきっかけは、広島市の粗大ごみの廃棄が有料化される時に、日にちを限って無償で処分してくれた。 その時拾ってきた物を、色々触った結果、使いこなせるようになったのだ。 こうした私の、「拾い物生活」は、人間関係にまで及ぶ、鳩山家との関係や、藤山愛一郎外務大臣、灘尾広吉文部大臣・・・全て拾い物からの関係なのです。 石原慎太郎等もその口、彼が最初の選挙の時に、広島の建設業界の、影の仕切り屋さんから頼まれ仕事で選挙に参加。 気に入られて、東京の総決起大会でしゃべらされて、浅利慶太氏と仲良くなり、同席していた五島 昇氏に京都の祇園で、「人生最初で最後のお座敷遊び」を経験させていただいた。 そんなこんな「ひらい物人生」で、一番の「ひらい物」とはそれは、「奥様」である。 奥様がゴミの中にいたといううことではありませんよ。  


貸すは、差上げると同義語

2019-09-26 10:33:45 | 日記・エッセイ・コラム

 我が家の書棚の中に、旧約聖書、蝶を飼う男、ハックルベリーの冒険、トムソーヤ屋の冒険、黒い雨、・・・等々の本が無い。 いつ誰に貸したか失念している。 姪っ子がよく借りに来ていたので、外らに行ってしまったのだろうと思われるが、二十数年前の事いまさら言う訳にはいかない。 そこで、アマゾンの古本で検索したが、送料を入れると・・・・考えてしまう。 こちらの古本屋に出かければと思うのだが、近頃では古本屋どころか、新刊本の本屋さえ店仕舞いをしてしまっている。 活字離れは深刻のようだ。 車で25分走っていくと、大きな古本屋が有るが、些か国道54号線は、酷道と書き換えたいくらいの、事故多発地帯である。 ましてや、我が家の真下を走る国道191号線は、三桁国道中、最も交通量の多いい道なので、出かけることがおっくうになる。 億劫(おっくう)とは、広島では気分的に嫌なことをいうのだが、標準語ではどう表現すればいいか、広島人には判らない。 そんな事を思いながら、本箱を眺めていたら、あれこれと思い出の本が無くなっていることに気付いた。 いずれも、どなたかに貸したはずだがと思うのだが、帰ってきた形跡がない。 うーむ・・・、「貸すは、差上げると同じ」と思わなく手は仕方ないと思い始めた。