人生はコーヒールンバだな Ⅳ

2004年06月29日 | 小説:人生はコーヒールンバだな
謎のフィリピン人

SanMateoAkyuki

フィリピン国セブ島トレド市出身

マニラ市でジープニー( フィリピンの主な交通機関で合乗りタクシーとして利用されている。手を上げればどこでも停車してくれる。料金は1区間2ペソくらい。) 会社を経営。彼の会社は海外(主に中国)から中古自動車部品を輸入し、ジープニーの製造から、オペレーションまでを一手に行う。
フィリピン女性を日本に出稼ぎに出すという裏の顔がある。

春田星平と宋顕眠を引き合わせたのが、実はこのSanMateoという人物である。
それには、こんな物語が。

星平は、会社倒産の憂き目にあい、日々をほうけて過ごしていた。
彼の一人娘は小学校の6年生、その年は中学受験準備をしていたのであるが、9月末の会社倒産でひどく動揺する。少なからぬ蓄え(何しろ彼は日本最高給取りの編集長であった)と退職金、それにフリーエディターをする彼の妻の収入で当面の家計の心配は無かったのであるが、毎日家にぶらぶらしていると娘の勉強にも影響が出る。自然と毎日街へ出ることになるのであった。

その日も、出版社にいた頃良く来た渋谷にいた。仕事人の頃の目線は上に向いていた。セルリアンタワー、マークシティー、道玄坂の先の東急本店、オーチャードホール、といったように。常に、勢いある企業、先端のビジネス、上質の文化を見据えて生きてきたように思える。だが、今の目線は水平下方向30度である。彼には東急渋谷店の壁にかけられた最新映画の垂れ幕も視野に入らない。

センター街をふらふらと歩き続けた彼は宇田川交番へ折れる小道で一軒のバーを見つけた。
何度も通った道なのに気がつかなかった、古い木の扉に小さく「ば~だるもあ」とある。

軋みの出る扉を押して店内に入ると、カウンターだけの席の向こうに小太りのバーテンダーが晩秋のけだるい昼下がりというのに、目をぎらぎらさせて真剣勝負でグラスを磨いていた。(このバーテンダークリエータにしてフリーペーパーの編集者をしていたという、星平に近い職業であったのだが、思うところあって今はここのバーテンダーをしている。)

バーテンは、入ってきた星平の顔を一瞥し、また、グラスに目線を戻し、一言。

「人生は、コーヒールンバだぜ」

かなりのハードボイルドである。

星平は入り口から3番目のスツールに席をとる。目の前に真っ赤なDITAのポストカードが立っている。店に不釣合いだなと感じながら、ボウモア12年をストレートで頼む星平。

目が慣れてくると一番奥の席に一人の男が座っているのに気がついた。ティーシャツにジーパンという姿で、DITAをストレートで飲んでいた彼こそSanMateoAkyukiだったのである。

「あぁ、こんなヤツに絡まれるとやっかいだな」と心の中でつぶやく星平。

来るな、来るなと思うほど、相手はやってくるものである。
SanMateoは星平がボウモアを一口喉の奥へ流し込んだことを確認すると、笑みを浮かべながら席に向かってにじり寄ってくる。地黒の顔に浮かぶ思いのほかきれいに並んだ白い歯、人なつこそうな目じりは、悪いやつじゃないという印象を与える。

「ドシタノ、カイシャツブレタカ?」

星平はぶっ!とグラスのボーモアを噴出してしまった。バーテンは迷惑そうにカウンターを拭く。

「ソカソカ、カイシャツブレタカ。ソリャオクヤミダナ。ナデツブレタ?」
「どうせ、君に話しても仕方ないよ。」

星平は、相当頭に来ていたが。SanMateoの目を見つめると、なぜか話しをしたくなってしまった。
自分の生い立ち、天売島の鰊番屋から見た夕日、札幌の大学へ出て行く時、送りに来てくれた彼女にもらったセーラーの白いスカーフ、東京の出版社への内定を報告に行ったときに見せた父の目、編集長としてはじめて手にした雑誌の表紙、月足らずで生まれ保育器の中で泣いていた娘の小さな指、下ろされた会社のシャッターに張られていた債権者会議を伝える白い紙・・・・。

