今日は、「あかね」の入院日である。明日午後一番に、耳の手術を受ける。子供の頃より、中耳炎となり、片方鼓膜が無い。鐙コツの動きも、長年の中耳炎により動きが悪いそうである。執刀していただく先生は、日本でも十本の指に入る名医である。運がいい。我々夫婦は、変な所で運が良い。必ず手術はいい結果が出るであろう。私の肺も今の所大人しくしている。和漢方医学の不思議さに、感心しきりである。宇土広島大学臨床学教授が、昨年新しい学会を立ち上げられた。全国の大学病院や、総合病院で和漢方医学の実践をされている先生二十数余名が、参加されて開かれたらしい。今年も、八月に広島大学医学部で、学会を開催されるそうである。その学会から、私に講演依頼が来た。アスベスト肺に対する、和漢方医療の経過とアスベスト患者発掘運動についての、感想と報告をしてほしいとの事である。「健康管理手帳」(石綿)の存在を、一人でも多くの医療関係者に知っていただく絶好のチャンスである。喜んで引き受ける事にした。考えてみると、これで二つの学会員になることと成った。今一つは、広島大学の工学部に本部が置かれている、石積み学会である。石積みに興味があり、一言家が参加するこの学会は、きわめてユニークな人々の集まりである。石積みの職人さんから、石積みファンまで色々参加している。私のような、現場管理者もまたそのメンバーである。そのメンバーの中に「I」さんという、今年で、80歳の石工さんがいる。石を積ますと、現代の名工の一人である。腕一つで、優良土木会社を作り上げ、ランボルギーニをこよなく愛し、現在も高速道路を週末に疾走している。しかも、赤と黄色の二台の車を交互に乗り回す姿は、青春真っ只中の感がある。この大先輩に、私の現場管理方式が気に入れられ、誘われるままに参加して、十年が来る。皇居二重橋を架けたのも、熊本の一人の石工「甚五郎」であった。この人の作品は(あえて作品と呼ぶ)現在では、三箇所しか確認されていないが、いづれも美しい姿をした橋である。なかには、その上から、コンクリートで補強し現在も国道を支えている物もあるそうであるが、彼の作品であるとの確認が難しくしかし、そうした橋の存在を休日を使い、追い求めている人もまた、石積み学会の会員である。午後、一通の封書が届いた。「健康管理手帳」(石綿)申請書である。提出書面の点検以来である。彼の職歴が申請に値するかどうかの点検である。作業経験を、どの様に表現すれば、「健康管理手帳」(石綿)が取得できるかどうかの分かれ目である。年金記録や、証明者の証明資格等二時間かけて添削し、速達で送り返した。後は、訂正し郵送すればよい。これでまた一人、発掘が進んだ。しかしきりの無い作業が、今後も続く。
PCが壊れた。古いPCを取り出し、急遽使用することにした。昨日は、行政書士の受験講座に参加して、半日講義を聴いていた。仕事をしていた時と比べれば数段、楽である。学びの面白さもある。それにしても、世の中どこか間違えているように思えてならない。ボランティアが育たない理由が少しずつ、解ってきたような気がする。善意の行為より、既得権を認める世の中が、いずれ崩壊に向かうであろうことは、容易に想像がつく。小泉内閣のもと、大幅な規制緩和を行ったが、大事なところを忘れていたようだ。困った人が、近くにいれば助けてあげる。ごく自然の行為さえ、規制されている。日本はどうかしている。しかし反面、3.11の被災地では、依然として、ボランティアを必要としている。世の中、弱いものいじめの構造になっているようである。逆に考えてみると、お金がある人のみが、法の恩恵に預かり、貧者は切り捨てられていくのである。この様な政治が続くと、必ず大きな代償を払うときが着そうである。
「健康管理手帳」(石綿)取得の為の申請の手助けが、行政書士法に抵触する可能性があると、労働局から指摘された。申請書作成業務及び、申請代理業務が行政書士法に抵触するというのである。昨日から行政書士法を、何度も読んでみたが納得できない。ボランティアでのそうした活動を禁止する項目は何処にも明記されていないが、かといって、良いとも明記していない。つまり、曖昧なのである。別な言い方をすれば、行政書士という制度を作った手前、その制度にのっとり行政書士を保護しなくてはならないので、行政書士の行うべき行為についての保護を、しているのである。そこであることに気づいた。視覚障害者が、市役所の窓口に行き、住民票を取得しようとする。その時、視覚障害者は、住民票取得の為の申請書に記入できない。そこで、市役所の職員が代理で書類を作成すると、やはり行政書士法違反なのであろうか。否である。そう考えると、労働局から遠方に居住する人が、近くに住む友人に代理で「健康管理手帳」(石綿)の取得の為の手続きを依頼した場合、それは許されるべきことではなかろうか。厚生労働省のお役人体質が見え見えである。行政書士の業務保護と、アスベスト被害者の権利保護とどちらが、厚生労働省の本来の仕事であるかは、歴然としている。建前論に終始するお役所仕事の一部分であるが、こうした事が積み重なると、仕事が滞り、市民の不満が爆発するのではなかろうか。3.11後の国の対応の遅さも、案外この辺りが原因ではなかろうか。超法規的処置を先行させ、法の改正は、後からでも良かろうと思うのだが、国会議員の中には、そうした行為に対し、お役所根性を丸出しにしたような方々が、あまりにも多いように感じられる。国会中継を見ていても、そう感じるのは私だけなのであろうか。よくよく考えてみると、国会議員の中には、元国家公務員がかなりの数おいでになる。そうした事が、国会までもお役人仕事にしているのではなかろうか。そこで私は、馬鹿な考へ休みに似たり。あえて行政書士の資格取得を目指す事にした。どうせ時間をもてあます自分が存在するなら、あえてこれに挑戦。十一月の試験まで、ブログもそのほかの活動も減量(体重も)して、挑戦してみる事にする。
日本で最初に、石綿スレートを作った会社が判明した。浅野スレートが、そうである。大正3年12月 東京は深川で、産声をあげた。この時点から、スレート製作工場における、石綿疾患が始まった。手軽で丈夫。この商品は、工場建設向けの商品であったかどうかは、判然としない。なぜなら、当時高価であったようである。察するに、当初は洋館建ての屋根用瓦(現代風に言うならカラーベスト)を主に製作したのではなかろうかと思います。その辺りの資料は、未だに見つけていません。しかし、当時流行していた、洋館建ての屋根を考えると、納得できる。銅版葺の屋根が、大型建造物に使用されるのに対し、木造建造物に使用されたのであろう。ただ、戦前の学校の校舎には、よくアスベスト瓦が使用されていたことは確かである。私の卒業した小学校も、原爆の被害を免れていたが、屋根はアスベスト瓦であった。それから遅れる事十年、横浜市神奈川区に朝日スレートが設立され、創業を開始した。この工場は、昭和八年石綿紡織を設立し、石綿布の製造も開始している。近年まで、消防士が着用した、防火服などが製作されたようである。工場が近隣に及ぼした被害はこちらの方が大きいかもしれない。紡織は、一般の綿糸でも塵肺を引き起こすほど粉塵を撒き散らす工場である。ましてや、石綿による紡績となると、相当な労働者や、地域住民が被害を受けたであろう事が、想像される。今後、手を尽くし、調べて行くつもりである。