わが国のように、敵性国家(指導者がわが国攻撃を口にしたり、実験を口実にミサイルを発射したり、領海や領空を度々侵犯する国々)がごく近隣に存在するような国の政府は、戦争の不時勃発(敵性国家の侵略)を予想し、事態発生に備えて非戦闘員の国民を保護収容する公的な退避施設を全国規模で構築するか、避難移住を支援する制度を整えることが不可欠であるように思う。それは兵站配備や新鋭ミサイル調達に先立つものであるべきだろう。コロナ禍対策よりも切迫感が高い、喫緊の課題であるように思う。
今年に入ってからの、列島に向けたミサイル発射の異常な数の増加は、わが国政府にとって、国民保護対策が焦眉の急に迫っていることを告げている。兵器の拡充を急ぐより、敵の攻撃から国民を護る設備・手段の充実を急ぐべきである。
ミサイル攻撃があった場合、犠牲者が最も多く出るのは、戦闘員で訓練を受けている自衛隊員よりも、避難したり防御する施設や手段をもたない一般市民であろう。
78年前の戦争中の、B-29による米軍の都市無差別爆撃での犠牲者の数は、兵員よりも一般市民の方が遥かに多かった。
制空権を失った国軍は、空爆に対する作戦計画を立てることができなかった。我に優越する航空機の数と性能の苛烈な破壊力の前に、国民は無防備のまま家を捨て租界するしか手が無かった。
敵性国家のミサイル開発と実験が始まり、中長距離弾道ミサイルの完全配備が公知の事実となったのは1993年、ノドン1号が日本海に向け発射された時である。テポドン1号は1998年に発射された。以来20数年、政府は市民の避難保護に何の施策をしたのだろう。ミサイルを撃ち落とすという触れ込みの兵器を自衛隊に装備した時、同時に並行して整備すべき避難施設の構築には、全く無関心だった。国民の命を出来るだけ保護する思想が無くては、国家の防衛政策は成り立たない。
目下のウクライナ国民の被災報道を目の当たりにしている現在でも、国内でシェルターの論議はほとんど手付かずである。本音を聴くなら、ミサイル攻撃があった時には、対応する手段がないから、避難計画など立てられないのが実際だろう。イスラエルのアイアンドーム構想とは、大きな隔たりがある。
国際情勢の緊迫をどこ吹く風と、目下のコロナ対策と円高対策にのみ着目しているだけでは、事が起きた時に国民の命はどう守られるのか?
コロナ禍の医療崩壊の比ではない事態を、想定していなくてはならないし、国民に適切に説明するのは為政者の義務である。
国土防衛計画は、外国に依存できる性質のものではない。
東京大空襲を予見しながら、全都民を安全な地域に避難誘導できなかった過去の政治行動を、2度と繰り返してはならない。当時、東京都を始めとする全国の主要都市に、B-29編隊の猛爆から市民を守る防空施設が完備していたとは聞いていない。ナチスドイツにおけるロンドン空襲時の英国政府の対応とは甚だしい違いがあった。サイレンで「敵機襲来」を告げる警報だけが、一般市民への防備通報だった。
現下の戦争は、通常の空爆・ミサイル・砲撃など、あらゆる攻撃手段の命中精度が、飛躍的に高まっている。戦端が開かれれば、列島全体が最前線となることは必至だ。兵員よりも市民に膨大な数の死傷者が出ることは誰にでも予想できる。今や戦場と銃後などという概念は全く通用しない。開戦即全土が戦場と化すことを予想しなければならない。
政治家は、相も変わらず戦争というと、自衛隊の出撃と迎撃しか念頭にない。国民の保護という最も重要な課題には、昭和のB-29空爆以来思考停止のままである。優秀な官僚も政治や国民が意識し要請してもいないことには手をつけない。タイトロープの上での平穏無事に安心しきっている。セーフティネットは張られていない。
今日、民主主義国家では、継戦能力とは燃料や兵器・弾薬の備蓄量でなく、市民に死傷者を可及的出さないことに尽きる。軍隊が守るべき対象を放棄しては、軍隊そのものの存在意義がなくなってしまう。
ロシアのウクライナ侵攻が示すとおり、敵地攻撃は極めて攻撃側に負担が大きい。攻撃国本国への反撃が皆無であっても、侵攻軍の戦況は悪化の一途を辿っている。軍事に疎い無知な政治家が、敵地攻撃などという言葉を濫りに口にすべきではない。
