更に続きを考えてみました。
これまで述べてきた事は、個人が競争主義と共産主義という働き方を選択できるわけですが、どちらを選択しても、福祉が充実しているので平等に社会保障制度の中で、育児、介護が保証される権利を得る事が出来ます。ただ、生活の格差はさけられません。
また、仕事が分散される事で個人への負荷が減るわけですが、真面目に働く人と働かない人が混在していれば、おそらく働かない人は更に要領よく振舞う事になるでしょう。それでも、対価は平等に支払われるのですから、やはり共産主義体制の中では不健全な劣悪平等に陥る可能性は否めません。
さらに言えば、社会構造が女性の主張に沿うように整ったとしても、パワハラやマタハラやセクハラが無くなるわけでもなく、社会格差への嫉みや誹りを助長するのではないかと危惧するのです。
つまり、構造改革で解消できない問題の4割の理由が此処にあるのではないかと考えます。この問題の根源は「隣人」にあり、いかに隣人が私の気持ちを汲んでくれるかが問題を解決するキーワードなのだと思います。
それには、人の心の成長が不可欠になるわけですが、私や隣人が柔和で寛容であったのなら、ここまで社会問題にならなかったのではと思ったのです。
これまで述べてきた事は、個人が競争主義と共産主義という働き方を選択できるわけですが、どちらを選択しても、福祉が充実しているので平等に社会保障制度の中で、育児、介護が保証される権利を得る事が出来ます。ただ、生活の格差はさけられません。
また、仕事が分散される事で個人への負荷が減るわけですが、真面目に働く人と働かない人が混在していれば、おそらく働かない人は更に要領よく振舞う事になるでしょう。それでも、対価は平等に支払われるのですから、やはり共産主義体制の中では不健全な劣悪平等に陥る可能性は否めません。
さらに言えば、社会構造が女性の主張に沿うように整ったとしても、パワハラやマタハラやセクハラが無くなるわけでもなく、社会格差への嫉みや誹りを助長するのではないかと危惧するのです。
つまり、構造改革で解消できない問題の4割の理由が此処にあるのではないかと考えます。この問題の根源は「隣人」にあり、いかに隣人が私の気持ちを汲んでくれるかが問題を解決するキーワードなのだと思います。
それには、人の心の成長が不可欠になるわけですが、私や隣人が柔和で寛容であったのなら、ここまで社会問題にならなかったのではと思ったのです。