夏が行く:2010年夏

2010年08月29日 | 人生は旅である。
今年も、やれやれ、と夏が行きます。

「やれやれ、暑かったよねえ」と

振り返るのもまだまだ早すぎるほど、暑い日が続いていますが、雲の形、太陽の光、風の重さが少しずつだけど、変わっていくことが感じられます。

この夏は、ここ数年と同じように、淀川花火の日に同窓会をしたり、お盆明けの週末に旅行したり、高尾典江さんのボサノバを聞いたりの日々でした。

あなたの、今年の夏はどうでしたか?
そして、今年の秋はどう過ごされますか?

すべての三十路の独身女性に:高尾典江&cocoroneのアルバム「ペタラ」

2010年08月10日 | 人生は音楽である
このblogをお読みいただいている、そこの"三十路独身女性"。

そう、あなた、あなたっ!。

あなたのための応援CDができました。

高尾典江&cocorone がお送りするファーストアルバム「ペタラ~花びら~」

いきなり来ますよぉ

"Samba de Misoji"

「いつものように笑ってたって始まらない
 恋は仕掛けなきゃ 仕掛けなきゃ ハンターにならなきゃ
 三十路だからって落ち着いたって始まらない
 恋は逃げてゆく 逃げてゆく 今すぐ捕まえて」

三十路の独身女性が、目下の人生最重要課題は、

そう

"恋"であらねばならぬと、

このオジサンは思っています。そんな、三十路独身のあなたを勇気付ける高尾典江さんの曲。

高尾典江(vo.g) 、生田幸子(p) 、堀口和子(vln) 、東ともみ(b) 、太田ピカリ(ds)のメンバーでお送りする三十路独身女性へ送る応援歌。

ジャケットの、みんなの写真が、みんな「可愛い」と思えるのは、やっぱ私がオジサンだからでしょうか。

このオジサンも三十路独身のあなたたちを応援しているのだよ。

ミドルメディアの行く末:この時代の編集を考える。

2010年08月08日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
代表的ミドルメディアのサイズについて。
gigazineって、結構大きいのですねぇ。

2010年6月1日 ~2010年6月30日 VR-interactive


さて、ミドルメディアとは、「マスメディアと、インターネットの掲示板やブログ・口コミといった個人メディアの中間にあるメディアのこと](wikipedia)とあり、藤代裕之(別名:ガ島通信氏)が定義したものであります。

当の「ガ島通信」blogには、ミドルメディアは2種類あるとされています。
  • プラットフォーム提供型(ユーザーが参加して記事やサイトのランキング、重要度などを評価していく。ソーシャルブックマークやソーシャルニュースなど)
  • 編集型(編集者が情報をさがし、価値があると判断した情報をユーザーに紹介する。J-CASTニュースやまとめサイトなど)
    また、つづけて藤代氏は
    「今後も広く使われるようであれば、ターゲットや利用者数などで、もう少し定義をしたほうがよいのかもしれません」とも書かれておりますので、変わっていくかもしれませんが、一応上記の定義の中で筆を進めます。

    次に、今回は、主に「編集型」に分けられるミドルメディアを通じて、今の時代の"編集"ということを考えてみます。

    インターネット時代になって、メディアの数が爆発したのですが、一次情報はblogを代表とするCGM、国内外マスメディア、そして、今や記者クラブにこだわらない広報活動の広がりで、直接取材の機会も増えています。そして、編集とは、あふれかえる一次情報を読者へ向けてただ単に整理整頓する事では無くなりつつあります。

    それは既にgoogleの仕事になりつつあるように思えます。2010年の現在、googleオーガニック検索において、私の検索履歴を反映させたものになっています。iGoogleを使ったニュースやblogブラウズのユーザー行動傾向を貯めているようには、現在は見えませんがいつ、カスタマイズされたもになっても不思議ではありません。

