道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

神経質

2024年04月06日 | 随想
私は子どもの頃「この子は神経質で・・・」と親に嘆かれて育ち、神経質はイケナイこと、ダメなこと、と受けとめながら成長した。身体が弱く病気がちなのも人見知りが強いのも、全て「神経質」の所為と理解していた。

神経質な子は集団生活に馴染めない。したがって集団に歓迎されない。教師も神経質な子どもは扱い難いので面倒だったことだろう。
一説によると、周囲に迷惑をかけると神経質のレッテル、迷惑をかけないと几帳面ということで好評価になるらしい。とにかく神経質は、マイナスイメージだったように思う。

社会というものは、多数派で成り立っている。神経質は少数だから、団体行動の調和を乱すものとして歓迎されない。
神経質の所為なのかどうか、その上さらに私には「要領が悪い」という欠点もあった。自分で納得できる遣り方に拘るので、物事の処理が捗らない。それもやはり神経質の一端だったのだろう。神経質な性格と要領の悪さは、社会生活では凡そ評価されない。

青年時代は自分の神経質に苦しみ悩んだ。これに恋愛が重なると、苦悩は倍加する。
この悩み多き時期をなんとか切り抜けて漸く中年期に達した34歳の頃、精神科医の斎藤茂太氏が「神経質を喜べ」(悩む人ほど強くなる)という本を著した。それを読んで、私は救われた。

歌人にして精神科病院長の斎藤茂吉の長男で、北杜夫氏の兄の精神科医、斎藤茂太氏は、その本で初めて、神経質が健常な精神活動であることと神経質性格の有用性を、素人に分かりやすく解き明かしてくれた。氏は、神経質な人間がいなかったら、人類は疾うに滅びていただろうとの見解を示していた。
以来年令を累ねるほどに、神経質の利点を自覚することが多くなり、この気質に生まれたことを感謝するようになった。当ブログも神経質の発想と視点で書いている。

莫迦者に神経質な人はいない。神経質な人に莫迦者もいない。これは客観的事実である。莫迦ではないから神経質になるのである。
斎藤茂太氏の「神経質を喜べ」によれば
神経質性格の人は
①誠実である
②几帳面である
③計画性がある
④視野が広い
⑤慎重である
⑥感受性が豊か
⑦気を緩めない
好いことづくめである。
長所がこれだけあれば、短所もこれ以上の数あるはずなのだが・・・
神経質に因る短所の方は、一般によく知られているので、此処では改めて挙げない。

その本を読んで私は人生がすっかり楽しくなり、以来健康にも恵まれて来た。度々訪れた人生の難局も、何とか乗り越えてこられたと思っている。


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