星平がそれまでの人生をすべて話し終わるまで、隣のSanMateoは「フンフン」「ソカソカ」「ウイウイ」と相槌をするばかりで、内容がわかっていたのか、わからなかったのか。
眼光鋭くグラスを磨いていたバーテンの手から、13個目のグラスが棚に置かれたときに、彼の話は終わった。

「ソカソカ。オマエモ、イキテキタナ」

「おまえと言われる筋合いないよ」と思いながら、その言葉がみぞおちの下1センチのところに、ストンと収まった。

「俺も生きてきたんだな」

「デハ、オレ、カエリマスル。コマタコトアタラ、ココニレンラクスルガイイ」

渡された名刺には中国上海市の住所があった。

ボウモアをもう一杯飲んだ星平が、少しふらつく足でバーの扉を開けるとビルで細く切り取られた空に赤い星が一つ輝いていた。

バーテンダーは18個目のグラスを磨いていた。

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人生はコーヒールンバだな Ⅲ

2004年06月29日 | 小説:人生はコーヒールンバだな
春田星平

北海道苫前郡羽幌町大字天売出身
41歳

横田正真と宋顕眠の努力。中国と日本の縁(えにし)に守られて、彼の事業は順調に拡大している。
今は上海と日本を行き来する生活である。
上海のカラオケ店で知り合った「小燕」という、四川省西都出身の女性をウィークリーマンションに囲う身になっている。
時間が出来れば香港競馬の国際レースで散財することもある。

彼は今人生の絶頂にいるかもしれない。

小燕との出会いにはこんな話が。

その週末は、星平にとって特別な週末になった。
中国主要大都市に78店の点心店チェーン「橢圓小厨」を持つ上海食楼公司との「黄昏煎餅」販売契約を結び、会食の後、仲介者の日本人商社マンと現地事務所を任せている男と3人で日本人向け高級カラオケハウスに向かう。思ったより広い部屋に通されると、先ほど入り口にいた頭の薄い支配人がやってきて、すぐに女の子を呼んできますのでと揉み手をする。不思議なことだな、ここはカラオケだろう、といぶかうまもなくドアが開いて白い薄いワンピースに見をまとった女性たちが目の前に並ぶではないか。これはなんだ?

店につれてきてくれた商社マンが説明してくれる。
「こう見えても中国は厳しい国です。特に性風俗に対してはストイックなまでに厳しい。飲み屋にボックス席を作るだけで当局から文句が出る始末。日本でいうラウンジバーでもアウトです。ましてや個室で何かするなんてもってのほかですね。でもカラオケ店はOKです。カラオケは個室にしなければ成り立たない。だからこうして、カラオケ店に女の子がやってくるという、仕組みが出来上がったというわけなんです。ここの女性たちは少しだけど日本語が話せます。たぶん、楽しい時間が過ごせると思いますよ。さ、さ、お好みの女の子を指名しなさい。」
事態がうまく飲み込めなかったは、昼間の仕事の緊張感からか、異国の風からか。しばらく目の前に並んだ十数名の女性を眺めていた。
と、そのとき、もう一人扉を開けて女の子が遅れて入ってきた。

「薫ちゃん?!」

星平は心の中で叫んでいた。
あの時。そう、高校を卒業して札幌の大学へ出て行く日に、星平の乗ったフェリーを追いかけて、港の灯台につづく防波堤をいつまでも追いかけていた彼女がそこに立っていた。
もちろん、本人のはずは無い。だが、星平は指をさして「この子!」と叫んでいた。
たどたどしい日本語の会話と、水割りの時間は瞬く間に過ぎ、事務所長の歌う「メリージェーン」を聞きながら抱き合って踊っているときに、商社マンに言われたとおり宿泊先の住所と電話番号のメモを渡した。
彼女は、目をそらし、眉間に少し皺を寄せて困ったような顔を見せてから「明日、10時に行く。」と答えた

翌日は土曜日。泊まっているウィークリーマンションの30階の窓から夏の湿気に煙る上海の町をぼんやりと見渡していると、一階の入門インターフォンの呼び出し音が鳴る。受話器をとると、液晶に彼女の顔が映った。開錠のボタンを押して、星平はテーブルに散らかっているパンの袋を片付ける。
程なく部屋のチャイムが鳴る。覗き窓から彼女の顔を確かめて扉を開ける。

