藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

8月13日

2012-08-13 20:25:45 | 社会・経済

8月13日は、母の兄 中川 数夫の67回忌に当たる。67年前 原爆で大怪我を負い母親に看取られて、草津小学校の校舎で死んでいった。

天満町という所で被災し、一旦は己斐の私の家まで逃げてきたが、私の母が私を背負うちに被災者と共に姿を消した。 私の母が逃げたのは西であろうと見当をつけ草津小学校に行って観たが、其処に避難している人たちは皆同じように火傷を負い、区別が付かなかった。 夕方、母の母、祖母が息子を探しに来た。再び草津小学校へ行って観たが、 私の母には自分の兄を見つけられなかったが、 祖母は足の裏を見て自分の息子を見つけてそうである。

この話を書き始めると 身内でただ一人、直接原爆で犠牲となった 私にとっては叔父に当たる人間について、書きたいことがあまりにも多く、今日は更新をすまいかと考えたが、詳しいことは後日に譲り、26歳でこの世を去った一人の青年の冥福を祈って静かに一日を過ごしたことのみとする。終戦まで後二日。

67年前の悲劇が再び繰り返されませんように。