硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

上京雑記。

2022-07-04 10:26:24 | 日記
4年ぶりに上京した。
コロナウィルスの広がりが少しずつ収まってきた事と越境が緩和された事とまとまったお休みができた事で、この機会を逃してはならないと重い腰を上げる事にした。

目的は、3年ぶりに列車に乗る事とときわ荘を観に行く事である。

列車に乗ることが生活の一部なら日常であるが、列車に乗ることがないので、何もかもがとても新鮮に感じた。そしてなによりも新鮮だったのは乗客のすべての人が梅雨明け後でもマスクを着用している光景であった。
コロナ過以前ならありえない光景であるし、冬場でも常にマスクを着用していた僕がマジョリティーに移行したのは不思議に感じる。
3年ぶりに聞く車内アナウンスはたどたどしさが残る女性の声であった。車掌さんに成り立てなのかなと想像してみた。
そして、駅から発車する時のホームアナウンスが最後に「安全よし」という言葉で締めくくるのも以前にはなかったものであった。

名古屋駅に着くとその人混みに圧倒されつつも、気合を入れてJRの新幹線乗り場へ向かう。
いつもなら、のぞみの指定席を購入するのであるが、列車の旅が目的であるので、各駅停車「こだま」の自由席を選択しいざ東京へ。

果たして座れるだろうかと心配したが、車内は三分の一程が空席であった。まだ、コロナウィルス感染の影響が出ているのであろう。
荷物を膝に置き少しシートを倒し少し車窓から外を眺める。列車が動き出すと景色ゆっくりと流れてゆく。そして新幹線独特のヒューと言う加速音が聞こえてくる。
この瞬間、遠くへ行くのだという気持ちが高揚する。
タンタンタンタン、タタン♪ と言う音楽と共にアナウンスが入る。車内販売をしていないというアナウンスが今を物語っている。そういえば、キオスクも少し様子が違った事を思い出す。目に見えないウィルスの脅威は今まで構築してきた物事をいともたやすく破壊してしまったのだなと思った。

いろいろ思いを巡らせながら外の景色を堪能していると、全日警の方が車内に入ってきた。
一瞬「えっ」と思ったが、ならず者の為に警備する人が必要な時代になったのかと理解した。

各駅停車は時間がかかるが、停車駅の周辺がじっくりと見て取れてなかなか楽しい。
20代の頃は時刻表を片手に在来線のみで移動したことが数回あるが、昔過ぎて駅の記憶が残っていない。記憶をたどっては見るが、なにも思い出せないのが残念だった。
また、東海道線と言えば「ムーンライトながら」が思い出深い。
何回かお世話になったが、今はもう存在していないようである。
死ぬまでにもう一度、時間とお金を気にせずにのんびりと在来線の旅もしてみたいなと思いながら、愛知を斜めに南下し、横に長い静岡を越え、神奈川を斜めに北上し、用意してきた文庫本を一度も開くことなく東京へ。

事前にスマホで検索した通りに、品川駅で下車し、山手線の外回りに乗るコースをたどる。
品川駅構内の構造もほとんど分からないので、びっくりするほどの人の波の中を泳ぎながら表示案内を頼りに歩いてゆき無事に山手線外回りのホームにたどり着く。

ホームにつくとすぐに列車が入ってきて、迷わず乗り込む。
戸惑うのは、どこを歩いていても驚くべき人の数である。

介護職員時代に覚えた島倉千代子さんの「東京だヨおっかさん」という歌に、「お祭りみたいに賑やかね」という歌詞があるが、地方から出てくると、この歌詞の意味がよくわかる。わかるようになったなとしみじみ思う。

山手線の車内はよく冷房が効いていて、暑さで茹だり切った身体を癒してくれた。
汗を拭きながら上部を見ると液晶画面に映し出される広告が目まぐるしく情報を与えてくる。ぼんやり見ていても情報が入り込んでくる。
中吊り広告も健在ではあったが、デジタル画面の広告は、つねに動いていて、目に留まりやすく、乗客が持つスマホは検索エンジンを搭載しているので、広告が気になればすぐに検索できる体制にあるというのも時代にマッチしているのであろうと考えた。
時代はデジタルへと移行していっているのだ。
そして、オンラインゲームの広告も普通に流れているのには驚きだった。
昭和の高度成長期位にこの世に生を授かり生きてきた者にとっては、本当に不思議な事象である。「ゲームなどは子供のやることだ」という空気感は、ゲームを愛し続けてきた人たちの手によって、マイノリティからマジョリティへと移行させ、ゲーム開発を大きな対価を生むという事業へと押し上げたのだ。

駅に掲示されている大きな広告も漫画やアニメを扱っていて、驚きと嬉しさがごっちゃになる。
いつのまにかアニメや漫画は日本の文化の一つと認められ、普通になってしまった。
サブカルチャーが好きな方だという意識はしていたが、いつの間にか時代遅れになってしまったと首都に来て痛感した。

