ご門主のお言葉

2011年04月16日 | 人生はメンタルだよな



皆様、ようこそご参拝になりました。
50年に一度の大法要をこのような事態の内にお勤めすることになるとは、思いもかけませんでした。
東日本大震災で亡くなられた方がた、そのご遺族に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。
困難の中ご参拝になった方もいらっしゃることでしょう。
「世の中安穏なれ」という願いを、保ち続けたいと思います。
大遠忌法要は宗祖親鸞聖人のお徳を偲び、讃え、聖人のお勧めによって御本願、念仏に生きる思いを確かめる法要である、という基本に帰って考えますと、私が身を引き締めてお勤めし、この思いを持って、これからご恩報謝の生活にはげむことが大切なであると思います。
震災に会われた方々の困難を推し量ることはむずかしいですが、等しく阿弥陀如来の智慧と慈悲に包まれた者として、同じ社会に生きるものとして、お念仏もうしつつ少しでも苦しみを共にしたいと思います。
火宅無常の世界に生きる者の中で、この度はたまたま、東北関東に居住、滞在されていた方々が被災されました。
大事なことは、お互いに、このたび虚しく過ぎてしまってはならない、ということでありましょう。
それは、迷いを離れて悟りへと転じられる道・人生を歩むことであります。
親鸞聖人は、師匠である法然坊源空聖人にお会いになれた頃、
「曠劫多生(こうごうたしょう)のあいだにも 出離(しゅつり)の強縁(ごうえん)知らざりき 本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし」
遥か昔から、迷いの生存を繰り返しながら、そこを出る縁を知らなかった私は、法然上人がおいでにならなかったら、またこの世を虚しく過ごしてしまったでしょう、と謳われました。
私たちには、「宗祖親鸞聖人いまさずば」、と置き換えられるのではないでしょうか。
煩悩具足、迷いの人生を歩む私が、宗祖に会うこと、仏法に会う事、そして御本願を信じ、念仏申す身になることです。
私のはからいを交えず、南無阿弥陀仏の呼び声を受け取るところに、お念仏の人生があります。
どのような事態に直面しても、往生浄土の道を歩む、その上で自分に出来る事をさせていただきましょう。
いち早く、仏教徒として、念仏者として救援活動をしている方々がいらっしゃいます。
自然現象は、止められませんが、どう対処するかは、ある程度人間の考え方によります。
原子力発電は、一企業、一地域だけの課題ではなく、経済的豊かさを優先する私たちの生き方と深くかかわっています。
仏法を伝えられ、この御影堂を託された私たちが、子孫へ何を残すことができるでしょうか。
被災地救援の応援と共に、南無阿弥陀仏とお念仏申して、精一杯過ごさせていただきましょう。