田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

「BSシネマ」『ミセス・ダウト』

2024-04-16 07:21:06 | ブラウン管の映画館

『ミセス・ダウト』(93)(1994.6.9.日本劇場)

 3人の子どもたちと過ごすのが何より大切なダニエル(ロビン・ウィリアムズ)は、失業中にもかかわらず、仕事も家事も妻のミランダ(サリー・フィールド)に任せきりで子どもと遊んでばかり。ついに離婚を宣言され、週に1度しか子どもたちと会えなくなってしまう。ダニエルは初老の英国婦人に変装し、家政婦としてミランダの家に入り込むが…。

 この映画を見る前は、どうせウィリアムズが『トッツィー』(82)のダスティン・ホフマンの向こうを張った女装コメディなのだろうと高をくくっていた。ところが、女装をすることによって初めて見える別の視点という共通項はあったものの、そこに家族の姿を描き込んだところで、『トッツィー』とは全く違う映画という印象を抱かせる。

 つまり、ここでは離婚大国としてのアメリカという側面がクローズアップされ、そうした状況下で最も被害を受けるのは、子どもたちであるという、大事な問題が含まれているからである。

 もちろん、この映画が描いたよりも、現実は遥かに厳しいのだろうし(事実、アメリカでの離婚後の復縁は99パーセントないという)、親子の関係はもっとドロドロとしたものになるのだろう。だからこの映画を、現実味のない、甘い映画として断罪するのは簡単である。だが逆に、「だからこそ…」という見方もできるのではないか。

 ラストで語られる「どんな形にせよ、愛があれば家族は存在する」という一言こそが、この映画のキーワードであるに違いなーい。つまり、作り手たちは、現実と映画との差を重々承知しながら、こうした不幸な夫婦や子どもたちへの応援歌的なものを作りたかったのだろうという気がする。

 こうした好意的な感慨が浮かぶのは、クリス・コロンバス監督作の家族物が持つ共通の味わい故だとすれば、彼にもアフター・スピルバーグの一人としての期待が持てる。

 ウィリアムズのハチャメチャ演技(スラング)は、今回も“言葉の壁”に阻まれて半ば理解できなかったのが残念だったが、この映画では、むしろ彼を引き立て、現実的な憎まれ役を巧みに演じたフィールドの方を買いたいと思った。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【ドラマウォッチ】「アンチ... | トップ | 「午後のロードショー」『ブ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブラウン管の映画館」カテゴリの最新記事