藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

今夜から一人寝です。

2012-02-15 19:39:36 | 社会・経済

今日は、かね院日である。日午後一番に、の手術を受ける。供の頃より、耳炎となり、方鼓膜が無い。コツの動きも、年の中耳炎により動きが悪いそうである。刀していただく先生は、本でも十本の指に入る名医である。がいい。々夫婦は、な所で運が良い。ず手術はいい結果が出るであろう。の肺も今の所大人しくしている。漢方医学の不思議さに、心しきりである。土広島大学臨床学教授が、年新しい学会を立ち上げられた。国の大学病院や、合病院で和漢方医学の実践をされている先生二十数余名が、加されて開かれたらしい。今年も、月に広島大学医学部で、会を開催されるそうである。の学会から、に講演依頼が来た。スベスト肺に対する、漢方医療の経過とアスベスト患者発掘運動についての、想と報告をしてほしいとの事である。康管理手帳綿存在を、人でも多くの医療関係者に知っていただく絶好のチャンスである。んで引き受ける事にした。えてみるとこれで二つの学会員になることとった。一つは、広島大学の工学部に本部が置かれている、積み学会である。積みに興味があり、言家が参加するこの学会は、わめてユニークな人々の集まりである。積みの職人さんから、積みファンまで色々参加している。のような、場管理者もまたそのメンバーである。のメンバーの中に「んという、年で、歳の石工さんがいる。を積ますと、代の名工の一人である。一つで、良土木会社を作り上げ、ンボルギーニをこよなく愛し、在も高速道路を週末に疾走している。かも、と黄色の二台の車を交互に乗り回す姿は、春真っ只中の感がある。の大先輩に私の現場管理方式が気に入れられ、われるままに参加して、年が来る。居二重橋を架けたのも、本の一人の石工「五郎」あった。の人の作品は(あえて作品と呼ぶ)現在では、箇所しか確認されていないが、づれも美しい姿をした橋である。かには、の上から、ンクリートで補強し現在も国道を支えている物もあるそうであるが、の作品であるとの確認が難しくしかし、うした橋の存在を休日を使い、い求めている人もまた、積み学会の会員である。午後、通の封書が届いた。康管理手帳綿請書である。提出面の点検以来である。の職歴が申請に値するかどうかの点検である。業経験を、の様に表現すれば、康管理手帳綿取得できるかどうかの分かれ目である。金記録や、明者の証明資格等二時間かけて添削し、達で送り返した。は、正し郵送すればよい。れでまた一人、掘が進んだ。かしきりの無い作業が、後も続く。

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主人が壊れると、PCも壊れた。

2012-02-15 06:33:09 | 社会・経済

PCが壊れた。PCを取り出し、遽使用することにした。日は、政書士の受験講座に参加して、半日講義を聴いていた。事をしていた時と比べれば数段、楽である。びの面白さもある。れにしても、の中どこか間違えているように思えてならない。ランティアが育たない理由が少しずつ、ってきたような気がする。意の行為より、得権を認める世の中が、ずれ崩壊に向かうであろうことは、容易に想像がつく。泉内閣のもと、幅な規制緩和を行ったが、事なところを忘れていたようだ。った人が、くにいれば助けてあげる。く自然の行為さえ、制されている。日本はどうかしている。しかし反面、の被災地では、然として、ランティアを必要としている。の中、いものいじめ構造になっているようである。に考えてみると、金がある人のみが、の恩恵に預かり、者は切り捨てられていくのである。の様な政治が続くと、ず大きな代償を払うときが着そうである。

