道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

酒の害から身を守るには

2012年01月01日 | 随想

大型ショッピングセンターの酒売り場や酒の量販店に、焼酎(甲類)の大きな4リットル入りPETボトルがずらり並んでいる光景は、当初は瞠目させるものがあったが、近頃は当たり前になった。人間、馴れというものは怖ろしい。

この大容量ボトルというものは、はたして消費者のメリットを優先して生まれた商品なのか、それともメーカーの利益と政府の酒税収入の増大を図ってのことなのか、本当のところはよくわからない。消費者はよくよく分別しなければいけない。

量飲酒とそれにともなう健康障害は専ら消費者が負い、生産者と課税主体は一切のリスクを負わないとなると、リッターあたりの単価が廉いとか買物に便利だとか、消費者は喜んでばかりはいられない。25%や35%のアルコール飲料を無制限にさせれば、国民の大量常習飲酒助長する。アル中が多いロシアでは、政府が国民のウォッカの飲酒量を減らす運動に真剣に取り組んでいると聞いた。

焼酎のほかに、世界中から大量に輸入されるワインとライセンス生産のスピリッツ類、リキュール類、日本政府のやっていることは、ロシアと逆にアルコールに弱い国民をアルコール漬けにしようとしているとしか思えない。国民の健康を守るべき厚生労働省は、酒類消費量の増加の実情を、国民生活白書で国民に報告しなくてはならないはずだが。

甲類乙類を問わず、かくも焼酎が愛飲家に受けている理由のひとつに、焼酎は身体(肝臓)に害が少ないとか、健康に好いとかいう迷信が、世間で支持されていることが挙げられる。とんでもない誤った思い込みであろう。

糖分を含まないという理由から、医師に醸造酒より蒸留酒がベターだと言われた人が、焼酎は身体に好いと誤解して周りに喧伝し合ったのだろうか。焼酎なら飲んでも身体へのダメージが少ないと、根拠のない妄説を信じこんでいる焼酎党のなんと多いことか。

もうひとつの理由は、愛飲家の加齢による醸造酒離れがある。ある年齢(40歳以上)になると、それまで飲めていた醸造酒の「ヌケが悪く」なり、蒸留酒である焼酎の「ヌケのよさ」を嗜好するようになる。このふたつが相俟って、大量飲酒の坂道を転がり始めるようだ・・・。

酒の主成分のアルコールは単なる薬物、それも人に依存性をもたらす危険な薬物であり、発がん性があることもはっきりしている。どんな種類の酒であれ、またいかなる銘醸酒・高貴酒であっても、アルコールそのものの薬理作用はまったく変わらない。限界量を超えれば、アルコールは身体に害をもたらす。したがって健康によい飲酒習慣などというものはない。そこで、酒の害から身を守る知恵というものが必要になってくる。

人は下戸は別として、初めて酒を口にすれば以後生涯に亘って飲酒を続ける。宴会・会合・冠婚葬祭などの場における機会飲酒や懇親や接待などの社交飲酒などの他発飲酒は社会生活と切り離せない。個人生活においても、享楽に酒は不可欠で、自発飲酒は生活から遠ざけられない。知らず知らず徐々にアルコール耐性を獲得することにより酔い難くなり、酒量は漸増していく。

それでも、仕事に従事している間は、飲酒の目的は交際やビジネスそして享楽にあって、あくまで目的への手段に留まっているのだが、これを繰り返しているうちに、飲酒そのものを目的とする常習飲酒の素地が徐々にできあがる。常習飲酒とは、体がアルコールの作用を受け続けた結果、体の方がアルコールを要求するようになった飲酒嗜癖の最終段階であって、その人は常習飲酒者すなわちアルコール依存の状態になっている。そうなる前の、機会飲酒や社交飲酒の量と期間によって、常習飲酒者になるかならないかが決まる。

ごく一般的な飲み方をしていても、定年で退職するころには、その下地はできあがっていると見てよいだろう。体質的に酒に強い人のほうが、過去の飲酒量が多いから、常習飲酒に陥りやすい。

酒に強い、すなわち飲んでも酔わないということは、酔うために量を多く飲むか度数の強い酒を飲むかのどちらかに向かう。酒に強いことは、内臓がアルコールとアセトアルデヒドのダメージを受けないことではない。沢山飲めるから、むしろ内臓器官がアルコールやアセトアルデヒドに曝される時間が長くなり、確実に体のダメージは大きくなる。酒に強かろうが弱かろうが、アルコールは人体にとって有害物だ。酒に強い人は、アルコール分解能が高いから沢山酒が飲めるのであって、それだけ肝臓や諸器官はアルコール処理のために働き続けて傷むのである。

