図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

訪ねてみると

2024-06-04 16:12:25 | 日記



最近の同じようなニュースが毎日続く中で

同じ言葉や発想とは違うものを探してみたくなり

縄文土器の模様を探し、そこに繋がるものはないかと歩いてました


甲州から伊豆へ南下

城ヶ崎海岸は、大室山噴火の熔岩が流れてできた荒磯

そんな岬の先にある 日蓮俎板岩






波来る岩に置き去りにされたり、斬首の刑にさらされても生き抜き

現在も日蓮の系譜の政党があり

宮沢賢治は童話の中で、法華経の世界を夢に描き

弟子の日持上人は、天竺へ法華経を夢見

その夢を大東亜戦争に重ねられ、樺太に碑が建てられる







不可知の存在への畏敬の念を説く立正安国論は、現在にも通じるように思えます



日蓮を弾圧した鎌倉幕府の始まる前、源頼朝・八重姫ゆかりの音無神社







根上がりのタブの木のこぶが、妊婦、象、龍など色々な形に見えると神主さんが説明していました







生命力豊かなタブの木の森が、昔は神社の回りに広がっていたそうです




さらに遡り、国譲りの歴史から続く東国三社


最古の武術流派といわれる「天真正伝香取神道流」


室町時代、飯篠長威斉家直は、香取神宮境内にある梅木山に籠もり厳しい千日に渡る修行を終えると


香取神宮の祭神である経津主大神が姿を現し、啓示を受けた


そんな鹿取神宮は、雨が強く、境内撮影禁止と掲示でしたが


何か力強い雰囲気がありました







『古事記』においては建御雷神の副使として天乃鳥船神を祀る息栖神社






鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神

武甕槌大神の佩刀は韴霊剣と古来より伝わり

『古事記』の神武東征の段には、その力で悪疫を退散させ、平和をもたらす特別な剣として描かれています


武道の流れを作る、鹿島神流・天真正伝香取神道流 奥儀「一の太刀」

言葉で伝えることのできないもの

国譲りの古事記と日本書紀との違いも、言葉で伝えることの難しさ故なのか







御手洗池では鳥居と樹が重なりあい







自然豊かな木々

東国三社の近くにある大洗では、国譲りした大国主を祀ります






平安時代の歴史書である『日本文徳天皇実録』によると、
文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日、現在の神磯に御祭神の大己貴命・少彦名命が御降臨になり、
「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。
今民を済すくわんが為、亦帰またかえり来たれり」と仰った


日立市入四間町 御岩神社







創建の時期は不明ですが、縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、日本最古の書の1つ「常陸國風土記」(721年)に
「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」
とされる事から、古代より信仰の聖地であった事が窺えます。
御祭神は国之常立神 大国主神 伊邪那岐神 伊邪那美神 大山祗神 ほか20柱御岩山総祭神188柱を祀り、
中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場となり、江戸時代に至っては水戸藩初代徳川頼房公により出羽三山を勧請し水戸藩の国峰と位置づけ、
徳川光圀公(水戸黄門さま)など藩主代々参拝を常例とする祈願所でありました。 
仏像の現存、境内の遺跡、祭事内容など古代信仰(古神道)、神仏習合色が色濃く残り、「神仏を祀る唯一の社」として、他の神社、寺院に見られない独自の信仰を伝えております。







御岩山の参道はいたるところで光芒が射しこみ







祀られる、水の流れ出し








境内の古木の跡が朝日を浴び







逆光の撮影は難しいものがあり、古木の辺縁がもっと光輝いていたのですが・・・


撮影している時は、緑の麒麟が祈っているようだと思いながら撮影してました








一週間ほどの撮影の旅の最後に弘前の遺跡から岩木山を撮影すると雲一つない青空



それから、お土産を買いに30分ほど街中に移動すると、大きく羽ばたく鳥のような雲が









画角が180度以上あり、見た時にカメラでは撮影は無理と思ってしまいました

一時間以上広がっていったので、郊外へ移動して撮影しましたが三脚に固定してなかったのを後悔します


中ほどにある岩木山が小さくなってしまうほどの大きさです


写真の整理などで、10日程前の撮影の記事となりましたが、旅には文字や言葉では伝わらぬものがあると思えました







コメント (2)
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