軍事の能力と経営する能力とは異なる。クーデターに成功しても、その後の政治的・経済的な基盤を確立できなければ、権力を維持することは叶わない。彼の組下の武将たちの多くも、寄親の光秀がクーデターを引き起こそうとは夢にも思っていなかったろう。主従共に予期外の、準備不足での決起だったのだろう。そもそも天下取りのモチベーションが、本人には不在だったと見える。野心家の秀吉に抗すべくもない。これも能力限界を超えてしまった人物の悲劇である。
ふたりの主君織田信長は、能力限界まで遙かに余力を剰していたとみて間違いない。天下を掌握し、社会を改革する構想を抱き、世界を認識していた。改革の熱意に燃えていた。だが人間は、状況を客観的に視ることができなくなったとき、弱点が生まれる。いかなる強者にもこの弱点はある。怜悧な信長にもそれはあった。彼はあの時点で、少なくとも京畿において自分を襲撃する者など居るはずもないと、無防備を恐れなかった。彼の、危険に身を晒すことに快感を覚える特異な性質は、彼を戦国の世に突出させた原動力であるが、同時に興業の蹉跌を招く最大の欠陥でもあった。この理性ではコントロールできない衝動的性格によって、信長は自らを滅亡に陥れた。
この人は「信長公記」によると、戦陣において、僅かの供回りだけで狂ったように敵陣に突進するようなことが屢々あったという。勇敢というより衝動に駆られやすい性格、異常な心理が垣間見える。母親に疎まれた子、愛されなかった子は、自分を大切にしない、無鉄砲な男に育つ。乳幼児は、母性愛に触れることでのみ安息感を得る。そして安全な環境を最も好むようになる。危険を好む男性の多くに、母親に疎まれた人が多い。
この世は、自己保存欲求に凝り固まっている人間がほとんどだが、危険に身を晒すことに一種の快感を感じる人々も中にはいる。信長を戦国の世に飛躍させたその特質が、結果として命取りになった。したがって、彼は能力限界によって滅亡した人の例には入らない。
能力限界はどのような経過を辿って、それに達するか。それは自己の能力の冷静な分析不足と外部世界の正確な認識不足の相乗作用に因るのではないかと思う。一言でいえば無知と過信。しからば過信はどこから生まれるか。それは自分の能力の何割かが、部下や協力者など他者の与力に因るもので、それまで有能で済んでいたのは、それら他者の能力の寄与を知らなかっただけである。すべての能力が自己に帰属していると考える思い上がりが過信を招く。部下の能力の寄与部分を客観的に見積もり評価できない人間は、自分の能力を見誤る。石原元知事はこの典型であったと思う。
人望が厚ければ部下が集まる。有能な部下に恵まれれば仕事は捗る。仕事ができればポストは上がる。上位のポストほどその部下の能力寄与度は大きくなる。
有能な部下は上司を通じて自己実現を図ろうと限界まで努力する。彼らはいつのまにか上司の腹心となり、上司はトップに躍り出る。このあたりから、上司と部下の能力の区分は不明瞭となり、自他の能力は融合して一体化する。トップはそれを自分自身の能力と思いこんでしまう。そして自己過信に陥るのではないだろうか。
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