法務大臣が死刑執行のはんこを押す意味

2007年09月30日 | 人生はメンタルだよな


高校生の時に社会科の教師が言っていた事を思い起こすと。

議会制民主主義制度において、法務大臣は国民の代表の一人であるわけで、選挙制度のうえに乗って、国(国民)の法務関係の機能を代表・代理しているのだと解釈するべし、、と。

で、法務大臣が死刑執行のはんこを押すということは、「国民の代表として殺人を犯す」という理解になるのである。(私たち一人一人が電気椅子のボタンを押しているのである。)

裁判制度は、その罪人の罪の重さと罰の程度を決めるという作業であって、罰が決まってからその罰を与えるのは裁判所ではないはずである。(刑務所って裁判所の管理下にあるんでしたっけ?)

で、期限付きの刑罰の執行は、ある種自動的に行われるのであるが、死刑だけは、あまりにその行為が重いために、国民の代理代表者としての法務大臣がいちいちはんこを押すという仕組みになっている、といった話であった。

死刑という制度そのものが絶対普遍的に正しい刑罰であると決められない、という考え方が法務大臣の死刑はんこに現れている、という理解ができるのである。

刑罰は「つぐない」か「教育」かという根本論にもつながっていく。

経営者と中間管理職と末端社員

2007年09月28日 | 人生はメンタルだよな


会社運営の構造を、昔の農村運営になぞらえることが出来ます。

経営者が庄屋、中間管理職を庄屋の使用人そして、末端社員を小作人と。
(小作人の比喩は一部には問題視する向きもあろうかと思いますが、文脈を判りやすくするためと、ご容赦下さい。)

さて、田植え時、または穫り入れ時、小作人は田んぼに入って前かがみに作業をしています。使用人はあぜ道にたって、小作人たちの作業を見下ろして、なにかと指図をしています。
庄屋は小高い場所にある自宅の庭先から広がる田んぼを眺めています。

庄屋は自らの土地と、隣の土地、そして広がる平野と遠く連なる山々を俯瞰するように見渡すことが出来ます。これは、経営者が自社と市場と世界を見渡しているのと同じだと思います。

一方使用人はあぜ道に立って田んぼを見下ろしてこまごまと小作人たちに指示を出しているので、庄屋のような視点を持ちえません。これは、中間管理職が今月、今期、ここ数年の自分にかかわる業務についてしか考えられないのに似ています。

そして、小作人です。かれらは、ただ黙々と手元だけを見つめて仕事をしています。

しかし、小作人は手元だけを見て一生を終えていくしかないのでしょうか。

私は違うと思います。

彼らは、時たま手を止めて、かがんだ腰を伸ばします。そして、あぜ道に立ったこうるさい使用人の肩越しに遠く連なる山々を望むことが出来るのです。

もちろん、使用人も顔を上げて周りを見渡すことが出来るでしょう。しかし、あぜ道から一段下がった田んぼの只中にいる小作人には、隣の田んぼ、広がる平野はよくは見えず、はるか遠くに連なる山々だけを見つめることができるのです。

末端社員(特に若い人たち)は、会社の今日・明日、来年といった短期的な視野より、もっと先の、もっと高みを目指して欲しいし、それが出来る絶好の立ち位置にいることをわかって欲しいのです。

オレもがんばるから、オマイらもがんばれ!

今日の復習:Chico Buarque:Caetano Veloso

2007年09月26日 | 人生は音楽である
本日のChove Chuva(大阪市西区京町堀)の高尾典江さんは、Chico BuarqueとCaetano Velosoの特集でした。

Chico Buarque についてはこちら
Caetano Veloso についてはこちら

どちらも現代ブラジル音楽の第一人者です。

今日の一曲。
Chicoが恋人に捧げたとても切ない歌。「Olha Maria」
YOU TUBEでは歌付きが見つかりませんでしたのでこちらを。



A Felicidade

2007年09月24日 | 人生は音楽である
フェリシダージ:幸せ という曲です。

こう見えて私ボサノバが好きじゃないですか

で、そのなかで、一日中聞いていても、今のところ飽きない曲がこの曲であります。

歌詞は、リオデジャネイロの貧乏人の一年一度の幸せは、カーニバルの4日だけ、という切ないものなのですが、そのコード進行がほかのボサノバとは一線を画していると思うのです。

有名な曲ですので色々なミュージシャンが演奏をしています。
今日は、iTune Music Storeで10曲ほど買ってきてCDに焼いて聞いています。

皆様には、YOU TUBEからどうぞ。そしてお時間があれば曲が終わったあとに現れるいくつかのビデオもごらんになれば、ボサノバ的空間をよりおわかりいただけることだと思います。





酔芙蓉

2007年09月24日 | 人生は花が必要。
芙蓉とは。
学名は、Hibiscus mutabilis
変わりやすいハイビスカス(ミュータブルハイビスカス)とでも訳しましょうか。

で、ご紹介いたしますのは、「酔芙蓉(すいふよう)」でございます。

朝は真っ白な清らかな花をふっくらと広げます。



昼過ぎには、ほんのりピンク色になります。



そして、夕方には濃いピンク色から紫色に近くなって一日でしぼんでしまう花です。




だんだん酔っ払っていくように赤くなっていく様が「酔」と名前になっているようですが、どうにも、色っぽい花ですねぇ。

その美しさと、短い一生を薄命美人の代表 楊貴妃 と重ねて味わう向きもあるようでございます。
楊貴妃時代の中国の美人画に描かれた髪型と芙蓉の花の形もどこかしら似たものがございます。

この酔芙蓉の花の色の移ろいを見つめながら、一日をゆったりと過ごしていくのは、粋なもんだろうなあと感じるのでございました。

「粋芙蓉」と表してもよさそうですね。