昭和20年代半ばまでは、親に連れられ巷に出ると、玩具店の店内や店頭で、オモチャをねだって地上にひっくり返り、泣き喚く幼児(男児)がいたものだった。要求が通らないと暴れて(遠州弁では「あたけて」)母親を手こずらせる幼児の姿は、駅や電車内、百貨店でも日常的に見られた。それに対する母親たちの対応は、ひたすら宥めるか、憤ってその場に置いて行くかだった。
後者は効果抜群、小さな暴君は仰天し、泣きながら必死で母親の後を追う。
この幼児の行動は、執着心によるものである。欲しい玩具が買ってもらえず、心が満たされないので泣き喚く。そこには甘えがある。これは、男児ほどではないが、女児においても同じだ。私たちの親たちは、幼児が甘えるのは当然と思っていた。駄々っ子と呼んで満更でもない対応をしていた。
甘えは幼児の母親に対する依存心に根がある。母の保護は幼児の生存に関わる。空腹を満たし、排泄を促し、痛みをとり、寝かしつけてくれる母。幼児は全面的に母親に依存している。甘えは母の保護を求める幼児の切実なアピールである。甘えが受け入られないと幼児は泣いて抗議する。要求をいつも容認し続けていると、幼児はそれが当たり前になり、過剰に保護を求めるようになる。甘えの度が過ぎてくる。
この幼児期の甘えは、成長するにしたがい自然に消えるものだと私たちは思い込んでいる。ところが立派な大人になっても甘えを引き摺る例が、日本社会に多く見受けられ、専門家の研究対象なってきた。甘えは個人の問題に留まらず、社会行動の全般に及んでいる。どうして日本には、欧米に見られない甘えが、個人と社会に存在するのか?
日本人の育児と欧米人の育児に顕著な差異があることは、戦後の文化人類学の興隆や欧米人との交際の増加により、今日広く一般に知られている。
この日本人とその社会に固有な甘えの淵源を、米国の文化人類学者ルース・ベネディクトは、日本の親たちの育児にあると見た。ベネディクトは、太平洋戦争中に軍の要請を受け、日本人及び日本社会を研究し論文に認めた。その論文の要旨が戦後に刊行されベストセラーになった「菊と刀」である。その中で著者は、日本人の乳幼児に対する両親(祖父母を含む)の意識と接し方は、米国や西欧と甚だしく異なり、それが日本人の生活行動や社会行動を特徴づけていると指摘した。
また、日本人の精神の基底に甘えが存在することは、土居健郎の「甘えの構造」が嚆矢となって十分に説明がなされている。今日では、古くから日本社会に普遍的だった擬制親子(親分子分)や擬制兄弟(兄弟分)にも、甘えが関係する事が解明されている。日本独特の甘え合う、狎れ合う人間関係は、乳幼児期の扱われ方に根があるらしい。
西欧では、人の発展段階の初期にある乳幼児を動物に準ずる状態にあると見て、物心つく前に厳しく馴致すべきもの、と考えているという。厳しくといっても強制ではなく、犬のしつけ同様、優しく忍耐強く教え込むらしい。物心つく前が最も厳しく、その後は徐々に発展段階に応じて自主性を尊重し、自立を促し自由を認る。子供たちの意思と行動の自由は成長と共に拡大し、成人を迎える年頃には最大になる。規範は首尾一貫して、キリスト教の道徳・倫理である。
一方日本での乳幼児は、古くから神祇(日本の神々)に擬せられる存在と見なされていた。赤子は神の申し子という位置付けである。
私たちの神信仰の元は、自然崇拝と祖霊崇拝が始まりだった。神は畏み懼れる存在、神の怒り(祟り)を怖れること並み大抵ではなかった。神に準ずる神の申し子を動物のように馴致するなどもっての外、罰当たりな行為である。
日本の子供は、幼い時ほど大切に扱われ、自由気儘に過ごした。赤子の我儘は、保護者には好ましくさえ思われてきた。そのように扱われ、可愛い神たちは育った。
