広島市周辺の郡、安芸郡、安佐郡、佐伯郡、高田郡 等の町村からの、市内への救護、片付けなどの活動は、昭和20年のこの日が最後となった。
その間に、放射能の二次被害にあった人々の記録は、なかなか見つからない。戦後のどさくさでの記録が無いからである。しかし「原爆戦災誌」の中には、いくつかの町村が記録した物が記載されている。広島への動員などの記録である。町村によってはこれ等の記録が証拠となり、「被爆者援護法」が制定された時の「被爆者認定」に活用された。しかし、「被爆者援護法」を待たずに無くなった方たちも多いと聞く。その数は不明である。
「原爆戦災誌」のダウンロードしたCDご希望の方に差し上げます。ご希望の方は、コメント欄で、非公開希望と記入の上、住所 氏名をお送りください。1,408ページに上る原爆の惨状を語る一級の資料です。