紅葉:2008年

2008年11月30日 | 人生は旅である。
今年の関西地方は、紅葉がゆっくり進んでいるようです。

天気の良い日に、阪急電車から望む六甲山が、赤と黄色とオレンジと深緑と、まさに錦織りのように、素敵に輝いています。

もうすぐやってくる冬も、南が海に開けている阪神間では、決して凍えるような季節ではなく、静かだけれど明るい季節です。

あなたは、どんな季節を送られていますか。

下の写真は京都西本願寺の境内の銀杏 (2008.11.29)


急行ちくま:新大阪乗車口:2008年10月現在

2008年11月26日 | 人生は旅である。
大阪駅とか、東京駅とか大きな駅の本線ホームには、優等列車(特急、急行)の乗車口札がぶら下がっています。

ここ、新大阪の東海道本線ホームには、特急トワイライトエキスプレスと並んで急行ちくまの乗車口札がぶら下がっています。

「急行ちくま」東海旅客鉄道(JR東海)が、大阪駅~長野駅間を東海道本線、中央本線、篠ノ井線、信越本線経由で運行する臨時夜行急行列車であり、その歴史は1959年に準急列車として運転を開始して以降、定期列車として2003年まで運行した。ということです。Wikipediaより

臨時列車になった、急行ちくまも2005年を最後に運行されていないようです。

"ちくま"という列車はもう3年ほど運行されていないのですが、"臨時列車"としていき続けているようです。いつまた、急行ちくまが走るかもしれない、という意味で、今日も新大阪のホームに乗車口案内板が掛けられています(2008年10月25日現在)

来るはずの無い銀河鉄道を待ち続けているようにどこか切ない景色です。

形式と教えの崩壊についての一考察。SEO的には、葬式宗教、生きる"よすがとは。"

2008年11月24日 | 人生はメンタルだよな


宗教は形式である。

宗教は形式である。これは、間違いが無い。形式を尊ばない宗教は無いと言える。

形式は、教えから来る。

この辺から、一般的に怪しくなってくる。

確かに、「教えがあれば、形式はいらないでしょう」という考え方は、合理性がある。

しかし、宗教的形式は、生活における形式とは異なるものを持つ。その異なる形式を見せることで、日々の生活ではすぐに雲散霧消してしまう"教え"に誘引するのである。

立派な伽藍、美しい仏像、巨大な墳墓、そういった非日常のビジュアルから、平生とは違う空間に人を引き込み、"教え"という精神的異空間に引き込むのである(多分)。
逆に言うと、教えの無い形式は、もはや形式としての意味を成さない。

形式化する宗教

さて、宗教が形式的になっている。正確には"教え"の無い宗教的な形式だけが世の中に散見される。

最たるものが、葬式と、それに伴う"宗教的"儀式である。形式だけが残って、宗教的な意味がなくなっているという。そして、「葬式というもの=形」を、とりあえず整えれば良いと多くの人たちが考えているようである。

「形だけ整える」

OK,OK,

であれば、病院から直接火葬場に持ち込んで焼いてしまう(これを直火焼きジカビヤキと言うらしい)をしてしまえばいいのである。死体を焼いて骨にする(一部地区では、土葬という形で埋葬する)というのが、日本国民の守らなければならない(法律にもとづいた)義務であり、形であるから。

たしかに、教えが無い形式には意味が無いのであるが、その形式も無くなれば、教えに触れる機会も無くなり、教えそのものも無くなる。

教えの無い人生

"教え"が無くなるということは、私が私を"よすが=縁"に生きていくということである。誠に個人主義、私の人生に私のほかに他人は無い、という生き方になるのである。

結構、結構、それで生きていけばよい、それで生きていければね。

教えの無い人生は、自らをよすが(縁)にしていくことになる。と書いたが。

他と無縁の人というのは、一人もいないわけで。他とまったく無縁の人がいたとしたら、その人には両親がいないということになる。それは、ありえないでしょ?

したがって、自分だけをよすがに生きていくわけには行かないのである。そして、よすがは、自らの外にしか認められないものなのである。

さて、そのよすがであるが。単に受身の「縁」という意味と、「よりかかるもの」という能動の意味がある。

人生のよすが

「よりかかる」って、能動か?

よりかかるは、対象の働きに自分の身を任すことであるから、よりかかっている状態は、極めて受動的状況といえよう。「逆受動?」

で、寄りかかって生きていくしかない人であるのなら、できれば、確かなものに、寄りかかっていくほうが幸せであろう(多分そうだろう、確信はもてないが)

そして、この「確かなもの」が「教え」と呼ばれているものなのである。そして、教えに疑いなくよりかかる状態が "信" と言われるものだと、理解している。

さて、形式も教えも無くなったときに、何をよすがに人は生きていくのであろうか。

そこには、迷いの人生が虚空に広がっているのである。それが、六道輪廻の世界なのである。多分

だからこそ・・・  と坊主は話を始めるのである。

明日の朝は寒くなりそうです。

2008年11月18日 | 人生はメンタルだよな
写真は2003年晩秋の出石の町


今年も、阪神地区に冬を感じさせる朝が明日来ます。

いつの頃からか、その年の最初の冬の日に思い出す曲が、YUMINGの「青いエアメイル」です。

「冬は早く来る あなたの町の方が」から始まって
「5年 いえ 8年たってたずねたなら」につづく言葉の流れがいつも胸をつきます。

結局会えない人に「けれどあなたがずっと好きだわ 時の流れに負けないの」と言い切る YUMING の言葉の力にいつも心揺らされるのです。

冬は、想い出の季節とも言えますね。

あなたの、今年の冬が、思い出になりますように。



アーバンライナーNEXT:名古屋駅:みそかつ弁当

2008年11月17日 | 人生は旅である。
今年は、名古屋へ観光旅行に2回行くことになりました。

で、今回の帰りは近鉄アーバンライナーに乗ろうと決めました。

  • どうせ乗るならNEXTだぜぃ!
  • どうせNEXTなら"でらっくすしーと"だぜいぃ!
  • どうぜ、デラックスシートなら、みそカツ弁当だろぉぉぉ!

    ということで、みそカツ弁当をほおばりながらのアーバンライナーNEXTデラックスシートでありました。

    弁当のパッケージに描かれた、養豚業のお百姓さんの悲しげな眉毛が、誠に味わい深い逸品でございました。