藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

近頃見なくなったもの

2019-09-06 18:55:20 | 日記・エッセイ・コラム

ハエ取りグモ(蠅捕蜘蛛、英名:jumping spider)を、近頃見掛けない。

       

 

 蝿の数が減ったからなのかは判らない。 俊敏に動くその姿はある意味美しく思っていた。 此の処我が部屋に、蝿様が訪問されることが有る。 「ぶーん」と飛び回るのがなんともいやな感じだ。 心が落ち着かない。 かと言って、殺虫剤で「しゅー」も嫌なのである。 後の薬品のにおいが、どこか昔の「霊安室」に似ている気がするのだ。 「霊安室」は、お香と薬品のにおいが混ざり合って独特のにおいがしていた。 その匂いにどこか似ている気がするのだ。 高校生の頃、霊安室の管理の仕事をしたことが有る。 私は死人は怖くない。 生きた人間が怖い。 夏休みひと夏、のアルバイトだった。 葬儀屋さんのバイトなのだが、本職さんが死体処理した後、家族が出入りするので、お留守番したり(お線香を絶やさぬよう気お付けたり) 、昼間は本職さんが詰めているので夜だけの仕事である。 役得も多いい。 家族からの差し入れ、・・・。 お小遣いまでいただいた。 こんなアルバイトは他にないが、怖がって誰もやらないそうだ。 ドライアイスを、死体の中に詰めるのも仕事の内なのだ。 話がよそ道に逸れてしまった。 そう香りの事だった。 いいお香は、心を落ち着かせる。 が、安物は心が挫ける。 長時間霊安室にいると其れがはっきりするのだ。 蠅捕蜘蛛の話が、とんでもない方向に行ってしまった。 相手が、クモ(雲?)だけに掴みどころがないようだ。 ハイ、時間はよろしいようで。 ・・・・   

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瞑想力其れとも想像力?

2019-09-06 05:19:45 | 日記・エッセイ・コラム

 布団の中で一人瞑想にふけっていた。 午前四時、二時間前に飲んだ痛み止めが効いてきて、ウツラウツラ・・・・。 こんな時お釈迦様は瞑想されたと聞いたことが有る。 ここは一つ私もと、電気を切って目をつむり深呼吸を三回、心臓の鼓動だけが聞こえるように・・・、「むぬ」 心臓の鼓動が聞こえない?。 以前は一人静に目を瞑っていると、聞こえてきたものだがと・・・。 「こりゃー駄目だ」。 自分のやっていることが一つ一つ気になるようでは、瞑想どころではない。 そんなことを繰り返していたら、五時になってしまった。 途端に「遊工房」様の事が頭に浮かんだ瞬間、瞑想から想像に変わって仕舞った。 もう起きだして、ゴソゴソ食事の準備や、切り絵や・・・・。 そんな光景が目の前に浮かんできた。 「こりゃーだめだ」 瞑想が想像に入れ替わってしまった。 此れでは悟りは開けない。 「凡人の凡人たる所以がここに極まれり」。寒さで起き上がらざるを得なくなった。 昨夜は窓を全て開けて寝ていたのだ。 唾液を飲み込むと喉が痛い。 慌てて作務衣の上下を取り出して・・・。 朝のひと時を心静かにと思えども、凡人の悲しさそれすらままならぬとは。 こうなると、雑念ばかりが強くなって来る。 私の朝飯は、ホルモンスープの雑炊を作ろう。 葱をタップリ入れて、冷凍しているエビも入れて・・・。 わき道もここ迄なったら本道だ。 雑念ばかりの自分に立ち返って、食欲を満たす算段をしようと起き上がった。

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