駅に着くたびに目まぐるしく乗り降りする人々を見ながら、これでは感染者数が高止まりしても仕方のない事であるし、地方からではわかりにくい事なのだなと感じた。
そして、多くの人々が何かの理由で移動し、その移動には対価が発生していて、多くの人が移動すればするほどお金は運動し、お金の価値が最大限に発揮できる場所が東京なのだと腑に落ちる。その反面、人の移動とエネルギー消費は等価交換であるという事実。
これだけ多くの人々の生活を支える電気エネルギーを原発で支えられてきた首都のエネルギーを今後どのようにして補っていくのだろうかと考え込んでしまう。

池袋駅に到着すると、人に押し出されるように列車から排出される。右も左もわからない。激流の中で留まることは難しく、構内の柱を掴むように流れの裏手に周りしばし休息。
スマホを取り出し西武池袋線へのルートを探る。本当に便利である。これがなければうろうろしてしまう所である。
案内掲示板とスマホを頼りに、お祭りみたいに賑やかね状態の池袋駅構内を歩いてゆく。
田舎では浮いてしまうようなファッションや露出度の高い服も周りに溶け込んでいる。
華やかさと刺激が強すぎる街では価値基準の平均が高いのだろう。それは人の欲望をかき立てる環境だから人々はこぞって消費してしまうのだろうかと思いながら目的地を目指す。
今思い返しながら記しているけれど、どこをどう歩いてたどり着いたのかさっぱり覚えていないが無事に西武池袋線にたどり着く。路線図を見て、料金を確認し切符を買う。
ほとんどの人々は、自動改札口でカードなどを押し当て通過してゆく。ピッ、ピッ、と言う音が4ビートの勢いで鳴り響いている。

電子掲示板を探し、発車を待つ電車の行く先を確認しつつ列車に乗り込む。ここでもお祭りみたいに賑やかね状態である。
開閉扉を背に立っていた僕の前に夏の制服を着た女子中学生が立ち、しかも僕の存在が透明人間であるかのように、周りに囚われずスマホを巧みに使い、時々会話しているようにも見えた。何を操作しているのか大変気になったので、気にならない程度に観察させてもらっていたが、何をしているのかさっぱり分からない。しかもリュックのサイドポケットにはかなり読み込まれた文庫本があった。彼女を構成する要素から察すると、情報処理能力が極めて高いと推測される。僕にとっては最強と思える存在である。

この少女があと10年したらどんな世の中になっているのか、彼女はその頭脳を駆使して何者になるのだろうかと考え、ため息をつく。

電車は見知らぬ街の中を通ってゆき、目的駅である椎名駅に到着すると、不穏なアナウンスが流れていた。
炎天下の東京。コロナ過の東京。希望と絶望が何層にも積み重なった人や物がすごい勢いで流れている東京。人が多ければ多いほど競争も激しいであろうし、素晴らしい交流もあれば、妬みや誹りもそれ以上に多かろう。そのような状況下では、生きづらさも感じやすくなり自身を見失ってしまうのではないだろうかと思いながらスマホで目的地を検索するも、なぜかうまく作動しなくなっていた。
そう、僕の機種はauだった。

悩みながらも駅を出て案内掲示板を探すと地図があった。
「ときわ荘」は観光資源であるから豊島区も力を入れてくれているのが伝わってくる。
本当にありがたい。
線路沿いの細い道を歩いてゆき左に曲がると、目的地が路面に表示してある。
本当に助かった。
炎天下の中、汗を拭きながら目的地を目指す。マスクの中も汗で湿ってきている。
少し細い路地に入り人がいない事がわかるとマスクを取って汗を拭き、本日三本目の水をごくごく飲み塩分チャージのタブレットを口に放り込む。しばらくタオルで口元を隠し、時々深呼吸すると、向かいから自転車に乗ったおばさんがマスクをしていない僕をじっと見てくる。思わずタオルで口元を抑える。
人類におけるウィルスの拡大は人類が存在している以上避けられない事象である。したがって、人が作り出したガイドラインに沿って対応してゆかねばならない。
それが、秩序と治安を維持し安定させる。それを同調圧力と呼ぶのかもしれないが、個人的な思いはそれぞれでありつづけるし、個人の脳の中にある思想まで統治することはできないのだから、早くこんな世は終わればいいのにという結論にたどり着く。

路地をずんずん進むと、伝説の漫画家が良くお参りしたというお地蔵さんが家と家の間にひっそりとたたずんでいた。
田舎では考えられないレイアウトに驚きながらも静かに手を合わせ旅の無事を祈る。
商店が連なる歩道を歩き続けてゆくと、街灯の上部に「ときわ荘まんがミュージアム」の看板が、残りの距離を示してくれていた。
さすが豊島区! 