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アスベストばく露者救済活動に横たわる壁

2012-02-13 18:52:41 | 社会・経済

康管理手帳綿得の為の申請の手助けが、行政書士法に抵触する可能性があると、労働局から指摘された。請書作成業務及び、請代理業務が行政書士法に抵触するというのである。日から行政書士法を何度も読んでみたが得できない。ランティアでのそうした活動を禁止する項目は何処にも明記されていないが、かといって、いとも明記していない。まり曖昧なのである。な言い方をすれば、政書士という制度を作った手前、の制度のっとり行政書士を保護しなくてはならないので、政書士の行うべき行為についての保護を、ているのである。こであることに気づいた。覚障害者が、役所の窓口に行き、民票を取得しようとする。の時、覚障害者は、民票取得の為の申請書に記入できない。こで、役所の職員が代理で書類を作成すると、はり行政書士法違反なのであろうか。である。う考えると、働局から遠方に居住する人が、くに住む友人に代理で康管理手帳綿取得の為の手続きを依頼した場合、れは許されるべきことではなかろうか。生労働省のお役人体質が見え見えである。政書士の業務保護と、スベスト被害者の権利保護とどちらが、生労働省の本来の仕事であるかは、然としている。前論に終始するお役所仕事の一部分であるが、うした事が積み重なると、事が滞り、民の不満が爆発するのではなかろうか。後の国の対応の遅さも、案外この辺りが原因ではなかろうか。法規的処置を先行させ、の改正は、からでも良かろうと思うのだが、会議員の中には、うした行為に対し、役所根性を丸出しにしたような方々が、まりにも多いように感じられる。会中継を見ていても、う感じるのは私だけなのであろうか。くよく考えてみると、会議員の中には、国家公務員がかなりの数おいでになる。うした事が、会までもお役人仕事にしているのではなかろうか。そこで私は、鹿な考へ休みに似たり。えて行政書士の資格取得を目指す事にした。うせ時間をもてあます自分が存在するなら、えてこれに挑戦。一月の試験まで、ログもそのほかの活動も減量(重も)して、戦してみる事にする。

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日本で最初の石綿スレートの製作された地は、東京の深川

2012-02-12 17:00:08 | 社会・経済

日本で最初に、石綿スレートを作った会社が判明した。浅野スレートが、そうである。大正3年12月 東京は深川で、産声をあげた。この時点から、スレート製作工場における、石綿疾患が始まった。手軽で丈夫。この商品は、工場建設向けの商品であったかどうかは、判然としない。なぜなら、当時高価であったようである。察するに、当初は洋館建ての屋根用瓦(現代風に言うならカラーベスト)を主に製作したのではなかろうかと思います。その辺りの資料は、未だに見つけていません。しかし、当時流行していた、洋館建ての屋根を考えると、納得できる。銅版葺の屋根が、大型建造物に使用されるのに対し、木造建造物に使用されたのであろう。ただ、戦前の学校の校舎には、よくアスベスト瓦が使用されていたことは確かである。私の卒業した小学校も、原爆の被害を免れていたが、屋根はアスベスト瓦であった。それから遅れる事十年、横浜市神奈川区に朝日スレートが設立され、創業を開始した。この工場は、昭和八年石綿紡織を設立し、石綿布の製造も開始している。近年まで、消防士が着用した、防火服などが製作されたようである。工場が近隣に及ぼした被害はこちらの方が大きいかもしれない。紡織は、一般の綿糸でも塵肺を引き起こすほど粉塵を撒き散らす工場である。ましてや、石綿による紡績となると、相当な労働者や、地域住民が被害を受けたであろう事が、想像される。今後、手を尽くし、調べて行くつもりである。

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老化が始まっている広島市役所本庁舎

2012-02-11 11:24:41 | 社会・経済

昨日広島市役所本庁舎に出かけた。地下駐車場から議員控え室までの、通路でいくつかの事に気づき、写真に収めておいた

P1010002 駐車場の排気を、外部に送り出すダクトのジョイント部分である。この部分にアスベストパッキンが使用されている。すでに、風化が始まっている。

P1010005 天井に取り付けられた、火災報知器の周辺部である。天井の材質は、アスベスト75%のソーラートン不燃天井である。すでに風化が始まり、欠落を始めている。

多くの市民が出入りする役所の管理体制を疑いたくなる。ましてや、職員は365日この条件下で仕事をしている。

「あなおそろしや」と、野村まんさいのまねを、思わずしてしまった。

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