道々の枝折

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縄文の足

2012年01月01日 | 健康管理

人は年齢が高くなるにしたがって、膝、腰の不調に悩まされる。加齢にともなう器官の劣化だからと諦められず、苦痛の緩和を求めて整形外科や整体院に通う。

ひと口に足腰が弱るというが、日本人は近世まで足と脚とを西洋のように明確に別けて意識していなかったらしく、足といえば、股関節から下を総称していた。どこに故障があっても足が悪いと云う。ここでは、局部としての足(foot)について考える。

過日孫達と川遊びに出かけ、裸足になって川中に入った。普段靴下で隠れている我が裸足を真上から見て愕いた。川底の小石を踏む足の形は、日頃イメージしている足形とはずいぶん違って見えた。

足の各指の先端を結んだ線、すなわち足の前縁が靴や中敷きの形のような先細の流線型でなく、前縁がやや斜行する角形に近い形をしている。かつて新聞で見た縄文時代の湿地に遺された裸足の足形に酷似していた。あれが本来の日本人の足型だろう。指先を互いに密着させれば、先細りに近くなるが、歩くときは指全体を最大限に展開しなければ、小石と砂泥の川床を安定して歩くことはできない。私たちの足は、元来指を展開することで機能するものだった。

西洋の靴は、私たちの足の形に倣って作られていないことに初めて気がついた。私たちは常に生身の足の指を靴下の補助のもとですぼめ、靴に押し込み、靴の形に合わせて履いている。中国の纏足とまでいかなくとも、靴には矯正具としての機能目的が感じられる。

人体の最下端で、常に体重と時には背負った荷物の荷重を支え、傾斜や段差、凹凸のある固い地表に交互に接地して、一日に何千、何万歩も歩く左右一対の足を、私はこれまでほとんど顧みることなく過ごしてきた。日頃甚だしく足を酷使していることに気づいていなかった。足は荷重に耐え、あらゆる苛酷な環境に適応しているのに、そのメンテナンスにはまったく配慮していなかった。配慮のいらない、強靱な器官だと思いこんでいた。

ところで面白いことに、日本は近代まで中国からも西洋からも革の靴を学ばなかった。平安貴族の沓は服装と共に貴人に限られ用いられた特殊な履物である。その頃の庶民は、裸足だったり草履だった。

王朝時代の貴人の沓はいざ知らず、つい150年ばかり前まで草鞋、草履、下駄を履いていた日本人の足は、長期にわたる拘束を免れた。開闢以来、歩行性の高い機能に優れた靴を考案できず、また輸入もしなかったために、幸いにも私たちの足は、縄文人乃至は原始日本人に近い足形を今日まで保つことができた。

日本人の履く靴が欧米人と違って概ね甲高・幅広であるのは、過去に我々の祖先が西洋靴、中国靴による拘束を免れていたことの顕れかもしれない。

明治になって急に西洋の靴文化が入ってきたが、長年馴染んだ服飾文化というものはそうおいそれと変われるものでなく、昭和30年代までは、着物と共に草履・下駄がまだ生活の場で利用されていた。何を隠そう現代人のこの私も、中学生まではサンダルがわりに下駄をよく履いていた。成長期に下駄を履いていれば、足は確実に下駄足になるだろう。今日下駄足という言葉は聞かれない。

更に靴が、足との密着性を高める工夫を重ね改良されるにしたがい、足には重力以外の外的な力が加わるようになった。改良に審美的な要素が加わると、靴は次第に足を形良く見せるための装具となった。爾来、靴は足という器官を保護すると同時に足指を拘束する履き物になった。

人類の祖先が樹上から草原へ生活の場を移し、直立二足歩行を始めた頃の足は、現代人に較べて身長のわりに大きく、土踏まずの無い、極めて無骨な形を遺していた。獲物を獲るために速く走る必要が生じてはじめて、足の形が走るに都合よく進化を遂げ、土踏まずの部分が湾曲した。更に足を保護する目的で靴を発明した結果、人類の行動性・踏破性は飛躍的に向上した。

朝起きて動き出す前に、26本の骨と33の関節、そして100以上の筋肉、腱・靭帯が互いに連系して動くこの精密で巧妙な器官のウォーミングアップをする人は、ごく少数だろう。人間は靴を発明して以来、この大切な足の役割を忘れてしまったようだ。特に靴文化の先進地、西洋での靴の重用と多様化は、それが身体の一部になっているかのごとき有様である。寝る時以外は靴を脱がない。靴は肉体の延長であり、彼らは〈靴を履いたほ乳類〉と言っても良いだろう。

本格的な欧米ファッションが社会に定着した昭和40年代以降、靴は実用的なものから、より洗練された美しい形のものが好まれるようになった。その結果、祖形を今にとどめる私たち日本人の足は、本来の足形とかけ離れた無理な鋳型の中に押し込められるようになった。

外反母趾の原因のほとんどは靴にあるといわれる。靴は審美的に優れたものほど親指と小指を内側に圧迫する非合理な形と構造をしている。その最たるものが女性の履くハイヒールのパンプスで、男性のフォーマルシューズも危ない。登山靴などやアウトドア用の編み上げ靴は、足の親指小指が自由に動く余裕をもって作られているが、本来それが足のために理想的で歩行に安全な靴だと思う。

現代人は、靴下を脱いでも足の指が開かない人がほとんどだろう。無理に広げようとすると、涙が出るほど痛い。靴下を脱いで、足でジャンケンのパーの形ができるようでなければ、その足指は多年にわたる靴の拘束によって本来備わっていた可動性を失っている。

足には身体のあらゆるツボが集中しているから、足指の拘縮は内臓の不調を招くおそれもある。甲高、幅広、角型の縄文人の足型こそ、この日本列島の地勢・地形に相応しい日本人本来の、自然で健康な足の形である。この記事を読んだ方々には、ぜひ〈縄文の足?〉〈方形の足?〉〈下駄足?〉すなわち健康な足を取り戻していただきたい。


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2 コメント

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Mrs (玲子H)
2022-01-08 21:02:34
貴ブログ
の昔の記事に投稿する無礼をお許しください。貴方のような素晴らしい記事は、今までお目にかかったことがありません。
私も小学生の頃はげた履き通学していました。小学生後半から柔らかいゴム靴がはやりだして(これがすぐ破れてしまう)ほとんど大人になるまでハイヒールを履いたことがありませんでしたが、あれは本当に足に悪いですね。
英国人の夫は身長185センチ、靴サイズ42センチで細長く、脚が大きいから倒れないと冗談を言っておりました。でも椅子生活のせいで年を取るに従い足の爪が自分で切れなくなって、私が切ってあげたり、シロポデストの世話になっていました。
椅子生活の障害で足まで手が届かなくなる老人が、こちらではほとんどです。
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Unknown (tekedon638)
2022-01-24 11:04:28
過去記事ご覧いただき有難うございます。
過分なご好評、恐縮の極みです。
今後とも宜しくご笑覧願います。
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