道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

能力限界2

2024年04月04日 | 人文考察

当ブログの既往エントリ「能力限界 - 道々の枝折で、能力限界の原因について今ひとつ考察が足りていなかったので、付け加えさせていただく。

能力限界というと、能力が枯渇・消耗し、企業生活や社会生活に適さなくなった状態を想像するかもしれないが、どうもそういうことではないようだ。
人に具わった能力に限界があるのではなく、人生での成功、すなわち富と地位と名声を獲得することで、自身の向上心が薄れ観察や学習の意欲が減衰し、思慮が減退した結果、能力を失ったかのように見えるというのが実態らしい。充電しなければ、力は尽きる。

成功が能力限界の原因とは、皮肉な現象である。営々と努力を重ねた末、能力を極限まで発揮し、人生で成功を収めた結果が、人を能力の限界に至らしめると誰が予想し得よう。しかしそれが最も多く見受けられる能力限界の現実である。つまり,能力限界を招く要因の最たるものは、自分自身の成功への自負である。

人の能力の発揮とは、射手が騎乗で馬場を駆けながら、所定の標的に次々と矢を射て命中させる流鏑馬に似ている。全ての的に的中すれば成功である。標的を全て射ぬき、観客の拍手を浴びた途端、射手の極度の緊張は一挙に解けるだろう。流鏑馬では一時的な能力の空白だが、それが以後継続すれば、その状態は能力限界に達したということになる。

人は誰でも、目標を達成し成功すれば、努力からも競争からも解放され休養したくなる。安逸を貪りたくなるのが自然だろう。成功の栄光によって、その後に能力を発揮しないでも済む立場になったのである。
かつて大臣の国会答弁の原稿を書いていた高級官僚が、政治家に転進して大臣に成り上がると、後輩の官僚に国会答弁の原稿を書かせる立場になる。それは明らかに、彼がその面で能力限界に達した姿である。大臣になったがために、2度と再び自らの手で答弁を考案しなくなったのである。この人は明らかにかつて保有していたひとつの秀れた能力を失った。成功によって、地位の向上によって、能力限界に達したのである。

成功しようがしまいが、人を能力限界に導くものがある。老化は能力限界を招く最たるものだ。こればかりは、対策を講じることも防ぐことも、為す術がない。




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