神戸から帰宅すると、「留守電」が入っていました。
「○○時代の△△です!電話ください!」
晩も11時近かったので、電話をかけませんでした。
『夜の電話、お休み日の電話』・・・・・・・・大嫌いな人がいます。(家人に!)
今の時代は、携帯電話があるので、マナーモードにしておけば、「音」はならないし、嫌いな人の前で話さなくてもすみます。それに、私の友人ならば、携帯メールで用事なり・連絡はしてくれます。
そんな理由もあり、「インターネット・ケイタイ」の依存度が私は高いかもしれません。
(翌朝、同じ方から電話があり、会合のアレンジの依頼を受けました。まる投げの依頼だったので、そこから連絡できる限り連絡をとり、出席者人数を取りまとめ、会合場所を探したのですが・・・師走になると、不景気と言えども、忘年会シーズンなんですね~混んでいました。どこのお店も~ほとんどの「個室」は8名までで、10名の予約を取るのに、ネットで調べ、雑誌をめくり、10件ぐらいに電話をかけまくり、ようやく「予約」が出来ました。)
一昔前だったら、こんなこと考えられません。
やっぱり、ネットは便利です。
↑ (1980年 カナダ・アメリカ旅行中の写真)
(場所は、サウザント・アイランドでドイツ人の方のレストランにて)
(アメリカ側)
義母の13回忌は、孫のお嫁さんたち(私達の甥っ子の奥さんに当りますね)は、「一度も会ったことがないおばあさん」の法事なわけです。
そこで、義母が写っている写真をスキャナーでとり、スクラップブッキングして、神戸に持っていったのです。
写真に写っている義母の年齢に、私がなり・・・・・・・・
28年前の私と同じ年代の、孫のお嫁さんたち・・・・・・・・・
写真・・・・・・・・1枚
・・・・・・・・・で盛り上がりましたよ。
もう1枚、おまけです。 ↓ 28年前のこの人だあれ?
参考地図
地図中央がKingston
(A)ポイントが、1981年サミット会議の場所Montebello
両地点とも、とっても美しい場所で、ナイアガラの滝を案内する時に、両方に立ち寄ります。
Montebelloのサミット会議をしたホテルに、義母と義父と宿泊した記憶があります。
オタワ・サミット (第7回)
日時 1981年 7月20日~21日
会場 モンテベロ 及び オタワ Montebello
参加首脳 日 鈴木首相
米 カーター大統領
英 サッチャー首相※
仏 ミッテラン大統領
西独 シュミット首相
伊 スパドリーニ首相
加 トルドー首相
EC トルン委員長
会議の概要 参加国間の連帯と協調を基調としつつ、「民主主義工業国の経済の再活性化」に取り組むことを宣言した。
当面、インフレ抑制と失業減少を最優先課題とし、開発途上国に対しても種々協力を行ってゆくべきことを確認した。
自由貿易体制の維持・強化の必要性を確認した。
政治問題に関する討議概要を議長総括説明として発表した。
テロリズムに関する声明を発表した。
(注)
レーガン大統領とミッテラン大統領が初参加した。
レーガン大統領のイニシアチブにより東西経済関係が議論された。また、米国の高金利政策に関して議論がなされた。 (webより参照)