WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

日本の米(2)

2007年10月15日 | このごろ思うこと
「NHKスペシャル ライスショック」の後半の放送を見た。眠い目をこすってわざわざ見るほどのものでもなかった。時間を損した。

 取材の基本視点は、自由競争による市場経済を前提とした迫りくるグローバル化に日本はどう対処すべきかという、外国からの圧力や事が迫ってきてから右往左往する相変わらずの受身で主体性のないものでしかなかった。コストのかかる米自給をあきらめて大量生産国から買い付ける道か、集約化などの競争力強化をもって対処するべきか、という二者択一的議論に終始して終わってしまった。
 レポートされている政府の陳腐な食糧自給率アップ政策はすでによく知られて、いまさら報道するほどのこともない、昔習ったソ連のコルホーズ(集団農場)の日本版だ。

 秋田では、小規模個人農家の農地を集約して会社組織とした大規模協同農場に再編しての効率化、生き残りが模索されている。各農家はその会社の社員として働く。
 米価保障はすでに打ち切られ、その他の農家への支援策も順次廃止されつつある。農機購入の負債や諸経費で首が回らなくなった個人農家は農地を借金のカタに取られる。モザイク状に点在する農地や間にある水路、墓地、他の用地は再編される。しかしもともと耕作可能地が狭い上に山間農地が多い日本で、いくら土地を集約したところで所詮、中国やアメリカ、オーストラリアの圧倒的に広大な農地と安い労働力や機械化力にかなうはずもない。

 協同農場会社もいずれは、昨夜放送の台湾の農家のように商社などの大企業が支配することになるだろう。さらに一枚農地に再編されて付加価値の付いた広大な土地は、外資やファンドのマネーゲームの餌食になってしまう可能性もある。実はそれが真の狙いなのではないかとさえ思えてくる。

 小作人で苦労した先代が農地改革でタナボタ式に手に入れた農地。それをあんのんと受け継いだ次世代達が、自らの既得権を守らんがために、進駐してきたアメリカの支配政策=自民独裁に加担してきた結果の自業自得という面も、確かにあるだろう。しかしことはもはや、そんな一部特権農民の利害問題では済まなくなっている。
 自由競争による市場経済を前提とした議論では解決策はない。食糧は国家存立の基盤であり、自給のための保護策をとるのは国家安全保障のための基本的権利であり、欧米先進国がその権利を強く守っているのは報道を聞くまでもない。
 そういう視点で対策を立てていかないといずれ日本という国自体が溶解してしまい、殖民属国化していくことになるだろう。すでにアメリカ合衆国ジャパン州だとか、中華人民共和国日本省だとかと揶揄されても笑えない事態にあることは確かである。既得特権を残した個人営農だろうがコルホーズ型社会主義農業化だろうが、今はどちらでもよいことだ。まずは国家安全保障としての自給農業を他国の干渉を排して維持するのか否かの日本国の独立主体性が問われているのではないのだろうか。