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道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

カウンタクロック

2019年09月29日 | 自然観察

以前のエントリー「歩行クロック」で、人間は歩行のテンポをカウンタクロックにして、脳を働かせるように進化して来たとの陋説を披瀝した。それより速すぎても遅すぎても思考力は落ちるというものだ。以後それが妥当かどうか、様々な場で観察を重ねている。

散歩が脳の活性化に有益なことは既に書いた。乗り物でも、通勤電車が発する振動音は、レールの継ぎ目を車輪が転がり通過で発生する周期で、これは歩行クロックに近い振動だから思考の妨げにはならない。本を読むこともスマホで文章をつくるのにも全然支障が無い。
新幹線も基本的に継ぎ目によって振動を発するが、これも歩行カウントに近い周期が含まれるため思考の妨げにはならない。

現代生活の足、車はどうかと考えてみた。車の中では、車のエンジンのピストン運動が振動の発生源の主体で、それに他の装置や車体の固有振動と合成され、最終的に車体そのものの速度に応じた振動が発生すると思われる。それが車のクロック周期とみてよく、基本的に走行速度に依存する。それは歩行速度のテンポより遥かに速い。したがってバスや車の中では、思考力が落ちると見て良い。勿論自ら運転していれば、脳の機能の相当部分がそちらに割かれるから、より思考や思索は困難になる。

また、音楽の楽曲のテンポはほとんど歩行よりも速いから、それを聴いている間は、思考力は落ちる。現代音楽は、4・8・16・32ビートと、1小節のビートを細分化する方向に向かってきたが、それは符割りが細かくなるだけで、基本は4ビートでのBPM(1分間あたりの拍数)だから、BPM=歩行のテンポ=60前後の曲であればは思考の妨げにはならない。テンポが速くなれば、やはり思考は難しくなる。ただし、楽曲のメロディーやリズムに熱中すると、思考は疎かになる

作曲家は頭脳を駆使して曲を作るが、聴衆が曲を聴くとき、思考はほとんど停止する。曲のテンポに反比例して、聴き手の思考力は衰える。
私はジャズ・ロックも好きだが、あれは思考に不適切な環境だと思う。

この点で演歌は特筆に値する。メロディと歌詞でメンタルに訴えかける演歌は、一般にBPMが遅く歩行のクロックカウントに極めて近い。思いを歌うには、最適なテンポなのだろう。したがって、考える妨げにはならないだろう。

思考には記憶のインプット・アウトプットが不可欠である。思考は脳の演算と記憶で成り立っている。記憶の参照が不可欠である。歩行と記憶の関係についても、脳の記憶領域から記憶データを検索参照する速度も、歩行クロックのカウントの下で最も効率よく働くと想像する。
歩行のクロック周期に同期していなければ、記憶情報を再現するのに支障を来すのではないかと思う。歩くと記憶力が活性化するのは、よく観察されるところである。

記憶力が衰える嘆きをよく聞くが、その原因を加齢による脳の劣化以外に探すなら、歩行クロックに同期していない日常の生活環境を見直す必要がありそうだ。

[思考]=[演算+記憶]に最適なクロック周期が、歩行のテンポだとする陋説の立場では、テンポが速まるほど、人は思考が十分にできず、イライラするのではないか?

高齢者がインターチェンジを逆進したり、アクセルとブレーキを踏み間違えるのも、脳が正しく機能していないというより、脳の標準クロックが遅くなっていて反応が付いていけないのが理由だろう。

速いクロック周期を必要とするものについていけなくなったら、老人は免許を返納すべきである。



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