硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

名作「エデンの東」

2016-04-21 20:46:09 | 日記
名作「エデンの東」を観た。今まで手が伸びなかった映画でしたが、一度は観ておこうと思い立ちレンタル。
名作と言われるだけあって、確かに物語に引き込まれてゆくのだけれど、物語には疑問が残ります。

登場人物の名前からも分かる様に物語の伏流には聖書があります。でも、この物語はアウトローであったケイレブとアロンとの愛に疑問を抱いていたアブラだけが幸福に至ります。

それに対し、聖書に人生の規範を置く、父アダムと息子アロンは自ら荒れ野を歩むことになりますが、なぜ敬虔な信仰者が不幸になるのでしょうか。それは聖書が物語の根幹にあるからでしょうか。

疑問はそればかりではありません。まず、アダムの妻であるケートは、流れ者であったが美人であったため、アダムは恋に落ち、結婚に至るのだけれど、自由奔放なケートを敬虔なクリスチャンとしての型にはめようとした事を嫌い、反発したことが離縁の原因なのですが、敬虔なクリスチャンなら、なぜ容姿を重視して伴侶としたのでしょう。また、愛しているなら、なぜケートを自由に「させておかなかった」のでしょうか。アダムはなぜケイレブがアダムの為に苦心してこしらえたささげ物を「正しい行い」として受け取らなかったのだろうか。戦争で得た益を嫌うならば、なぜ徴兵役員等に就いたのであろうか。

アロンも、また敬虔な信仰者であるなら、なぜケイレブの誘いに乗ったのでしょう。辛い現実を突き付けられて、なぜやけを起こして隣人を傷つけ、嫌っていた戦争に身を投じたのでしょうか。
アロンの恋人アブラはアロンを愛していると言いながら、ケイレブを慕う農奴の女性らの気持ちをわかりながら、なぜケイレブを愛する事になったのでしょうか。
脳出血に陥ったアダムが世話人としてケイレブを選んだのは、赦しではなく、気の強い利己的な看護婦より、頼りになると思ったからではないでしょうか。

名作に違和感を抱くのは日本人だからでしょうか。
それとも、信仰に寄りかからず、自身の思うように生きろ。というのが本作品のメタ・メッセージなのでしょうか。それならば、アダムは最後の最後に「信仰」を手放した「言葉」によって、ようやく真の幸福を得られたのではないかと考えられるのではないでしょうか。

ジェームス・ディーンの名演技が光り輝く作品であるけれども、僕にはこの映画の良さが今一つ分からないのでした。