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 藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

文字に残す難しさ

2019-09-21 11:08:20 | 日記・エッセイ・コラム

 「やくざ」と「暴力団」の違いを、嘗ての「仁義なき戦い」の場、広島から皆さんに知って頂くべく、取り掛かったのは良いが、はたと止まったままだ。 その理由は、現在もなおその子孫が地域で活動しているから、実名で書けない。 実名で書くと、現在の広島の裏社会や、政界の事が全て見通せるようになり、・・・・。 名誉棄損に。 その中には、小学校の同級生も存在している。 その父親は、小説、「人生劇場」の飛車角のモデルであり、戦前のやくざの典型的人物だ。 又、国会議員の曾祖父も戦前は、大連や奉天で百貨店や不動産業で財を成した大陸浪人なのだ。 そうした流れが、戦後の広島で渦巻、旧勢力としての「やくざ」、新戦力としての「闇市ヤクザ」、軍隊帰りの「愚連隊」の三つ巴の闘争時期があり、後に、「闇市ヤクザ」と「愚連隊」の決戦となった。 此れが広島の「仁義なき戦い」の真の姿なのだ。 そして、政治と、「闇市ヤクザ」が繋がり、広島の新しい経済界の一角を形成しているのだ。 広島経済界は、「広島電鉄、福屋、フマキラー、造船業」の戦前からの財界対、戦後勢力の「競艇場、土木建設業、サービス業、港湾荷役」の構造を引きずっているのだ。 詳しく書けば書くほど、複雑な広島の社会の形成が見えてくるのだが、個人情報がそこに見え隠れしてくる。 その一因は、西日本最大の「軍事基地」(第五師団と宇品港、呉鎮守府)と、西日本最大の「被差別」の存在が有る。 その「被差別」を、地図上から抹殺するために計画されたのが、戦前の「軍都防衛計画」なる都市計画なのだ。 軍事基地を水害から守るという名目で、旧福島町の半分を、放水路にして失くし、防火帯建設という名目で、百メートル道路を建設するという都市計画がされ、残りの半分を道路と、緑地帯にして抹消する計画だった。 それによって、正業を奪われた人々が、起こした行動の中には、非合法の武力闘争も当然含まれてくる。 そうした色々の軋轢が、戦後の原爆被災地で繰り広げられて、今日に至っているのです。 その結果は、広島駅裏の被差別は、東練兵場として、戦前の軍に吸収されて消え去り、西の被差別は終戦後も残って、新平和都市建設計画によって計画が継承されたが、場や、食肉処理場などの移転地が決まらず、平成の世まで引きずってきた。 その結果、行政の目論見は外れて、被差別解体の目論見は見事に失敗したのだ。 そんな街の隣町で生まれ育った私は全て見てきたのだ。 同級生の中には、その地で生まれたものが多く存在する。 昔、「寝た子を起こすな」という、保守的開放論が存在したが、結果的には深く潜在化しただけとなった。 むしろ「身分差別」を理論的に整理しなかったことが、今日の朝鮮人問題をも含んで燻っている。 暴力団の構成員に韓国籍の人が多いいのも当然の結論なのだ。 

コメント (1)
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