硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

夢の乗り物だったのに。

2015-07-04 20:34:48 | 日記
新幹線で焼身自殺を図った事件が連日報道されていた。年に一回乗るか乗らないかという位にしか利用しない新幹線でこのような事件が起こると大変残念に思う。ワイドショーはほとんど観ないので新聞記事を読んで色々考えてみて思ったことを一石述べておこうと思います。

事件そのものにも驚いたが、現時点での報道では自殺を図った男性が高齢者であって生活が困窮していた事が動機だと報じられていた。しかし、そこで疑問がわいたのです。

疑問とは、生活に困ることと、新幹線で自殺を図ることが上手くつながらないということです。しかも関係のない人を巻き込む形となった。生活に困窮し生きてゆく希望が無くなったのならひっそりと人生の幕を引いいてもいいはずである。しかし男性はわざわざ新幹線の車内を選んだ。

そこで思ったのが男性の経歴。

男性は若い時は流しをして生計を立てていた時期もあり草野球も参加してたといわれてる。少ない情報から考えるとどうしてもバイアスがかかってしまうけれど、大きく捉えれば男性は自由を愛してきた快楽主義者であるような気がします。

そのように仮定すると、男性は常に他者との関わりを求めていたのではと考えられます。関わりというよりも注目を集めていたいという欲望と考えたほうが自然なのかもしれません。流しにしても草野球にしても他者から注目を集めるという事物が働いているからです。

そう考えると、男性にとって辛かったのは、生活が困窮している事も、他者から注目を集められなくなったから、せめて人生の最後でもう一度多くの人から注目を集めようと考え新幹線の車内を選んだのではと考えると納得がゆくのです。

そして、情報過多の世の中で新幹線で自殺を図ればどれほどの人が迷惑するかを考えなかったのは、男性は後先をよく考えぬ快楽主義者であったからだと考えれば多くの疑問も腑に落ちるのです。

しかし、男性の身勝手な行動により多くの人に迷惑がかかり、死者まで出してしまったことには変わりはありません。

新幹線は夢の超特急に変わりなく、時間に正確で、安心して乗車でき、乗り込んだ時のわくわく感は特別なのに、その列車に個人の心情を挟むなんてどうかしていると思いながらも、孤独に打ち勝てず事件を模倣する高齢者が出てくるのではないかと危惧してしまうのです。