“ボールを持ち過ぎた男”ジョニー・ペスキー(2004.10.30.)
オレの名前かい、ジョニー・ペスキーっていうんだ。もう今年で85歳になるが、こう見えても昔はメジャーリーガーだったんだよ。あのテッド・ウィリアムスやボビー・ドーア、ドム・ディマジオたちと一緒にボストン・レッドソックスでプレーしたんだ。オレたち4人は特に気が合ったんだ。ホラ吹くなって、それじゃあちょっと昔話でもしようか。
そう、あれはオレやテッドが戦争から帰ってきた1946年のこと。テッドが最後の4割打者になって、ドムの兄貴でニューヨーク・ヤンキースのジョー・ディマジオが56試合連続安打なんていうとてつもない記録を作った年さ。あれからもう60年もたつんだなあ。
あの頃オレはショートを守っていたんだ。自分で言うのもなんだが、結構いい選手だったと思うよ。今年イチローに破られるまでルーキーから3年続けてのシーズン200安打以上っていう記録も持っていたんだ。
引退してからはレッドソックスで監督やコーチもしたけど、ファンがオレのことで覚えているのは、残念ながら“ボールを持ち過ぎた男”としてだろうなあ。
話はこうだ。ワールドシリーズの第7戦。相手はスタン・ミュージアルがいたセントルイス・カージナルス。勝った方がワールドチャンピオンになるっていう文字通りの大一番さ。だけどその大事な試合でオレはミスを犯してしまった。
同点で迎えた8回裏カージナルスの攻撃、2塁にランナーを置いてヒットが出た。そこで外野からの返球を中継してホームに投げる時、ボールが手に付かず、長く持ち過ぎてしまったんだ。そのためにカージナルスに勝ち越し点をやってしまったのさ。で、結局ゲームに負けて、オレはファンから“ボールを持ち過ぎた男”というニックネームを頂戴した。
もちろんあの時は、まさかこんなに長くレッドソックスがワールドシリーズで優勝できなくなるとは思っていなかったから、まあ次があるさぐらいの気持ちだったけどね。
ところが、オレが監督やコーチをしていた時もチームは優勝できなかった。そのうちに“レッドソックスの優勝を見るまでオレは死ねないぞ”と思い始めた。思えばそれが後半生の生きる張り合いだったのかもしれないなあ。後に図らずもトンネルをしてシリーズの流れを変えてしまったビル・バックナーも同じような気持ちだったと思うよ。
でも今回の優勝でオレもビルもひとまず“呪い”からは解放されたようだ。特にオレの場合は相手がカージナルスだったから、余計にうれしかったよ。生きていて本当によかった。正直言って、肩の荷がおりた気がするなあ。
と、これはあくまで事実を基に、ぺスキーがこんな風に語ったら面白いと思って考えたフィクション。ところでぺスキー、ドム・ディマジオ、ドーア、そしてウィリアムスの友情を描いたデビッド・ハルバースタムの『鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情』(原題「チームメイト」)という本が以前から少々気になっていた。読んでみようかな。
【今の一言】ペスキーは2012年に92歳で亡くなった。
“バンビーノの呪い”
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/8ae3d658efefad757a788d36154e46b5
“Bの恐怖”
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f07dfa665e2953579a305a42a5e79499
レッドソックス、86年ぶりにワールドシリーズ制覇
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/15dc2fb6ed6053b4e2d33d766af2540e
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