歴史は、この国の軍人(武士)が民間人(領民)を保護の対象にしていなかったことを記録している。
武士は主君を護る存在であり、民百姓を守る義務は無かった。
敵が領内に攻め込めば、老人・婦女子は山に逃げ込んで身を隠し、戦力になる壮丁は武士の指揮下に入って敵兵と戦った。武士たちに、一朝事遭ったとき領民を護る意識は皆無だった思われる。
つまり、日本という国は開闢以来、戦争において民間人(領民)を保護する発想は無かったということである。そこが西洋・中近東・中央アジアと違う。
農民たちが残してきた村々や集落は、敵方の略奪に晒され、稔った稲は刈り払われた。
日本人にロジスティックスの思慮が欠けているのは、けっして平和惚けではなく、敵地の食糧を強奪することも作戦行動の一環だった歴史的経緯に因るところが大きい。
ロシアのウクライナ侵攻は、良い教訓を与えてくれている。この際政権は、津波や地震の被害予測同様、敵性国家の奇襲攻撃による被害予測を出すべきだろう。
敵の攻撃が原発に及べば、砲爆撃被害にとどまらず、放射能汚染による被害が拡散する。フェアであろうとなかろうと、これも想定しなければならない。
突発的な敵性国家の攻撃から、国民を保護するための防衛政策を一切もたない国家は、世界に類例が無い。
構想も計画も予算措置もない状況で、政権与党の議員が、たとえ党内での発言とはいえ敵基地攻撃や敵地中枢攻撃を口走るのは、明らかに常軌を逸している。反撃は自国民の保護が完全であってはじめて可能になるものである。
国民を護るシステムが整備されていない状態で、敵基地や敵地中枢を攻撃すれば、必ず報復反撃による膨大な犠牲者が国民に出るのはわかりきっている。防御策あっての攻撃である。そうでないものは捨て身、特攻である。
自衛隊に巡航ミサイルをはじめとする新鋭の攻撃兵器を多数備蓄すれば継戦能力が上がると考えるのは、余りに幼稚でお粗末な考えだ。
非戦闘員の損害をどう防ぐか、その計画も立てられないで、敵を攻撃などできるはずもない。
かつての太平洋戦争において、米軍の都市空襲無差別爆撃に対し、何ら公的避難施設を用意せず、徒らに国民の犠牲者を増やし続けた時と現在の状況は、何ら変わっていない。
何か事があれば、アメリカの核への依存心を剥き出しにし、戦争のことは全て自衛隊任せ、防衛費の増額による最新兵器の導入や備蓄しか念頭に浮かばない無思慮・無策・無責任の国会議員の声高な妄言を、メディアは伝えるだけで好いのだろうか?
継戦能力とは、防衛力があってこそ言えることである。外交交渉や戦略計画・国際協力と共に一般市民の安全確保をも含む概念であることを理解せず、単に兵器弾薬の備蓄量すなわち兵站の問題としか考えられない人間は、濫りに敵地攻撃を口にすべきではない。そんなものは言っても書いても抑止力にはならない。兵器に専門的知識のない戦争オタクの議員が、トマホークなどと具体的な兵器名を口にするのも、厳に慎むべきだろう。
専守防衛こそ、国の軍事構想の基軸である。自ら血を流すことなく侵攻軍を排除したり殲滅することなどできるはずがない。
核兵器に魅力を感ずる輩は、広島、長崎に原爆を落とした当時のアメリカ政府の首脳たちの立場をなぞっているに過ぎない。自身は被曝に曝されることのない海外にでも避難するつもりだろうか?
冷静に戦争の変容とそれに伴う世界の安全保障のあり方を分析し、世界に冠たる優れた現行憲法の下で、自国を防衛できる体制を至急を整えるべきである。
海外派兵など、今日の日本にできるわけがない。地球上の空も海も、高精度の超高速ミサイルで、制空権や制海権は既に死語になっている。制空が実現しているのは、目下のところイスラエルのテルアビブ上空のみである。それも莫大な費用をかけて90%台の防御率で犠牲を伴う。この原発列島を、アイアンドームで覆うことなど、出来るはずもない。
したり顔で小賢しく軍事に口を挟む軽薄な女性議員を放置したり、間違っても防衛の責任ある職席に就けてはいけない。彼女たちは、自ら武器をとって戦うことが一切念頭にないから脳天気な言葉を吐きまくる。国民を再び悲惨な目に遭わせる懸念ある政治家には、速やかに退場を願わなくてはならない。
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