戦争を念頭に置いた予算編成が、現実味を帯びて来た。好むと好まざるとにかかわらず、非友好的な態度をあからさまに示す敵性国家が近隣に存在する以上、それら国家の不時攻撃に対応する防衛計画と予算は、何を措いても準備しておかなくてはならないだろう。
政府与党が反撃の敵地攻撃を持ち出す前に、私たち国民は、父祖の代の昭和の轍を踏まない慥かな防衛態勢が、現在の国内に整備・構築できているかどうかを、自分自身の目と耳で確かめておくべきではないか。過去の例でもわかる通り、マスメディアは戦時には挙げて大政翼賛に奔る体質だから、報道の名を藉りたプロパガンダには特に注意を要する。
昭和の前期から始まる我が国の大陸への勢力拡張は、最大の仮想敵ソ連の南下を阻止する目的と、明治期に多大な犠牲を払って獲得した南満州から中国本土での権益を確保する目的とが一体となっていた。
当時の政・軍・官・産が挙げて推進する国策は、大陸進出戦略だった。旅順に本部が置かれた関東軍は、この目的に即応するために創設された軍事組織である。
世界は一次大戦後の軍縮の趨勢の中にあった。国会での論議(というより閣議と御前会議が主だったが)は勿論のこと、軍備と綿密な作戦計画そして十分な予算措置が採られていた。それにも拘らず、謀略や作戦の失敗は歴史に刻まれている。
謀略工作とか作戦計画というものは、その性質上最も極秘を要する軍の機密事項で、公開の場での議論の対象にはならない。そこに、軍の独断専行を許す素因がある。
諜報機関とか作戦参謀という、限られたごく少数のエリート集団が机上で立案する秘密の計画である。これが問題で、コンピュータのない時代、シミュレーションはおろか計画を多方面から検証することができない。実現可否の検証が難しく誤謬を排除するシステムが無かった時代の計画立案に慄然とする。
少数のエリート軍事官僚の机上の計画というものには必ず盲点や錯誤が生じる。衆知を結集できないからである。視座を同じくする者だけで立案した計画は、正確には検討の過程を経ることができない。作戦計画は、幾重にも検討されていなければならないはずのものだが・・・
軍国主義が国内を覆う時、閣内に軍人閣僚(海軍大臣・陸軍大臣)を擁する内閣は、軍の意向に対抗できる政権ではなかった。大佐中佐級の少壮のエリート軍人官僚のリード(結果としてミスリードだった)が、国政を左右した。この少壮エリート軍人というのが曲者で、陸軍大学や海軍兵学校など軍事専門学校の秀才、則ち世間知らずである。リベラルアーツの教養を徹底的に欠く人々である。
戦前の欽定憲法に拠る立憲君主国家にあっては、軍の意思が政治を動かす。
軍に対する文民の牽制機能は形式として国会と御前会議にあったが、その実質は消極的な協議機関でしかなく、真の政治的リーダーシップを欠いた政治体制は、南満州の権益確保に奔走する軍の独断専行を許し、日中戦争を停められなかった。それにもかかわらず、責任が政治トップに及ぶことは無く、事実の検証などはほとんど顧みられなかった。
時の為政者は国民に対して責任を負う立場になく、万事有耶無耶の場当たり的政治判断を繰り返し、国家の運営を仕切る政治権力の弱体化を止めることはできなかった。
中国大陸への侵攻はアメリカとの太平洋戦争に繋がっている。2つの戦争の戦端を切ったのは、いづれもわが国である。
洵に戦争の決断は進むも退くも難しい。難しいから、出来るだけ責任を回避したくないのが本音であろう。政治決断は常に先送りされる。
「過去に学ばない者は 過ちを繰り返す」ジョージ・サンタヤーナ
昭和12年の盧溝橋事件に始まる一連の事変は、緻密な戦略構想によるものでなく、軍内部のヘゲモニー争いと権力バランスの不均衡により発生した戦争であったと見る見方が大勢になっている。
個々の作戦計画が、重大な失敗を想定していなかったのが事実なら、最終的に軍民数百万人の犠牲者が出るまで戦争を継続した事実と無関係ではないだろう。
判断の誤りは、どこまでも跡を曳く。
太平洋戦争中の個々の作戦を検証すると、ミッドウェー海戦、マレー沖海戦、珊瑚海海戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、大陸打痛作戦など一連の敗北は、近代国家にあってはならない「無謬性の原則」に貫かれた組織ならではの失敗の連続だったと見ることができる。
日本の陸海軍の作戦計画を立案する優秀な作戦参謀に、作戦失敗の想定が無かったとは思えない。知性を否定排除する方便として、原則や信念を強要する組織が、深く軍隊内部に浸透していたのではないだろうか?
この明らかに不合理な無謬性の信念は、一体何処から由来したのだろう。西欧先進国からでないことは確かだ。となると、やはり例の不合理・不条理な考え方の本家本元、古代中国の思想に淵源を求てよさそうである。
天子の権威の神格化は必ず無謬性の信奉を招く。王・諸侯やその配下のエリート士大夫までもが、無謬の存在と見做されるように成る。
これら王とその官僚たちから見る人民と夷蛮戎狄視された四周の蕃族(異民族)は、常に王威に服さない厄介な存在と為政者には認識されていた。
人民と異民族を蔑視し続けた古代中国支配層の思想は、儒教と共にこの国に移植され、着実に為政者と支配階層の精神に根を下ろし、不合理・不条理な考え方が人民を支配する社会をつくり上げた。
人間は間違い易く誤りを犯す存在であるという考え方は、人間が生まれながらに罪をもち、それは神の力無くしては雪がれないという認識と表裏一体の関係にある。それがギリシャを経てローマの時代にキリスト教を受け入れ根付かせた西欧の人々の人間理解である。
それに対し、人間は修行を積めば、誤りや間違いと無縁の尊い存在に進化できるという考え方が、東北アジアに根付いてしまった。合理性を欠く無謬性の神話は、この考え方を根拠とする。誤るのは未だ修行が足りないからだという、無限の努力を人に強いる考えは、極めて非人間的な精神偏重の思想である。
この両極の認識の違いは、結果として文明の対立を招き、世界の国々の融和と協調を妨げ、今日でも対立の根本原因となっているように思える。洵に認識というものは大切である。
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