その看板を目標として歩んでゆくと、左手にときわ荘公園が見えてきた。
公園に入ってゆくと木陰で涼を取っているおじいさんと、スマホ片手に楽しげに話しているカップルがいるだけで、実に静かであった。
もちろん、下調べをして来ているのであるから、リニューアルオープンは数日後であることは承知している。
別に中は入らなくてよいのである。巨匠たちがいた場所。聖地とも呼べるところに来たのだから。
静かなときわ荘を写メに収め、しばらく佇む。
ついに来た。喜びがじわじわ込み上げてくる。汗もじわじわ噴き出てくる。少しぬるくなった水を飲み建物をじっと見る。
いつか来ようと思っていて、来る機会を失い続けていたので実に感慨深い。

木陰に入りベンチに座り少し休憩。それでも、暑いものは暑い。
もし、重い腰を上げる事が出来たらまた来よう。そしてこの街をもう少し散策してみようと思いながら、早々に後にした。つながりにくいスマホに頼りながら東長崎駅を目指す。
途中、豪商岩崎家の軒で暑さから避難。都内にもこんな建物が残っているのかと感心。
しばらく歩き、細い路地を右へ。その先には踏切が見える。もうすぐだ。
踏切の手前を左に曲がり道なりに進んでゆくと、ようやく駅が見えてきた。
ホームにはたくさんの人が待っていて、想定外の出来事と異常ともいえる暑さにぐったりしているように見えた。
駅のアナウンスに耳を傾けると、まもなく復旧すると告げていた。
駅の階段を上がり切符を買い、ホームへ続く階段を下りて人の列の最後尾につく。
しばらくすると椎名駅で止まっていた列車がホームに入ってきた。
ずいぶん歩いてきたが、この列車に乗ってきたのかと不思議な気持ちになる。
そして、池袋行きの列車が入ってくる。この車両で・・・。と、言う所で思考を止め人の波に乗って列車に乗り込む。列車の中も地元の通勤時間の列車内位に人でいっぱいである。
クーラーの風は冷たい風を送り続けているけれど、熱くなった身体が冷える事もなく、とめどなく汗が噴き出てくる。麗しきお嬢さん達の迷惑にならぬようにと小さくなって首に巻いたタオルで汗を拭く。
駅に着くとスマホがほとんど機能しなくなっていた。構内に入ってしまうと真っ白な画面がずっと続いていた。つながるのを待ち次の目的地を探る。駅から2キロ弱。
暑いけれど歩いてゆこう。そう決心して本日4本目のペットボトルを開け、夏目先生のお墓へと足を進めた。

迷いながら池袋駅を出て、雑司が谷霊園を目指す。スクランブル交差点の向こうに雑司が谷霊園の表示が見えた。
豊島区さすがです。

信号が青に変わる。一気に人が歩き出す。どんどん引き離されてゆく。歩行者用の信号機の青い点がみるみる減ってゆく。三重県モードで渡っていては渡り切れないと気づき小走りをする。
ぎりぎりで渡り切る。つくづく田舎者なのだなと実感する。

ビルとビルの間に続く道を歩いてゆくと、飲食店の前に人の列ができているのを見た。もうお昼なのだなと気づく。暑さのせいか食欲も湧かないし、モードを切り替えて信号を渡ったせいか若干速足になりながら、頼りにならないスマホを片手にどんどん歩いてゆくと、その先に緑と踏切が見えた。
ここを訪れるのは三回目であるから、見覚えのある風景にホッとする。

都電荒川線の踏切を渡り、墓地に続く細い道をゆくと、沢山のお墓が東京の街のように遠くまで並んで立っているのが見えた。記憶をたどりながら歩いてゆく。生い茂った木々の下は少しばかり涼しい。気持ち風も心地よく感じる。霊園の中央を走る道を左に曲がってゆくと、何かの作業をしている軽乗用車が止まっていた。その横に生花を販売していたお店があったはずであるが、家の周りには簡易フェンスが張られ、木々や草が茂っていてすべての活動を停止しているように見えた。時代は留まってはくれないのだ。
左手を気にしながら歩いてゆくと、少し大きな石碑が見えてきた。ああ、訪れる事が出来たと、またホッとする。

墓石の前で手を合わす。言葉にならない。ただ、もう少し頑張ってみますとつぶやく。
もと来た道をもどり、小泉八雲の墓石にも寄って手を合わす。帰化したとはいえ墓石も日本式。なぜと思って調べたら、キリスト教嫌いだったのですね。

都電荒川線に乗り大塚駅を目指す。小さな車両が満員である。しかも運賃は170円。
そんな少額でなぜ維持できるのかと驚く。そして、新しくなった大塚駅を見てまた驚く。人口が減少していると感じさせない力がここにある。
当たり前であるが、地方都市とは根本的に構造が違うのだから、都市のロールモデルにはなりえないのだ。

山手線に乗り東京駅を目指す。車内は比較的空いていた。座席に尻を落とし、疲れた身体を休憩させる。
液晶パネルの広告にも慣れ、流れてゆく窓の外の風景や目まぐるしく入れ替わる人々を見ながら、ふと気づいた。

様々な事が変化していたけれども、最も変化していたのは、窓に移った老いた自分の姿だった。

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