日が暮れたら酒を飲みたくなる、昼間でも飲むことがあるという状態は、紛う方なく常習飲酒の領域に踏み込んでいるのであって、既に酒そのものを目的として飲酒する嗜癖に陥っている。そうと気づきながら、それをコントロールできなくなっているのが常習飲酒の怖いところだ。

仕事を退き自由な時間が飛躍的に増える定年後の年月を酒とどうつきあうか、これは酒好きな人間にとって最大の課題であり難題でもある。そこで、常習飲酒者にならない酒の飲み方というものが大切になってくる。

問題は中年期に訪れる醸造酒から蒸留酒への移行だ。それまでビール、日本酒、ワインなどの醸造酒を飲んでいた人が、中年に達して糖尿病など有病状態になると、それまで飲んでいた醸造酒が体にとって負担(ヌケが悪くなったという状態)になり、医師の勧めもあって飲む酒をそれまで飲んでいた醸造酒から蒸留酒に替える。これは日本ではごく一般的に見られる酒質変更の標準パターンである。

ヌケが悪くなるのは、醸造酒に含まれるアルコール以外の醗酵生成物(純粋アルコールから見ると不純物とも言える)を分解代謝する肝臓の働きが衰えていることであろう。また、酔い難くなるのは、体のアルコール耐性が進んだ状態(それは、アルコールに対する感受性の低下でもある)である。

たしかにより純粋アルコールに近い蒸留酒のほうが不純物が少ないからヌケがよい。二日酔いなどになりにくい。だが、ここに陥し穴がある。焼酎など25%前後の蒸留酒を水や果汁などで割って飲むと、ヌケがよいから知らず知らずに長時間飲み続け、量を過ごすことになりがちだ。結果として、常習飲酒大量飲酒 に繋がることになる。

中には自分は料理を美味しく味わうがために酒を飲むという人も多い。和洋を問わず、料理を美味しく味わうには醸造酒が切り離せない。料理を主目的として、食中に酒を適量を飲むというのは、アルコールの害を和らげる理想的な飲み方だが、これも酒を目的にして飲むことに変わりはない。なぜなら美食は、食事目的の半分は酒が担うことになり、酒ばかりを飲むのと比べ目的度合が半分に減るだけであって、飲酒を減らすことにはならない。むしろ3度の食事の都度酒を摂取することが常態化し、1日の限度量を超えて大量飲酒に繋がる惧れも出てくる。

体質的にアルコールに弱い日本人には、やはり毎晩の飲酒は常習飲酒につながるリスクがある。しからば、常習飲酒とならない飲み方とはどのようなものであろうか。医師からは週2日の休肝日とか、純アルコール量にして週150グラムとか1回あたりの制限量が日本酒にして1合とかが推奨されているが、日本のようにこれだけ国民の飲酒を野放しにしている国では、その程度では甘いと思う。愛飲家は以下の3点を守りたい。

1.週4日は酒を口にしないようにする。

飲んだ日の翌日は飲まないと定めておき、更に任意の1日を休肝日とすれば、容易に達成できる。

2.飲むときは摂取限度量を守る。

ビール1本、ワイン2杯、清酒1合、水割り2杯というのが目安だ。

3.アルコール以外の不純物が多い酒、すなわち体に負担の重い醸造酒こそが体には優しい酒である。量を過ごせば、身体が重く怠く不快になる。ヌケが悪いから、大量飲酒には決して繋がらない酒である。ただし、糖尿病の人は血糖値を上げる惧れがあるから注意が必要だろう。

とにかく加齢で酒に弱くなったら、ケが悪い醸造酒を断固飲み続けるべきだ。ヌケの悪さが、否応なく摂取量にブレーキをかけてくれる。

常習飲酒に陥らない道はこれしかないと思う。洋酒のスピリッツ類が輸入されていなかった江戸時代には、日本酒の価額が高かったこともあり、常習飲酒者は少なかった。それを許さない社会だった。幕末に日本に来た外国船の乗組員は常習飲酒者が多数いた。洋上での娯しみは酒しかないからだ。帆船時代から船乗りは航海中にラム・ジン・ウォッカなどの強い酒の配給を、毎日一定量受けることが乗船の条件のひとつになっていたという。

酒売場に並ぶ甲類焼酎の巨大なペットボトルと乙類焼酎やウイスキーの凝った意匠の瓶の数々を見るとき、いったいこの国は国民の健康増進を本当に考えているのかと、甚だ不安な思いに駆られる。愛飲家が自らの身体を酒害から守るには、他の何よりも厳しい、宗教家の如き節制が求められることだけは確かのようだ。


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