道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

マーケットで

2021年06月11日 | 人文考察
近所のスーパーマーケットに設置されているATMに預金を引き出しに行った。ついでに、今夜の晩酌の肴を見繕おうかと、店の鮮魚売り場に立ち寄った。2つのトロ箱に、石川県産の見るからに艶やかな赤褐色のスルメイカが整列していた。

イカ料理には目が無く、塩辛・刺身・ヌタ・イカ姿寿司・イカ飯など、どれが出ても欣ぶ食性である。
特にスルメイカに酢飯を詰めた姿寿司は、戦前のカラフト出身の婦人から妻が伝授されたもので大の好物。

ちょうどその時横に、私より少し若そうな老夫婦が通りかかり、件のイカに目を留めた。だが、奥さんはそのままイカを買わず先に行ってしまった。

残されたご主人は、本当は奥さんにイカを買って欲しかったらしい。「美味しそうだね」と私に同意を求めてきた。「新鮮そうですね・・・」と言葉を添えながら、私はこの人はこのイカを食べたいに違いないと思った。そして、買っても奥さんが調理をしてくれないと諦めているのだと推察し、深い同情を感じた。これまでに幾度となく、そのような情況に出くわしてきたからである。定年後世代の夫婦には、数多く観察される。

調理が不得手なのか、もう面倒くさいのか、奥さんたちの真意や事情はわからない。一般に、魚料理は夫人たちに嫌われる。刺身のパックが、主婦に最も歓迎される食品であることは、周知の事実である。

料理は一に愛情ニに興味三に熱意、このどれを欠いても美味しい味は出ない。
自慢料理が無い家庭は寂しい。楽しみごとの最たるものが、家庭内で等閑にされてきたからだろう。
美味しいものを、外食にしか見出せない生活も、虚しいものがある。グルメを衒うのは、索漠とした心情の裏返し、一種の虚勢である。

私が彼の立場だったら、買って帰って自分で料る。包丁一本鍋一つで出来る仕事、彼にできないはずがない。料理は女の仕事と考えているから、人の同情を買うことになるのである。料理をしない妻とこの先も仲良く暮らしていくには、それを夫が自分でやるしかないではないか。そうでないと不満が溜まる。特に当人が酒好きなら尚更だ。雄々しく?果敢に境遇に立ち向かっていただきたい。




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