広島市役所本庁舎正面左に、この碑はひっそりとある。「慰霊」と刻まれているだけで、そのほかの文言は何も無い。
以前からこの碑の言いたいことは「何なのか」と言う疑問を抱いていた。なんだか申し訳の為に建てられたような碑である。
戦時中は、市役所は国からの命令を伝達する末端を背負わされ、その命令で多くの戦争犠牲者を生み出した事実は存在するが事、「原爆犠牲者」の一部である職員の慰霊については、もう少し手厚くても良いと思う。
そのことに気がつかない歴代市長、本当に「ヒバクシャ」を認識しているのか疑問に思い始めた。
昨日、松井広島市長の記者会見が放映されていた。8月6日を控えての、例年の記者会見である。見ていてがっかりした。歴代の市長は、カメラに向かい、自らの言葉で語ったのに対し、松井市長はただ単に、手元の原稿を棒読みし、一度もカメラを向くことは無く、その言葉もうつろな単語の羅列で、優等生の作文のようで、自らの言葉で語ることなど微塵も無かった。
世界で最初の核の犠牲となった都市の市長としての自覚など微塵も無い。
そうした一方で、元市職員が個人として、原爆死没者の遺骨二体を保管し、昭和45年「慰霊塔」に納骨された事実を知る時、この元職員の気持ちがなんだかいとおしく思えてきた。又今年も「禁か協か」の盛夏が始まる。
平和運動家は、口をそろえて曰く「後継者が居ない」。
「居ない」のではなく、居なくさせてのは、貴方たちなのです。貴方たちより一回り若い被爆者の私でさえ、既存の運動組織に近づきたくない。
外から、何が正しく何が間違っているか、思想信条を超えて出来る、「平和運動」を私の年代は、模索を続けているのです。 女優吉永小百合さんも、その一人なのです。