藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

福島原発事故

2012-08-11 13:14:05 | 社会・経済

8月5日から連日二時間「原爆戦災誌」を読んだ。というよりひらい読みしたと言う方が正解であろう。1,408ページに及ぶ資料は実際の被害の一部でしかないが、悲惨を極めた状況が読み取れる。

今朝のNHKの放送の中で、東京電力が報道関係者に公開した、社内会議の内容が報じられたが、その内容たる物は、公開したことに成らない物と断じ得ない。

東京電力は、個人の「責任追及の資料とならない範囲での公開」といっているようだが、語るに落ちた。この福島原発事故は、東京電力の一部の人間の責任ある決断が欠けたために発生したのだ。

運転免許証の書き換え講習時に「だろう運転は危険、かも知れない運転をしてください」と、講師がしつこく語りかける。

原発そのものが最初から「だろう運転」なのである。今回の事故の記者会見で語られたのは、「予想外」「想定外」のいかに多かったか皆さんも記憶に新しいと思う。

広島に投下された原爆、その被害をより甚大にしたのは、「原子爆弾」であると知りながら、被害者救済を名目に市内に動員された周辺町村の人間や、下級軍人なのです。上級軍人ははるか離れた所から、指令のみを発していた事に自らを恥じることが無いのでしょうか。その作業は、軍都復活の為の片付けが、大きな仕事だったことが、「原爆戦災誌」を読むと良くわかる。

今回の福島原発事故についても同じことが言える。東京電力の上層部が、最前線で即決できる体制を作らなかったことが、被害を大きくした事に間違いない。

福島原発から放出された放射能は、セシュウム137だけでも、広島の原爆の168倍。どの様に除染しても100倍の残存放射能が放置される。

福島4号機には、広島型原爆の5,000発分の核物質が使用済み燃料として残されている。全体でどれだけの使用済み燃料残され、その脅威は語られるかとは無い。

私の父から聞いた話の中に、8月7日原爆炸裂の翌日、会社からの呼び出しで吉島飛行場に駆けつけると、満州航空のDC-3型機が着陸した。操縦士は、義兄のT氏で、急遽東京に昨夜呼ばれ、今朝東京を飛び立ち、広島に来たのであった。

満州国はあくまでも戦争当事国でない為、アメリカ軍の攻撃を受けることはまれで、明らかに日本軍の下での行動時には攻撃を受けてそうである。そのDC-3型機には参謀本部の者が乗ってきたが、市内には絶対に入らなかったと語った。

当時満州航空は、エッソと燃料契約をしていたので、大連にエッソのタンカーが入港しても攻撃されなかったとも語った。アメリカらしいといえばそうであるが、アメリカの本質が垣間見える気がする。

一方、フィリピンに派遣されていた、満州航空の駐在員を引き上げさせる為に派遣した飛行機が、軍の上層部の脱走の為に乗っ取られたことが有ったが、その飛行機は離陸と共に集中砲火を浴びて墜落炎上したそうである。満州航空社員は陸路港まで脱出し、漁船で大連まで逃げたそうである。この事は「満州航空史」の下巻に記載されている。満州航空機が撃墜された時、軍人の一部が「ざまーみろ」と言ったことまで記載されているのに驚いた。

いずれにしても、東京電力の上層部は、旧日本軍程度の能力しかない集団であったのだ。今後責任の所在は追及されるであろう。「核」の甘味に集った蛆虫を、国がどの様に規制していくのか見ものである。