星平の泊まっていたマンションは2LDK。一泊日本円で7,000円程。寝室2部屋とリビングである。リビングにはキッチンと冷蔵庫がついて日々の暮らしには十分だ。もう一つの寝室には商社マンが寝ている。「こんにちは」という彼女の唇を人差し指で押さえて、かれは商社マンの寝ている寝室を指差す。彼女はうなずき、星平につづいて、彼の寝室に入る。
彼女は寝室の突き当たりの窓から街並みを見下ろしている。そのシルエットが、あの時の、鰊番屋で真っ赤な夕日を見つめていた薫の後姿にかぶって見えた。そっと肩に手を置く星平・・・。

[この間、R指定]

彼女はティーシャツを着てジーパンを履き終えると振り向いて「じゃあ」と一言。「下まで送っていくよ」と応えた星平の胸にライラックの香りが通り過ぎた。
玄関先で彼女はタクシーの助手席に座った(上海では一人でタクシーに乗るときには助手席に乗る)。星平は窓ガラスをトントンと叩く。彼女は窓ガラスを下ろす。運転手は不愉快そうにこちらを見る。星平は彼女の目を見つめながら言う。
「僕は、君に、会いに、上海に来た。」
彼女は黙ったまま、目線をそらして、車の窓ガラスを上げた。そして、昨晩のように、眉間に少し皺を寄せて困ったような顔を見せて、運転手に行き先を告げた。

部屋に戻ってくると、商社マンが衛星から受信されているNHKのニュースを見ながら言った
「楽しめたかい?そろそろ出ようか。」

浦東空港。
久しぶりに妻と娘に土産を探して空港の売店をうろうろする星平。妻にティーシャツ、娘にはパンダのぬいぐるみを買って、店を出る。向こうから足裏マッサージに行っていた商社マンが携帯電話をかざして走ってくる。
「彼女からですよ・」
受話器を耳に押し付けると、彼女の声が
「今日も、店、来て」
彼が答える
「また、来るから・・」
そして、携帯電話を商社マンに返す。中国語でなにか話している彼を背中に、煙草を吸いにビルの外に出る星平。

そこには昨日と同じ蒸し暑い湿気を帯びたグレーの空が広がっていた。

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人生はコーヒールンバだな Ⅱ

2004年06月29日 | 小説:人生はコーヒールンバだな
東大阪の金型工場の社長である
横田正真 55歳
兵庫県氷上郡氷上町出身。

鎌倉時代からつづく由緒ある寺院「常樂寺」の長男として生まれる。
近くの福知山線を走る蒸気機関車の雄々しい様を見て、機械に強い興味を覚え、本堂の伽藍や梵鐘の輝きを通して「金属の美しさ」に目覚める。地元公立高校を優秀な成績で卒業し、名古屋にある国立大学で冶金工学を修める。
就職先は実家に近い方がよい、との判断で大阪にある大手機械メーカーに入り、主力商品である大型空調システムのコンプレッサー関連部品の開発製造に従事する。
社の世界展開の一環として2年間の米国留学金属系新素材と射出整形の最新技術を携えて帰朝。若くして、設計部のチーフデザイナーとなる。

しかし、管理職になり、後進を育てる立場になった彼はその席に居心地の悪さを感じていた。

そんな折、協力工場の東大阪の金型メーカー「多田野冶金工業」多田野社長に請われ、転職。アメリカ留学で学んだ技術と、培った人脈をもとに、シアトルにある大手航空機メーカーと取引を始める。彼の開発した技術とは、従来切削加工でしか実現できなかった部品を射出整形で制作することにあり、大幅なコストダウンと高品質を実現したものであった。特殊技術とニッチな市場で多田野冶金工業はバブルにも振り回されない堅実な経営を進めていた。
「ああ、これこそ私の天職だ」と業務にまい進していた矢先多田野社長が急死。後を彼が任されることになった。

正真は、焦っていた。世界的な景気後退で航空機産業も大きな伸びが期待できない。国内製造業は空洞化が進み、また、すべてのものづくりの基本要素である「金型」は新卒者も来ない日陰産業だ。彼は次の一手を模索し、海外展開を検討した。

自然と目線は中国に向く。
「そうだ、自分の祖父も行ったという中国で新たな事業展開にチャレンジしよう。」
(実は正真の祖父というのが、宋顕眠の父を救った僧侶なのであるが、今はそのことをだれも、知らない)

