少し前に就職希望の女の子が面接に来るという話を聞いた。若返りを図れない絶望的な介護現場には貴重であり、重き門をたたいてくれたのだから、採用されるだろうと思って、お会いできる日を楽しみにしていたのであるが、いつまでたっても来やしない。そこで主任さんに「面接希望の女性はいつから来るのですが」と尋ねると、
「お断りしました」
と言った。
動揺を隠すことができず、何も考えずに「なぜですか? 」と聞いたら、
「ギャルみたいな子で、印象も悪く、採用してもどうせすぐに辞めてしまうから」
と言われた。
返す言葉が見当たらなく「そうでしたか。残念ですね」とだけ答えた後、違和感が残った。「何かが足りない」と。
そして、また考えた。ここに足らないもののヒントがあるはずだと。
数日後、その答えは突然舞い降りた。それは、「問いの立て方が逆であるのではないか」と言うものだった。
つまり、介護現場では「すぐに辞めてゆくだろう」と言う問いの立て方はよくなされるけれど、自身に対し「どうして私は尊敬されないのだろうか」という問いの立て方はしない。
離職率が高い理由がそこに潜んでいるような気がするのです。
「離職する側の問題」だけではなく、「離職に追い込んでゆく人々」に大きな問題があるような気がするのです。
しかし、残念ながら人間は虚栄心や自尊心を放下することが困難である。したがって、介護現場で「どうして私は尊敬されないのだろうか? 」という問い立て方がスタンダードにならない限り、担い手は減少してゆくしかないのだろうと思ったのです。
「お断りしました」
と言った。
動揺を隠すことができず、何も考えずに「なぜですか? 」と聞いたら、
「ギャルみたいな子で、印象も悪く、採用してもどうせすぐに辞めてしまうから」
と言われた。
返す言葉が見当たらなく「そうでしたか。残念ですね」とだけ答えた後、違和感が残った。「何かが足りない」と。
そして、また考えた。ここに足らないもののヒントがあるはずだと。
数日後、その答えは突然舞い降りた。それは、「問いの立て方が逆であるのではないか」と言うものだった。
つまり、介護現場では「すぐに辞めてゆくだろう」と言う問いの立て方はよくなされるけれど、自身に対し「どうして私は尊敬されないのだろうか」という問いの立て方はしない。
離職率が高い理由がそこに潜んでいるような気がするのです。
「離職する側の問題」だけではなく、「離職に追い込んでゆく人々」に大きな問題があるような気がするのです。
しかし、残念ながら人間は虚栄心や自尊心を放下することが困難である。したがって、介護現場で「どうして私は尊敬されないのだろうか? 」という問い立て方がスタンダードにならない限り、担い手は減少してゆくしかないのだろうと思ったのです。