日本の神はその始め荒ぶり祟る神で、道徳・倫理の規範をもたなかった(後になって、儒教の規範が付加される)。人々はひたすら神の怒りを買わないよう、畏れ敬うことに専心してきた。神は収穫豊漁など幸福や利益をもたらすが、時に災禍をもたらし、その度に人々は災厄は神の怒りの発現と考え、怒りの原因を憶測した。氏子たちは神を宥め鎮めるために、欠かさず神饌を供え舞を奉納し、祭りを欠かさない。
赤子は神の申し子としてこの世に生を享けた。彼は神に準ずるもの、怒りやすい。両親や祖父母は彼をあやし鎮めることに腐心する。日本の乳幼児たちは神と同等に大切に扱われた。そうでなければ、神の怒りを買うと親たちは信じていたに違いない。
敗戦までの日本では、大昔からの神への畏怖の延長線上で、子どもを育ててきたと言える。赤子は神に似て、怒り、むずかり、暴れる。正に荒ぶる神そのものである。
それまでの日本人の乳幼児(男児)は、ある意味暴君の振る舞いで甘えの欲求を満たし、心の底にその成功体験を刻印して成長する。
それまでの日本人の乳幼児(男児)は、ある意味暴君の振る舞いで甘えの欲求を満たし、心の底にその成功体験を刻印して成長する。
物心つく4、5歳ごろになると、俄かに大人たちの態度が急変する。社会生活への適応訓練が始まり、それにともなって躾という礼儀作法が生活指導の中心となる。親子関係から社会関係に優先順位が替わる。
読み書きの学習と並行して、社会性が重視され、儒教の道徳・倫理に基づく訓育が施される。成長に随い礼法と規律がやかましくなる。社会的拘束が歳ごとに強まり、言論や行動の自由は狭められ、成人する頃には主体性を殆ど喪う。藩や国家の価値・目的に従順であることが成人の条件として求められ、親に孝君に忠の儒教規範が、訓育を通して絶え間なく擦り込まれる。個人の自由は尊重されず、集団への寄与が最も重視される。もはや甘えは許されない。しかし甘えの根は絶たれた訳ではない。いつか暴れ出そうと心奥深くに潜伏し、時期の到来を待つ。
戦後は核家族化もあって、欧米流の育児法が主流になった。幼稚園や保育園での幼児教育が進歩した。明治以来の教育が、神の脅威に説明を与え、祟りへの怖れは消えた。冒頭に記したような幼児の姿を今日目にすることは殆どない。しかし日本的な古い育児法で植え付けられた甘えの菌株は連綿と、人々の心の奥底で休眠している。
戦前の家族制度のもとでは、豊かで門地に恵まれた家ほど、家族内の大人たちが乳幼児、特に惣領息子を甘やかし、彼らは小さな暴君として成長した。社会的経済的な地位に恵まれた家庭・家族ほど、日本的甘えの温床となった。そのような環境で育った人々は、当然ながら権力への執着心が強い。甘えと執着心の合体した欠陥は、戦前戦後を通じて我々の政治・経済・教育・軍事その他社会の至る面で弊害をもたらしてきた。
日本のエスタブリッシュメント(支配機構)には、知性とキャリアが申し分なくても、欧米の同等の階層には見られない甘えの幼児性を潜在させた人々が今なお多い。彼らは旧時代の育児法を受けた最終世代だろう。旧時代から続く名門勢家であるが故に、その旧い育児事情から逃れられなかったに違いない。
欧米のように、社会に甘えを淘汰する機能と自浄作用が備わっていないのは、民族が共有する事大主義の心性に因るものかもしれない。神と同等の扱いを受けた赤子が大人になり、権力を握るとモンスター化するパターンは、この国では珍しくない。甘えと執着心が、その人の人格にまで及んでいるからだ。
個人の自律心は、絶対的な数の差のもとでは有効に働かない。為すべき職務に忠実でなく、同輩と狎れ合い、強者に阿り、弱者に傲慢な人々はどこの国にでも居る。ただそれが社会で容認されてきた事実を見過ごしてはいけない。甘えに寛容な精神風土は、この先1000年経ても変わらないかもしれない。
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