道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

身近な秋景

2010年10月18日 | 自然観察

10月も半ばを過ぎたが、当地では執拗に夏日が続いている。それでも、小一時間の散歩で目に触れる景物に秋の色は濃い。

歩き始めてすぐ、川の合流点の瀬で水面を凝視しているコサギが目に入った。その先の瀬尻の深みでは、カルガモの家族とカワウのカップルが泳ぎ回っている。更にはるか下流には、遠目にもすぐそれとわかるアオサギが、例によって微動だにせず水辺に立っていた。他の水鳥と違って、川で魚を獲っているところを滅多に見せないヘンな水鳥だが、悠揚迫らぬ風姿と飄逸さは、いつ見ても感心させられる。

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口近くに来ると、マルバヤナギやタチヤナギ、コゴメヤナギが目立つようになる。河畔や湖岸の低湿地に生育する樹木だが、シダレヤナギに較べると、あまり人に顧みられることがない。これら自生ヤナギの幹や枝が、川面に映りこんでいる光景は、そう何処でも見られるものではない。これを見るのが私の散歩の目的のひとつ、あとふたつは草木と野鳥を見ることだろうか。

日本の都市の緑地には、その土地の風土にそぐわない、異なる気候帯の樹木が植えられていることがよくある。そのような植栽がつくる景観は、目に馴染まない。空気がその植物にあわないのだろう。

里山の景観が見る者に安らぎを与え郷愁を誘うのは、自然と人為の調和が程良く保たれているからだろう。

人工植栽は、その土地の自然植生に近いものであることが合理的で、そのようにつくられた景観は当然に美しくもあり、時を経るにしたがって周りの景観に調和する。日本の庭園に美しさと静穏をもたらしているのは、自然の植生に倣っているからで、それは庭園の安定、永続性に関連する。

公園を通り抜け、湖の周遊道に入ると、ヨシ原の道際に低木のイヌコリヤナギなどが自生している。この近くの水路には、カワセミがよく姿を見せる。

刈田に面した道脇の側溝内に動く黒い影、よく見るとそれはカメだった。捕らえて確かめようとしたが、水中のカメの動きは意外に素早く、流れに乗って忽ち姿を消した。溝にはアカテガニもいて、ときどき道上に這い出ている。

帰路は、往路の反対側の堤道を歩く幹線道路に出る手前で、細流に架かる橋の上から本流を覗きこむと、マゴイ・ニシキゴイ・ボラ、そしてカメがたくさん泳いでいた。餌付けされていて、人の姿が橋上に現れると瞬く間に蝟集する。

現金なもので、見ているだけでいっこうに餌をくれない観客には愛想をつかし、カメや魚は流央へ散ってゆく。この先家まで10分足らずだが、見るべき物がなくいから道のりはとても長く感じる。

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