    この時代の編集とは、情報海を俯瞰して価値あるコンテクストを見つけ出し、一次情報を紡いで、一本の言説に仕立て上げることだといえるのではないでしょうか。

    そして、この「コンテクストを見つけ出す」という知的作業がこれからの編集型メディアの最重要なポイントであり、ネット上に散らばった情報を一次情報の多くにしているミドルメディアにとっては、まさに「生命線」ともいえるのではないでしょうか。

    そして、その知的作業の司令塔が編集長です。さらに、編集長のコンテストをライターたちがどこまで共有出来るかが、組織体をとっているミドルメディアの勝負どころだと思うのです。

  • iPad:究極のコンテンツビューア

    2010年08月01日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
    この週末、iPadを借りることが出来ましたので、いろいろと触ってみました。

    PCの進化系?では無いですね。

    パーソナルコンピュータは、基本的に作業の高速化・効率化をもって、生産性を高めるためのものですので、もちろんデータの処理能力が高くなることが進化の方向性であり、マンマシンインターフェイスの部分が、進化してこそ「PCの進化」といえるでしょう。たとえば、ボイス入力が実用レベルになるとか、指輪型の三次元ワイヤレスマウスが実装されるとか、、、。

    そういった意味でiPadは「PCの進化」の方向にあるものではない。

    たしかに、キーボードがソフトウェア化されることで、入力部分は進歩している感があります。

    具体的には、Returnキーがモードによって"検索"とか"登録"のように、そのキートップ表示を変えるところは"大変な"進歩だと見えますが、キー入力のために表示領域が激減するのは、決して"進化"とはいえないと思います。

    では、iPadはスマートフォンの進化系でしょうか?

    それも、そうとはいえない。第一「そのままでは、通話が出来ない。」

    えっ?「iPhone も通話は出来ない」ですって?それは、Soft Bank 3G環境の話であって、iPhone の機能自体の話しじゃぁ無いですね。ちなみに、iPadって、3GよりWiFiがその通信環境のデフォルトになっているようです。

    確かに、iPhone の先進的な機能を拡張していくと、iPad のようなものになることは理解できますが、いかんせん

    でかい!ブブゼラー♪

    重さは2年もすればずっと軽くなるのでしょうが、この大きさでは、スマートフォンと同じように使うことは出来ないと思います。だって、電車でメール見てても丸見えだもの・・。

    さて、改めて、iPad は何が進化したものかと考察すると。

    「紙に記されたモノ」と「電波を使って情報を配信するモノ」が進化したものといえると思います。

    具体的書くと
    「紙に記されたモノ」とは、
  • 新聞
  • 雑誌
  • チラシ
  • パンフレット
     もっとありそうだけど

    「電波を使って情報を配信するモノ」
  • テレビ
  • ラジオ

    そう、いわゆる「マスメディア」と呼ばれているものが、「進化した形」がこのiPad(のようなもの=いわゆるスレート)にはあるのです。

    ここで、改めて注意いただきたいのが「進化」という言葉です。

    iPad が紙やテレビなどの代替品だすれば、そこでは「変化」という言葉を使うべきでしょう。
    私が「進化」という言葉を使うのは、iPad(のようなもの=スレート)は、今のマスメディアに無い機能が付け加われて、その機能が"進化"と書くに足りる違いをこの世の中に与えるであろうことなのです。

    それは「双方向性」の実現であります。

    新聞が、雑誌が、テレビが、ラジオが、CDが、送り手から受け手への一方向のコミュニケーションであったとしたら、iPad(のようなもの=スレート)は受け手から送り手へむけた情報流を確立した、「進化したマスメディア」を実現するデバイスなのであります。

    iPad(のようなもの=スレート)が、単にマスメディアを"代替"するだけのものだとすれば、新聞社も、雑誌社も、テレビ局もそのデバイスに乗るも乗らぬも、いずれにしても、縮小均衡を図るしかないでしょう。

    しかし、このデバイスが「進化したマスメディア」を実現できるものだと受け止めれば、新聞社も、雑誌社も、テレビ局も大きな新たなるビジネスチャンスとしてチャレンジするに価値ある状況であると、今を考えてもいいのではないかと、私は思うのですが。

    どうでしょう?