道々の枝折

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新しい生活様式?

2020年06月05日 | 人文考察
国民に「新しい生活様式」を提唱しても、感染は防止できないだろう。
感染防止行動は生活ではなく、異常事態に対する個人の特殊な回避行動である。

「生活様式」というものは、国民の長い生活史の中で取捨選択され、現在に至っている。生活習慣が普遍化・定型化したものであろう。現在の生活様式は、これまでの生活に適うものだった。コロナだからと言っておいそれと変われるようなものは、生活様式に未だ至らない単なる生活習慣だ。様式に成ったものは、ある日を境に更新できるようなものではない。

ウイルス感染防止行動は個人の防疫活動であって、生活の異常事態における個人の緊急避難行動である。異常に対処する回避行動は、決して生活様式として定着することはない。正常になれば、回避の必要はなくなる。

「三密」の禁止は、防疫には効果的だが、人間の本性にそぐわない非常の行動である。私たちは、非常を生活に採り入れることはできない。
「三密防止」では、人が集団で作業する製造、建設、漁労、採鉱などの仕事は成り立たない。演劇、演奏、演技、試合は観客を呼べないしパフォーマンスそのものが難しい。仕事と生活が成り立たない行動を生活様式に加えることなど不可能だ。

「新しい生活様式」を提唱するのなら、コロナ感染を助長する「古い生活様式」というものを洗い出して見直し、防疫に繋がる改善点を特定しなければならない。コロナ禍に紛れてドサクサに、為政者に都合の好い「新しい生活様式」なるものを、国民の意識に刷り込むのは、政治のオーバーランである。

「古い生活様式」は、風土、国民の心性、信仰、産業社会、伝統によって歴史的に定まってきたものである。これを改めるということは、政権が場当たり的に奨励できるような性質のものではない。これまでの生活の否定に繋がることを強行すれば、自民党政権そのものの存立基盤を危うくするだろう。

戦後これまでの長きにわたって、自民党が単独で政権を維持できたのは、「古い生活様式」の、「三密」を利用して集票するシステムが機能していたからである。すなわち、組織ぐるみの大衆動員が、自民党の選挙基盤を支えてきた。人が大勢集まる場をつくること、人を動員することが、何よりも大切だった。

祭り、イベント、商工組合、講演会、同窓会、後援会、遺族会、檀徒会、氏子会、商店会、およそ会とか団体という名のつく人々の集会は、党勢の維持拡大の場だった。

常に未知のウイルスを意識する「新しい生活様式」は、集会を否定する。結社も否定する。集会・結社はリモートには馴染まない。盛り上がらないからだ。人はface to faceでなければ本音は言わないものだ。ウイットに富んだ、ユーモア溢れる楽しい会話も、相手と向き合うのでなければ生まれない。議員さんたちは集会に出て、会員と言葉を交わし握手をしたから支持者を増やせたのだ。総理主催の花見を罷めたら、支持者は確実に減る。それでも好いのだろうか?自公政権は。



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