徳川時代の250年に及ぶ封建制度が、社会の隅々にまで浸透させた諸々の弊習は、明治の御一新で雲散霧消したかというと、そんな訳にはいかなかった。
幕末まで日本の社会を覆っていた不寛容・身分差別・女性差別・権威主義・事大主義などの弊風は、明治維新後の近代産業社会に居場所を得て、しっかり生き延びた。文明開化の波は、新しい文化の導入と産業の発展をもたらしたが、思想の開明までには至らず、社会に染み付いた旧弊を洗い流すことはできなかったようだ。
維新は社会革命ではなく、その本質は、単なる統治権力内部での覇権争いだった。新しい統治組織の主体が、前のそれと同じ武士階層出身者で占められていたことは、政治史的に見て、維新の社会的意義を低めるものと理解する外はない。明治維新を過大に評価すると、歴史を見誤る。
君主は徳川氏から天皇に移り、新たに西洋を模倣した立憲君主政治体制を整えたが、政権を運営する主体の精神構造は旧幕藩時代を踏襲した。
徳川幕府のままで、天皇を戴き立憲君主制の政体に移行することも提案されたが、それは薩摩・長州の容認できるものではなかった。薩・長は何が何でも幕府を覆滅解体させなくてはならず、公武合体も大政奉還も、幕府の弥縫策は一切顧みられることはなかった。
政権の担い手は、公家と士族から成る維新の功労者たちに移った。武士という階級は領地と俸禄を失いこの世から消えたものの、士族として社会の上層に列し、多くは官吏、軍人、警官などに職を得て国家に仕え俸給を受けた。藩制時代に各藩に仕えていた身が、国家や県に仕える身になったのである。平民に対する意識の特権は温存された。
変わったのは世襲身分でないことである。それは新政府の最も重要な政策課題だった。それでも、統治に携わる人々の意識は旧弊を引き継ぎ、士族の平民蔑視観は幕藩時代と変わらなかった。
新政権の吏僚たちは旧幕時代の武士階級の人々で、彼らは共通の学問教育を受け、共通する価値観と道義を備えていた。政変によって体制は変わっても、為政者とその幕僚はじめ末端の下僚に至るまで、精神構造は旧態依然のまま保たれたと考えられる。
旧くからの誤った伝統や因習そして思想は、開化され補正されることなく、官公庁はじめ殖産・興業に邁進する官営・公営の企業や民間企業の内部に新たな培地を得た。旧幕時代の行動原理・価値観は、明治の近代産業社会にそっくり移植されたのである。それが明治の日本社会であった。
人を幸福にしない社会制度や習慣そして思想でも、いったん社会に定着した弊風は、一朝一夕に変わるものでは無い。多年幕藩制度で培われた悪しき習慣や価値感は、新たに生まれた近代的な官僚組織や軍隊、企業・産業組合の中で、姿を変え形を変え、本質は変わることなく連綿と大正・昭和へと続き、現代に至っている。
現代の日本社会に今も遺存する旧弊と矛盾は、明治が社会革命でなかった故に、近代産業社会の中で温存され、生き続けてきたものである。
敗戦後の占領軍GHQの日本民主化計画を形骸化させたものは、国民の大半を占める庶民階層の総意ではなく、この明治以来遺存されて来た旧来の支配階級の価値観や思想だったと考えられる。明治期の士族と平民との教養・価値観・生活文化の格差は極めて大きく、見ようによっては2つの民族で成り立つ国家の如き様相を呈していたのではないか。常に数の少ない一方がリードしイニシアチブを取る形で。
見かけは単一民族社会と見られる我が国は、その実、同民族で有りながら異民族の如き精神構造の違いをもった人々で成り立っていたと見ることができる。
旧時代の価値を共有する人々は、変わらぬ統治理論の復活を目論む。旧支配階層の精神的ゲノムを引き継ぐ末裔たちは、かつて先祖が敷いた統治機構の復権を計る。
その人たちは、体質的に民主主義に馴染まない。今どきそんな人々がいるかというと、現実の政治状況は、その勢力が衰えないことを示している。敗戦直後に一時鳴りを潜めたのは当然だったが、1955年以降は一貫して勢力を保っている。その旗印は改憲である。しかしその改憲の目的は、封建時代以来の非民主的社会の復活である。
このような環境下では、民主的な政策はご都合主義的に運用されるばかりで、実効をあげ得ない。現下の国政において、国民を愚弄するかの如き所業が跡を断たないのは、平民蔑視観という陋見を今に引き摺る政治家が存在している証拠である。
このあたりで、本当の民主主義社会の実現に取り組まないと、経済はともかく、政治的には先進国との乖離を拡げる一方になるのではないかと危惧される。
いつもサミットで日本の首相が浮いて見えるのは、人種的な違いによるものでなく、先進諸国の首脳陣たちに、思想的に同類と感じさせない違和感があるからだろう。いくら親密さをプレスの前でパフォーマンスしてみても、相手方との距離は縮まらない。
私たちは,自分たち民衆の手で社会を変革して来なかったがゆえに、真の民主主義を築けていない。現下の政治状況の混迷は、そこに由来していると思われてならない。
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