彼はアメリカ留学時に知り合い、今は上海で商社を営む友人に連絡をし流通・販売網に目処をつけいよいよ本格的に業務開始にこぎつけた。

彼は気づいた

「あっ、ホームページ中国語にしておかなきゃ」

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人生はコーヒールンバだな Ⅰ

2004年06月29日 | 小説:人生はコーヒールンバだな
謎の中国人実業家(上海在住)である。
宋顕眠 48歳
広東省広州市出身

製麺会社を経営していた父の影響で幼い頃から「食を作る」ことに興味を覚える。現在中国有数の食品加工機械メーカの社主にして本社を上海に置くまでに成長。

【背景】
このたびのプロジェクトは日本からこんな仕事が舞い込んだことから始まる。

ここに、春田星平なる日本人がいる。彼の生家は北海道。鰊(ニシン)漁で財をなした旧家である。彼は旧家のボンボンのご多分に漏れず、大学卒業時に「おれは、東京に行ってマスコミに就職するんだ」と家族の反対を押し切って上京を果たす。時はバブルの最盛況、就職した雑誌社も飛ぶ鳥を落とす勢いで、給料も毎年うなぎ昇り。気がつけば日本で最高給取りの編集長になっていた。

しかし、高き山あれば、谷深しの習いの通り、バブル崩壊とともに雑誌業界全体がシュリンクに落ち入る。新雑誌、新メディアをいくつか立ち上げるも、あえなく会社は倒産。星平は広い東京に家族とともに取り残された気持ちになった。このまま、おめおめと北海道に戻るわけには行かない。戻るといっても、北海道にすでに両親も無く。鰊でにぎわったあの時代は夢のまた夢。

星平は来る日もくる日もこれからの自分の生き様を迷い、思う日が続いた。

ある日、そろそろ桜も咲こうかという3月の第3土曜日の朝4時32分。トイレで小便をした星平は、もう一度布団に入りウトウトとまどろんでいた時に、枕もとに「阿弥陀羅」が立った。

「星平よ。西に向かえ。そして、煎餅を焼け」

星平は聞く

「西とはいづこでございますでしょう?煎餅とは、どのような煎餅を・・・」

目を開けたときには、阿弥陀羅は消えうせ、朝日の眩しさの中で雀チュンチュンと鳴いていた。

星平は思い立つ。

「西とは中国だ。煎餅とは・・・・・・・煎餅だ。中国に行って煎餅を売ろう。中国も米文化だ。ただ、料理方法は基本的に油料理。煎餅は油を使わない米料理。味付けは醤油。油を 使わない醤油味の米料理。これはいける。絶対いけるに違いない。」

さすがに北海道開拓民の血筋を引く星平である。チャレンジ精神はDNAにしっかと組み込ま れていた。

さて、商品名である。彼は思考をめぐらす。

「日本は斜陽だ。日出でる国の面影はもう無い。すっかりたそがれてしまった。そうだ、このたそがれの国からやってきた煎餅という意味で『たそがれせんべい』と名づけよう『黄昏煎餅』で中国人民の口をあっといわせてやる!!」

人のつてをたどって星平は宋顕眠の会社に来る。中国有数の食品製造機械メーカーに、完全自動煎餅焼きマシーンの発注をするに至った。
この機械は無洗米をバケットに入れれば、米を蒸して、餅にして、型に入れて乾かし、焼きを入れ醤油を塗り、一枚一枚包装して12枚ずつ箱に入れ、その箱を24個ずつ大箱に梱包するという、完全自動装置である。

宋顕眠は燃えた。

この新しい食品を中国人民に食べさせることによって新しい食文化を創造できる。さらに、中日の掛け橋として、広く極東文化に貢献できる。(実は宋顕眠の父は先の大戦の折、日本兵に銃口を向けられていたときに、日本から派遣されていた僧侶の一言で、命拾いしたという経緯があるのだが、それは、また別の話)

ここで、大きな技術的問題が発生した。餅を煎餅の形にするための「型」である。

上記のようにやわらかい餅を型に入れて乾燥させそのまま焼きを入れるのであるが、一定の形に焼き上げるための金型がうまく出来ない。焼き上がりの微妙な起伏を再現するには、「煎餅とはいかなるものや」ということがわかっている人にしか、すなわち、日本人にしかこの型は作れまい、との結論に達したのであった。

彼は気がついた

「あっ、ホームページを探してみよう」


人生はコーヒールンバだな 第二話